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嘘だと思いたかった、聞き間違いだと笑いたかった。幼いきり丸にとって独りきりというのは恐怖であり、姿が見えないからこそ鮮明な思い出は絶望である
きり丸は虚勢だけで何日も過ごしていた、自分を知らないと言い敵意しかないような状況に心が折れそうだ

「天鬼、この三人のガキはお前に斬らせようと思って連れてきたのだ。」
「こんな子供を斬ると?」

八方斎の言葉に返しながらも抜かれる太刀に、きり丸は悲鳴を上げる乱太郎としんべヱを見る。きり丸だけがこの三人の中で保護者である土井が行方不明であることを知り、同じ様に騒げないのだ
ドクタケ忍者隊に捕まり拘束され部屋に投げ込まれた事実にではない。土井が自分たちに刃を向けている事実でもこっそり聞いてしまった六年生たちの行方不明が事実だったことでもない。ただただ、独りの恐怖に寝れぬ夜を上回る生きていて良かったという安堵がきり丸の目に涙を浮かばせる

空を切り、刃先がきり丸の猿轡を斬った。きり丸は唇を震わせ絞りながら、たまらないといった様子で天鬼と呼ばれた土井を見上げる

「土井、先生・・・」

土井の刀を持つ手に躊躇いが生まれた。その理由を、天鬼となっている土井自身にはわからない

「帰ろうよ・・・、いっしょに、帰ろう・・・」

乱太郎もしんべヱも、今にも消えてしまいそうな声に言葉を失いきり丸と土井を交互に見る
三人を連れて来た八方斎は焦れたのか、早くしろと土井を急かし、土井の意識を自分へ向かせた。まずいのだ、天鬼が土井の記憶を思い出してしまっては

八方斎と土井がなぜ手を組んでいるのか。諸泉との決闘に敗れた土井を発見したのがドクタケ忍者隊であり、発見された土井が記憶を失っていたからに他ならない
うまい具合に記憶をなくし倒れていた土井に偽の記憶を与え仲間に引き込んだ苦労が、今この瞬間、水の泡になってしまう危機感が八方斎を焦らしているのだ

「はやく斬れ!こ奴らははお前を付け狙いひどい目に合わせた忍術学園の者だぞ!平和を脅かす悪の手先なんだぞ!」
「何言ってるんです!八方斎嘘つかないでよー!」
「八方斎の嘘つき!」

八方斎の声、乱太郎の声、しんべヱの声。入り乱れた中で、部屋の近くに漸く山田と共に忍び込んでいた忍術学園の六年生が辿り着いた
中の喧騒に危機を感じたのは全員同じく、一斉に駆け出す。ぐっと、殺気が強まり汗が滲んだ

「土井半助!やめろ!」

ドクタケ忍者が迎え撃つのは忍術学園実技担当である山田だ。苦戦するわけもなく、刃を交えながらも山田は土井に訴えかける。同時に、八方斎が叫ぶものだから、その場は騒然としながらも土井半助の一挙一動次第といった雰囲気に包まれた

「土井半助、目を覚ませ!わしだ!山田伝蔵だ!」
「天鬼!どうした!さっさとやれ!そのガキどもを斬り捨てろ!」

山田とドクタケ忍者の間に割って入った六年生に任せ、山田は刀を振り上げる土井へ微塵を投げる。それはあっさり土井に防がれたが、山田は諦めない

「教師が教え子の命を奪ってどうする!」
「土井半助?知らぬな。我が名は天鬼。ドクタケ忍者隊の軍師。」
「半助!!貴様!いつ鬼に成り下がった!」

山田の絶叫。振り下ろされた刀にあも言えない六年生。勝利を確信する八方斎と乱太郎としんべヱの叫び。渦巻いた中心、土井の刃で舞った赤は確かに血だったが、叫ぶ乱太郎やしんべヱでも堪えきれず涙を流すきり丸のものでもなかった

「・・・***、さん、」

きり丸の掠れた声に、三人を庇うように腕を広げて刃を受けた***が振り返る。にこりと、笑っていた。怖れはない

「怪我は?」
「あり、ません・・・、・・・***さん、」

膝をついた***は力入らないと浅く息をして、自分を呼ぶきり丸に背を向けたまま土井を見上げる。しっかりと目があい、***の手が刀身を握ればそれは見開かれた

「私はもう教師じゃない。助ける理由なんてない。私が助けたいのは、土井先生です。まだ、あなたは天鬼ですか。」
「・・・あのまま大人しくしていればよいものを。」
「私を生かしたあなたが悪い。」

すっと抜かれた紫に止まっていた時間が動き出す。簪を手に持った***に冷徹な雰囲気の土井が僅かに揺らいだ

「やめてっ、ください・・・!」

ドンと、動きの鈍い土井に向かった***は背後からきり丸に当たられ体勢を崩してしまう。驚いた***は微かに振り向き動いたきり丸の唇に簪を握る力が強くなった

「早く斬り捨てろ!!」

八方斎の声に弾かれるように刀が引かれ、***の手のひらはざっくりと切られる。痛みは鋭く、動揺は少なかった
だが***を止めたきり丸は大きく動揺し、なぜか土井の動揺も大きい。慌てるように振り下ろされた刀が深く肩へとはいっていく。***は引き抜かれた刀を簪で撫でるように下へ抑えつけた

「まだ、あなたは天鬼ですか・・・!?」
「土井先生っ・・・!」

フッと簪が手から離れ、きり丸は泣きながら土井を呼ぶ。汗を拭った***はきり丸の縄を、そして乱太郎としんべヱの縄を斬る土井に微かに、けれど確かに口端に笑みを浮かべた

「これはどういうことだ!天鬼!!」

土井が八方斎に振り向く。疲れをも隠すすっきりとした、人間味を感じさせる目が天鬼ではないことを皆に知らせる

「私は天鬼ではありません。忍術学園一年は組教科担当担任、土井半助です。」
「貴様・・・、記憶が・・・、」

八方斎の歯軋りに***はその場から姿を消した。忍務失敗、***は自分で居場所を消してしまったのだ