「**さん!」
「は、い!」
「私はなんと言って、買い出しにでましたか?」

仁王立ちで少しきつめの声を出せば、びくりと洗濯物を手にしたまま固まった**さんは小さな声でごめんなさいと呟く
静かに足袋を洗濯板に乗せて正座をしながらもう一度謝られたものの、そうではないわ

「安静に、しているようにと・・・」
「そうです。それで、なぜ**さんは洗濯をしてらして?」
「・・・働かざるもの、食うべからず、です。」

一歩近づけば笑みを浮かべた口元がひくりと微かに引きつる。こんなにも人を恐れるこの子に、なぜ誰も手を差し伸べなかったのかわからない
あんなに優しい忍術学園の子たちが、真面目な先生方が、そしてあの人が、なぜ手を差し伸べてあげなかったのでしょうか

「**さん。」
「はい。」

怯えながらもしっかりとした声を保つこの子は、いかに危害を最小限に抑えるかを考え笑みを浮かべ、いかに人との距離を置き傷つかないために努力する
そんな努力をするほどに、この子の人生は辛いものだったのでしょう

「私は貴方に危害を加えたりなんていたしませんよ。」
「っ、わ、わかっています。」
「いいえ、わかっていません。」

ぎゅっと堪えるように口を結んだ**さんは、それでも目元に笑みを貼り付けたまま奥様のお役にたちたいのですと下を向く
役に立つ。それは**さんが如何に人として扱われてこなかったかを示すもの
誰かの役に立つことが行動原理だなんて、悲しすぎるわ

「私は便利な道具など求めておりません。」
「ッ、」

つーっと血が唇から流れて落ちて、**さんは慌ててそれを拭う
一挙一動が不審で臆病で、この子のそんな殻を少しでも取り払ってあげることができたなら

「砂糖菓子のように」

毒を孕んだ子になるのでしょう
思わず口に出してしまっていたのか、ことりと首を傾げる**さんは整った顔を間を置きひきつらせ、無理矢理笑みを浮かべて頭を下げた
私も、振り返り笑みを浮かべる

「只今帰りました、母上、**さん。」
「お帰りなさい、利吉さん。」
「お帰りなさいませ。」

随分と他人行儀ねと思わずにいられないほどに、**さんの笑みは作り物じみて違和感ばかり
もちろん、最初はこれが本来なのだと私は思っていましたが、どうやら違うようだというのは今だからこそありありとわかるもの

「母上、**さんをお借りしてもいいでしょうか?(忍術学園で、今更**さんに許しを求める声がではじめました。)」
「身体に触らない程度でしたら。(あらあら、では、見つからないようにしませんとね。)」

少し散歩に行きましょうと手を差し出す息子には申し訳ないけれど、**さんは息子を完全に怖がってるのが分かってしまって
完璧に顔に出さずに明らかに乱れた矢羽音に笑えば、母上!と焦った返しにまだまだ子どもだと微笑ましい
そんなやりとりを見ながら一歩下がってまた洗濯物へと向かおうとする**さんに迷惑ですか?と息子は首を傾げてみせる

「・・・めいわく?っ、いいえ!そんな、私で務められるか分かりませんが、同行させて頂きます。」
「いや、そんな畏まらなくていいんですが・・・」
「は、い・・・あの、洗濯物が終わってからで」
「**さん?」
「はいすみません!後は宜しくお願い致します、直ぐに支度をしてまいります。」

慌てて家へと駆けていく**さんを見送り、息子に大変ねと呟く。すぐに何のことでしょうかと返されるも、わからない母ではないのよと微笑み顔を向ければ気まずそうに顔は反られてしまう
仕事ならいざ知らず、分かり易いものね

「お待たせいたしました。」

外に行くときはと渡している男物の着物で身を包む**さんは、傘を深く被り顔を隠す
本当にいいのだろうか?と不安げに改めて息子が差し出した手を見つめて一呼吸、歩けますからと貼り付けた笑みのまま答えてしまう

「転びそうになりましたら利吉さんを下敷きにして構いませんからね。」
「い、え、転ばないように頑張ります。」
「母上、**さんを困らせないで下さいよ。」
「本当、可愛らしい方ね。」
「知ってますから、**さんが反応に困ることを言わないで下さい。」
「ふふふ。」

きょとんと私と息子を見比べキョロキョロ周りを見渡して漸く自分のことだと理解できた**さんは、一瞬困ったように笑い直ぐにいつもの微笑みへ

「じゃあ、行ってきますからね。」
「気をつけて。」
「はい、出掛けてまいります。」

きれいな角度で頭を下げた**さんを懐かせるには、未だ時間が必要でしょうね。