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「私はどこも悪くありません。」
「父さんは心配なだけだよ。僕もこの際隅々まで検査してもらってほしいな。」
「精神病院だなんて、お父さん悲しむわ・・・近くのクリニックさんでいいじゃない。」
「あそこは1月末まで臨時休診だって書いてあったじゃないか。僕がちゃんとお祖父ちゃんに話しするから。」
「・・・そう、ね。そうね、***からならお父さんも仕方ないなって笑ってくれるものね。」
「ということで、お願いします。」

会釈程度ではあるが頭を下げた***に医師は頷き、尿検査と血液検査だけは今日にでもとオーダーを出す。母親にお父さん悲しまないかしらと伺われ、***は大丈夫だよと苦笑を返した

***は今朝入れ違いに実家を出た父親と父親が来るから家を出るなと言われた雷蔵の心境を思い、不安そうに呟く母親をちらとみる

「悲しまないでお父さん・・・私が悪いの、私が***を連れて行かなかったから・・・」

老いたなと横顔に感傷的になるのも一瞬、***は明日はどうするのと震え続けるスマホをポケットの上からおさえた。誰が相手であれ、今はでれない

「・・・お店の予約も日時の連絡も、あの人が全部・・・和尚さんはもうお年だから、今年から息子さんが引き継ぐそうよ。」
「運転、僕がしようか?後ろで、お母さんはお父さんと座りなよ。」
「いえ・・・あの人が運転で助手席に・・・私は***と後ろよ。嫌かしら。」

呼ばれたから行くわとモニターに表示された数字に立ち上がった母親は、ごめんなさいねと鼻を啜る。それに気にしないでと苦笑して、***は待ってるからと母親のコートを受け取った

「本当に良い子ね、***は。」

閉まった引き戸にため息をつき、***の手が自然とスマホの電源を落とす
明日は何を着ていこうか。スーツはスーツだが、回忌を重ね過ぎると皆ガチガチの喪服ではなくなるのだ

「・・・帰りたくない、な。」

父親が帰った後一人で待つわけはない。どうせお仲間に連絡してまた騒いでもらうのだろう。考えただけで胃痛のする***はどこかで買うかと実家に泊まることを決めた

その夜、***は久しぶりに夢を見た。祖父の夢だ。弱った身体で構ってくれる祖父の夢。***が寝ていてほしいと頼むと孫のお願いならと渋々ベッドへ座る祖父は、闘病中でも変わらず笑顔だった

それを歪ませた弟を、突き放した自覚は確かにある。それでも、先に手を離したのは紛うことなき弟自身。離されたから離したと、正当化は揺るぎない

「***は、***はどこに、」

聞いていなくても聞いてしまったかのような鮮明な記憶。月命日に訪れてはごめんなさいごめんなさいとあの日の自分を責める***は、父親の気持ちはもちろん母親の気持ちも理解できる

最悪な目覚めに覗いていた母親と目が合い飛び起きた***は、バクバクと喧しい胸を押さえながらベッドから出た。母親はクスクスと笑いながら次はお父さんねなんて部屋から出て行く

「・・・わっ!?」

驚きの声と壁か何かに当たる音で父親の起床を知った***が廊下にでると、ちょうど母親が楽しそうに階段を降りる姿が見れた
***は大丈夫かと部屋から出てきた父親に問い、父親はめちゃくちゃ触られたと腹部を撫でていた。朝からセクハラかと相変わらずの姿に少し笑ってしまう

「話すか?」
「いい。」
「そうか。部屋の解約はいつにする。」
「僕はもういつでも。ウィークリーにでもまず入って、他を探すから。」
「一応今日は参加するらしいからな、何か言われても知らないふりで通してくれ。まだ話していないといってあるんだ。」

驚くふりが必要か?そんな懸念はどうせ話しかけてこないと払拭される。***は母親の作ったホットサンドのかおりにリビングのドアを開け、甘いスクランブルエッグが厚めに入ったそれに笑みを浮かべた

かぶりついたホットサンドの甘さも借りた三色歯磨き粉もシャワーを浴びているときに脱衣所に入ってくる母親も、***には実家で家族が相手だから当たり前。雷蔵にはそうではないと、知っている
だからインターホンを押せないのだろうなんて想像は、大体当たっていた。先に外にいるからと玄関を出た***は、車のそばでじっとしゃがむ雷蔵に小さくため息を漏らす

「皺だらけのスーツで参加するつもりか。」
「・・・寒くて、つい、」

籠もるような小さな声に様子が変だと察したところで何になるわけはない。***は気づかなかったふりをし、来てたのかと驚く父親に会釈をした雷蔵から身体ごとそらす。みていたら、何か言ってしまいそうだった

厭う相手だろうが、消すことのできない事実。雷蔵は確かに一番最初に出会った幼い頃の最愛なのだから