目が覚めてまず股の間にぬるつきを感じてああヤったんだなと単純に思った。次に隣に目を向けてああユースタス屋が相手だったんだなと思った。髪を下ろしたユースタス屋は、幼い。
のろりと起き上がって見た小さな丸窓の外の海は、際がうっすらと白んできていた。
朝が来る前には船に戻りたかった。船長としての自分の規律が、あまり船を空けることを良しとしなかった。
昨夜の汚れをきれいさっぱり落としていきたい気持ちはあったが、それより時間が惜しかったので、目立つ汚れだけをシーツでぞんざいに拭って落ちていた服を身につける。ブーツのファスナーをぐいと上まであげたところで、もぞりと背後でユースタス屋が動いた。起きたかと振り返って見る前に掠れた声がかかる。
「どこ行く」
「船。帰る」
「…そうか」
「うん」
「…じゃあな」
まだ覚醒しきっていない朧気な声でちらりちらりと会話をして、ぼすっと子供にするように俺の頭をたたく。そのままユースタス屋が再び寝入っていったのを見届けて小さく笑った。こちらが帰る間際には必ず一度目を開けて声をかける、この男の律儀な所を甚く気に入っていた。
歩き始めは早足だったものの、1日が始まる前のこの時間の、風ひとつない乾いた空気は好ましく、どうも速度が緩みがちで、自船についた頃には空はだいぶ白んでいた。
今日の見張りは誰だったかと思い出す前にマストの影から出てきたシルエットにしくったな、と足を止めた。しかしどうせ気づかれるのなら、と先に声をかけておく。
「ペンギン」
ある程度の距離をとって呼びかければ目先の男は振り向いてこちらを注視する。今は丁度不寝番との交代の時間だったかもしれない。
「なにかかわったことあったか」
「いいえ、なにも」
しいていえば、ベポがまた場所を選ばず捕食して、汚れた甲板の掃除が大変でした。と笑うペンギンにつられて、こちらも小さく笑う。
一歩踏み出したペンギンを見てわからない程度にそろりと後ずさる。自分では解らないが、今朝はそのままユースタス屋の船を出たわけで、まだ昨日の名残をまとったままであるはずだ。ペンギンは、この船でも一番五感が鋭い。
しかしこういうときに限って物事は自分の意図と背反するもので、その場に存留していた空気を割くように唐突な風がふわりと自分の後ろから駆けて、風下にいるペンギンの僅かに覗く髪を揺らした。
「…ああ、」
届いてしまっただろう香りに続く言葉もなくペンギンは先程とは違う、厭世的な笑いをこぼした。
ばれたな、と舌打ちをしかけて、別に不徳義なことをしたわけでもないのだからばれても差し支えないだろうと思いなおす。
流れ始めた空気になにか言葉を言うべきではないかと思案するがまたこういうときに限ってなかなか出てこないもので、口は開かないままだった。此方を一瞥するとペンギンはちょっと困ったような顔でまた笑う。
「別に、そんな難しい顔しなくていいんですよ」
「…ん」
「ただ、またアイツかと思っただけで」
ユースタス屋の香水は俺からするとだいぶ薄い香りだと思うのだが、ペンギンには判別可能な程度らしい。今度からつけんのやめるよう頼んでみようかなと考えたところで馬鹿馬鹿しいなとはねつけた。目の前のこの男は気味が悪いほど五感に優れている。精液のにおいあたりでもかぎ分けられそうだと腹の中で笑った。冗談じゃない辺りが我が腹心の部下ながら恐ろしい。
「めずらしいですね」
「なにが」
「そんなに気に入ってるの」
「ユースタス屋を?」
「そう」
そうか?と考えて、そうだな。と結論を出した。
一晩だけなら顔と体で決めて寝る。だけれどそうやって選んだ輩とだらだら続くことは大抵面倒であるし、手を焼く価値もないので何度も寝ることはそうそうない。と過去の遍歴を思うとたしかに現状は異例である。
「…ん。そうだな。まあ、嫌いじゃないなぁ、アイツは」
考えながらそう言えば、ペンギンはちょっとだけ目を見開いてこちらを見た。
「…出航、遅らせましょうか」
「……は?お前それマジで言ってる?」
しねえよ、そんなこと。
すこし苛立って言葉に棘が立った。こんな俺でも別に色狂いというわけではなく、常識の範疇をちょっと逸しただけの貞操観念を持ち合わせているのみであって日々の生活に支障をきたそうなど思ってもいないし実際にきたしていない。ましてや船を巻き込むこともない。いったいどんな具合で俺の信用が落ちてしまったのかとペンギンを睨み付ければ、悪気はないといった表情でペンギンは首を傾げた。
