包丁が怖い、黒髪艶やかな長髪が怖い、女が怖い、白い肌が怖い、あの女が、怖い。
「怪我の具合はどうだ、***。」
「ッ、」
天使の輪をつくる黒髪の、色白少年が目の前に。顔なんて全然違うのに、あの女が僕を刺す感覚がした
咄嗟に腰をおさえた僕にどうしたと首を傾げる少年は、確か、千、違う、立花仙蔵、だ
「だ、いじょうぶ、です。仙蔵先輩。」
「大丈夫というわりには顔色が優れないが?」
一週間も入院するほどた、まだ全快していないのだろう?そう優しく問いかけてくる声が頭の中に響いて、足元がふらつく
全然違うじゃないか、別人だ。そう言い聞かせれば意外とうまくいって、貧血気味でと目をそらして頭をかく
「あまり無理をするな。倒れては元も子もないぞ。」
「そうします。えっと、では。」
しっかり休むといいと肩をたたかれ、彼は綺麗な髪を靡かせて角を曲がった
なんだか無償に彼女に会いたくなったけど、彼女はここにはいない。似た子ならいそうだけどね
「・・・そういえば、こいつ彼女とかいなかったのかな。」
自分に対してポツリと浮かぶ疑問。いるなら構わなすぎて大惨事じゃね?僕の彼女、一日メールさぼるとちょっと!ってコールしてきてたんだけど
伊作に聞こうと保健室に行って見つからず、部屋に行って見つからず、教室行っても見つからず。あとは食堂とか?と時間外の食堂にいけば中は真っ暗
うわわかんねと片っ端からトイレを見て回って、ようやく。競合地区と呼ばれるトラップ地獄地帯でトイレットペーパーを抱えた伊作と誰かが話してるのに遭遇した
思わず茂みに隠れれば、認識できなかったもう一人の声に足先まで一気に冷える
「先輩は、***がああなってしまった理由をご存知ですよね。」
「ああがどんなかは前の***と親しくなかったから知らないけど、久々知を避ける理由なら知ってるよ。」
言えないけどと苦笑する伊作と、教えてくださいと必死になるあの女の声。コロシテアゲルと言ったあの女の口から吐き出された声が重なって頭の中で木霊する
耳を塞いでも聞こえるそれに叫びそうになれば、塞いでも聞こえる現実の大声に身体が完全に固まった
「俺と***は恋仲なんですっ!やっと、やっとなれた、念願のっ・・・!なのに知る権利がないなんて!」
「落ち着いて久々知。今はまだってだけで、そのうち学園長から許可がおりたら僕だって勿体ぶらずに教え」
「***のことは全て知りたいんです!」
コイナカってなに。恋?ばか。違うだろ男同士じゃんか。全部知りたいとか気持ち悪すぎる
「***はっ、俺と共にありたいと言ってくれた、生涯ただ一人の・・・!」
言葉を選んでるのか困ってるのか、伊作は何もいわない。僕も、なにもいえない
明らかにこいなかって恋が当てはまる感じだ。なかはなんだ?仲睦まじいの仲?あわせて恋仲?
「好きなら、もう少し待ってあげてよ。」
「もう少し・・・?もう少しって、どれくらいですか?***と離れる時間が増えれば増えるほど、気が狂いそうなほど辛い・・・」
息が、できなくなってきた。苦しい。上から圧されてるみたいだ
逃げたい、逃げよう、こんなとこいられない。男同士なんて気持ち悪い狂言口にするキチガイが友達とか、この身体の主どうなってるんだよ
「僕は久々知に肩入れはできない。そうしたら、***は誰にも助けを求められなくなってしまうからね。」
「・・・俺から、***を、奪う気ですか?」
久々知?と訝しむように伊作が呼び、何を言ってるんだ、本当落ち着こう?と口にする
落ち着いてますよとどこか笑うように返すあの女が、ここで先輩を殺せばいいだけですからとあの笑い声
くすくすという笑い声の次には金属音。久々知!と叫んだ伊作があーもうって叫ぶ
びくんと跳ねるように立ち上がった僕は、驚く二人の手にある刃物にあの日がフラッシュバックした
完全に、あの日に、戻った
「やだー・・・でもさ、校長って禿率高くない?」
「うちは副校長と揃って禿率が高かった。ああはなりたくないな。」
「***のお父さん白髪タイプだし大丈夫じゃない?」
ァああ゛あ゛ぁアアアああ゛!!
「あ!あれ可愛い!」
やめろっ、ダメだダメだダメだダメだダメだっ!!早く逃げろ後ろにっ、あ、あの女がいるじゃんか!
僕の背中にぶつかるように包丁を突き刺したあの女。黒髪から覗く目が幸せそうにとろけて、女は力が入らず膝をガクガクさせる僕に抱きつく
「私のものにならないのなら、コロシテアゲル。」
ぱちぱちぱちと何度も何度も弾けた脳内は、駆け寄ってくるあの女への恐怖と憎しみとで煮えてドロドロになりそうだ
「久々知近づくな!***っ、***!」
誰かが僕を呼んで、僕は自分を探す。まるで上から光景を見ているような冷静な自分が、白いマネキンのように色をなくして微動だにしない自分を見てるだけ
「***、頼むから息をして。一体どこから聞いていたんだ。」
君にはまだ早い話題だったのにと惜しそうに唇を噛んだ伊作は、どくんどくんと心臓が身体全体とシンクロしたように震える僕を担ぎ上げ、頼むから冷静になってくれとあの女に言い残して走った
まぶたを強く押したようにチカチカする目で、僕はあの女の正気の沙汰とは思えない顔を見てしまった