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「起きない・・・、」

ぐったりと青白く横たわる***を前に、男、土井半助はただただ困惑していた。未だかつて話しかけただけで誰かに気絶されたことなど一度足りとないのだ

「・・・・・・ニオイ、したか?」

すんと袖を嗅いだ土井は、鼻に残る血や噴煙のニオイに顔を顰める。ニオイは、幼い頃描いていた未来とは全く異なる今を身に染みさせていた
嫌になるなと零れた言葉にハッとして、土井は微かに漏れる呻きに固く結ばれた***の手を解く

「ッ、い、やっ、」

怖い怖いと握ってくる手は冷たく強張り震えていて、尋常でない汗が噴き出ていた

「大丈夫だ、誰も君を傷つけない。」
「たす、けっ、」
「っ、私が守」

何を言おうとしたと咄嗟に手を離した土井は効くかどうかと悩みながら、懐から一つの包みを取り出し開ける
中には少量の気付けがあり、試しにとそのまま飲ませようとして思いとどまった。寝ている人間が粉薬を飲めるわけがなかろうと
持っていた竹筒の水はこれまた少量で、そこに粉薬を入れちゃぷちゃぷと溶かした土井は、呻きにあわせて聞こえなくなる呼吸音にどきりと***の顔をまじまじと眺める。血の気の引いた顔は、ぱっと見死体にすら錯覚した

「すまない、これは介抱だ・・・!」

まるで自分に言い聞かせるように目を瞑って数秒、土井はそろりと***を伺い竹筒の中身を口に含む
ギシリと床が軋み、***の顔に陰が落ちた。軽く顎を支えながら、土井は顔にかかりそうな髪を後ろへ払う
唇が軽く触れたその瞬間、悪寒と脳内に鳴り響く警報で目を見開いた***は、土井の姿を確認し悲鳴も出せず壁ギリギリへ跳んだ。土井もまた、急な開眼に反対側の壁へと跳び身を寄せた
痛いほどの静寂は簪に模した寸鉄を握り先端を微かに土井へ向ける。生憎苦無や手裏剣の持ち合わせはない

「・・・何者だ。」
「ちょ、ちょ、待ってくれ!私はただ介抱を、」

***が見ているのは土井の足元だが、隙なく構えている。土井の一挙一動で、首を掻き切る所存だ
だがしかし、介抱と聞いた***ははたと考え、そして目の前がちかちかするほどに目眩や貧血を起こして崩れる。動悸激しく、言葉は途切れ途切れだ

「こ、こはっ、どこ?」
「旅籠屋だ、失礼だとは思ったが往来で気を失ったままでは危険だと・・・私はもうでる。料金も払ってあるので少し休むといい。」
「いえっ!わ、たしが出ます・・・!」

ピシャンと激しい光に雷鳴が轟き、暗雲立ち込める空が激しい雨を落とし始めた。これには二人暫し呆然である
***は目を開いたまま窓へ近づき、そして大粒の雨に口端をひきつらせた

「・・・帰ります!」
「は!?」

この雨の中をと問う前に、***は部屋を出て行こうとしてしまう。腕をつかみそれを引き止めた土井は、絹を裂くような悲鳴に力を緩ませ振り払われて半歩下がった

「すまない、」
「ごめんなさいっ!」

台詞が被り、混乱極まった***はぽかんと土井を見つめる。この時ばかりは目の前に男がいるという現実も吹っ飛んだらしい
かくいう土井も、あまりの勢いにぽかんと***を見つめ、髪の隙間から見える黒目に微かに動揺した
へにゃりと下がった眉を見て数秒、土井は微かに笑みをこらえ、***もまた小さく笑うように息を吐き出す

「通り雨のようですから、帰るのは少し待たれてはいかがですか?」
「・・・そう、します。」

もう雨は弱まりつつある。***は承諾し、外を見ながらも、身体だけは土井を向くように壁にもたれて座った
土井は壁から少し離れて座り、同業者だったかと
***の手にある寸鉄を眺める

「あの・・・」

恐る恐る話かけた***は、普段の生活では起こり得ない状況に勇気を振り絞って声を発した。本当に、それだけで心臓が機能停止しそうだ

「私たち・・・初対面ですよね?」
「え?は、はい。」
「なぜ、その・・・声、を?」
「・・・ああ!」

女人を旅籠屋へ連れ込み言い訳があるとはいえ口吸いをしかけたのだ、土井には言われる台詞にいくつか心当たりがあったが、そのどれもが第一声とは異なった。第二声は、心当たりの一つだったが

「あれはただ、あまりに荷物が多かったので、途中まででもお持ちしようかと。」
「そ・・・うだった、のですね。」

そういえばお酒はと不思議そうにする***に自分が声をかけたせいで地面に落ちて割れたこと、気を失ったまま目を覚まさないので旅籠屋へ入り薬を飲ませようとしたことを説明した土井は、そわそわと落ち着かない姿に首を傾げた

「・・・すいません、私、男の人・・・苦手で、あ!雨、雨弱まったので帰りますお手数をおかけしました!!」

耐えられなくなったらしい***はまだ雨降る中部屋を飛び出し、慌てて戻り迷惑料ですとお酒を買い込んだ残りを置いて消える。急いで後を追った土井は、サァァと引いていく雨に空を見上げ、狐につままれた気分だと息を吐き出した