「いや、あんたがそんなにハマってるの久しぶりにみたから」
「はあ?」
「なんか楽しそうだし」
まあたしかにユースタス屋との性交に不満はないしむしろ存外に楽しんではいるが別にそれだけなのだ。荒々しく抱くわりには今朝のような気遣いができるところは気に入っているが。その旨を伝えようとしたが案外形にしづらくて、必要なことだけをかいつまんで声にする。
「まあ、なんにしろ俺は出航を遅らせる気はねえし、ハマってるからといってその他を蔑ろにするような性格でもねえよ。わかった?」
「ん…そうですか」
ペンギンは腕を組んで頷いて、顎で船室をさした。
「じゃあさっさとシャワー浴びてきてください、あんたけっこうにおうんで」
「…ふふ、ひでえ言われようだな、おれ」
「…アンタの匂いならまだいいですけど、アイツの種のにおいはどうも我慢ならない」
なんでもないように言ったペンギンに思わずピキリと固まった。この腹心、まじで精液の匂いで判別できるのか…?と畏怖の念を抱くと同時に声のトーンからユースタス屋に対するどろっとした嫌悪みたいなものを感じて、あれこいつそんなにユースタス屋嫌いだったっけと考えた。そしてパッと俺ペンギンと最近寝てないなあと思い出した。
そこまで考えて、ん…?と違和感に首を捻って、わかったこれってあれじゃねえか…いやでも…?とさらに考えていると名前を呼ばれた。
「また変な顔してますけど、なに、言いたいことでもありますか」
「…いやさ、ペンギン。お前俺のこと好き?」
「は…?」
おいおいこいつはまたなにを言い出したという目でペンギンが俺を見るのでいやいや俺は本気で聞いているという姿勢を作る。するとペンギンは小さくため気をついて腕を組み直す。
「いや…好きですよ」
「そうか」
「そうです」
「じゃあ……ごめんな?」
首を傾げてペンギンの表情をうかがうように謝る。
俺が思うところによると、ペンギンは少しばかり妬いているのではないかと思われたのだ。でも別に恋人同士とかいうわけではないのだけれど関係に淡白な俺がコンスタントにそういうことをしているのはペンギンだけだった。なんだか連れ添った夫を蔑ろにして目についた若い男と浮気をしている女のようだ。いやでも女はちゃんとその夫を愛しているし最終的には夫じゃないとだめなのだ。
ペンギンのセックスには飽きない上手さがあって、一回はまったらどうにも抜けられないやらしさがあった。俺はずいぶんそれを気に入っている。
けど最近は類い稀ない派手さと類を見ない力強さに目新しさを感じていたということだろう。
俺が何年振りかに謝ったのを聞いてペンギンは目を丸くしてから、呆気にとられたようにくくくと眉を下げて楽しそうに笑った。
「あんたはそりゃ、世間一般から見れば最低な男だけど、それをわかって抱いてる俺もそうとうなんだから、今更な遠慮とかはいらないですよ」
憎たらしいほど綺麗な笑顔で返されて次はこちらが呆気に取られる。
そうか、お前は俺が最低だと認識した上で抱いてるんだなぁ。それってどういう按配なんだ。
「…お前はそれでいいのか」
「じゃああの男とスるのやめろって言って聞いてくれるんですか」
「…お前が懇願したら前向きに考える」
「はは、嘘つき」
ペンギンがコツコツとブーツを響かせながらこちらに近づいてくる。
こいつさっき精液くさいとか言ってたけどそこらへんは大丈夫なのかなどとと思っている内に、ペンギンは手を伸ばしてしっかりと俺の顎と腰を捉える。
「あんたの遠慮がなくて我儘でセックスに傾倒してるところが俺は好きなんだから、謝らないで」
俺の目を見て、囁くようにそう言うペンギンにほんとにできた男だなあと思わず苦笑した。
弧を描いた形のいい唇が近づいてきて、ねじ込まれた舌に答える。
ユースタス屋の大胆不敵なわりに繊細な気遣いができたりするところはだいぶ好いているし、好かれている気もするし、これから別れることに寂しさみたいなものを感じないこともない。
だけれど久々にハマったその魅力さえ、ペンギンの巧妙かつ絶妙な、そ知らぬ顔で捕食を待つ罠みたいなやらしさにはどうにも勝てないなあ、と感慨深く思ったある朝である。
ロイヤルティーに似て非なる
・ビッチローとビッチ好きなペンギン
・両方タチが悪すぎる