理解は彼方‐3


 地獄絵図と化した森を抜ければ、何者にも遮られない昼の空が、ヴァルハとヴィレンを出迎えた。眼前には竜の名を持つ大河、その更に向こうにはユーリット山脈が聳え立っている。
 ようやっと人心地付き、ヴァルハは久し振りに地面へ降り立った。愛馬に怪我がないか確認し手綱を放せば、水分補給の為指示せずとも川辺へ向かう。

「目立った雲はねぇが、思ったより時間かかったな」

 ヴィレンも同じように馬を放ったのだろう。地面に座り込み地図を睨む様子は、相変わらず研究所所長の肩書きからかけ離れている。所作も言葉遣いも粗暴その物だ。不要な苛立ちを感じないよう、ヴァルハは彼方の山脈を睨み付けた。

「誤差の範囲内だ。それよりも、貴様本気で山越えする気か」
「あ? 何だ、一人じゃ不安か? 付いてってやろうか?」
「優秀な頭脳だけが取り柄でありながら何故そのようなトチ狂った仮定を導き出せる? 発作か?」
「……もういい。お前と話してっと頭痛くなるわ」

 つくづくこの男は理解し難い。通行証さえ所持すれば、身分を隠した上で街中から出国出来る物を。危険な山越えを選択する神経は、その実常人離れした頭脳と直結しているのだから、余計に救えない。

「予定外に馬使ったから、走らせても麓までだ」
「なら此処までだ。私は街に下りる」

 ヴィレンはその場で服と鎧を脱ぎ捨て、より軽微な物ーー普段纏っている異国の服に着替えた。上着の裾は短く作りも簡素で、薄い脛当て以外防具は何も身に付けていない。
 肩甲、篭手、胸当て、脛当て、鉄靴まで装備したヴァルハとは正反対だ。馬の負担は減るだろうが、防御力の低下は致命傷に繋がる。それを理解した上で進むのだから、やはりこの男は救えない。
 馬がヴァルハの背を押す。日頃から世話をしている愛馬の要求は、瞳と息遣いで理解出来た。丁寧に鬣を梳いてやれば、満足したように円らな瞳を細め、礼の代わりにまた鼻先を押し付けて来る。すぐ横で主人の耳を齧る青駁毛のフリームとは大違いだ。
 一瞥すれば、耳を押さえたヴィレンが呻いている。己の愛馬がもう片方を狙っていると気付いていないようだ。気付いていないのなら、仕方ない。

「利口だな、フリーム。そのまま引き千切れ」
「ヴァルハ!!」





 胡桃を転がすような、何処か間の抜けた鳴き声で、昼蝙蝠が帰還したと気付く。

「アッシア様ー! そいつ何とかして下さいよ!」

 大急ぎで駆けて来るギデオーグを置き去りに、長い付き合いの昼蝙蝠はアッシアの腕に止まり羽を休めた。やっとの思いで追い付いたギデオーグは、疲れている様子だから小屋へ運ぼうとしたのに、頭を突かれ足で蹴られ逃げられてしまったと嘆いている。

「諦めろ、こいつは気難しい」
「そりゃ、昼蝙蝠の中でも特別猛禽類寄りの大型ですから、分かってるんですけど……でも俺だって餌やったりしてるんですよ! もうちょっと懐いてくれたって!」

 どちらかと言えば、その両肩と腕に乗せた昼蝙蝠を警戒しているのでは。喉元まで競り上がった言葉は、面倒になったので飲み込んでおいた。
 ギデオーグは遊牧民族の出だから、こう言った獣の扱いには慣れている。気位の高い猛禽寄りの昼蝙蝠を、一度に数匹使役出来るのだから大した物だ。それでも、アッシアの愛鳥はどうも彼に不満があるらしく、どれだけ正しく接しても心を許そうとはしない。

「こいつも文を預かった時は特別神経質になってるんだ。……そら、大人しくなった。小屋まで運んでやってくれ」

 足に括り付けられた文を外せば、剣のように尖っていた昼蝙蝠の瞳が、ようやく和らいだ。嘴の付け根を擦り、労いの言葉をかけてやる。

「……イリさんからですか?」
「ああ。おい、当然のように覗くな。とっとと昼蝙蝠の世話しろ」
「いいじゃないですかちょっとだけ、どんな連絡かだけ! 俺もサンザとその他のこと気になってんですよー」

 何気ない会話でもユキトの名前を出さない辺り、馬鹿だが頭の回転は悪くないのだと思う。預けた昼蝙蝠に眉毛を毟られてはいても、恐らく。
 広げた紙には、意味のない文章が綴られていた。暗号の解読法は熟知しているが、毎度毎度変えて来る筆跡ばかりは見慣れない。どれもイルクシュリが一人で書き分けているのかと思うと、その器用さに最早身震いする。

「サンザは全部持って移動中だ。大きな問題はない。コリンスに関しても、自害の心配は一先ず消えたようだな」
「そりゃー良かった。後追いで一家全滅なんて、後味悪いですもんね」
「後は、イリが出発、……」
「……ん? どうしたんですかアッシア様」

 思わず文を握り潰せば、ギデオーグと四匹の昼蝙蝠が同時に首を傾げた。
 どうせ読み終えたらすぐに焼却処分する文だから、内容さえ把握すれば、どう扱っても構わない。そう言い訳しながら、指先により一層力を込める。
 インクの染み込んだ紙が、乾いた悲鳴を上げた。ギデオーグがいなければ勢いのまま放り投げていたかもしれない。

「犬」
「は?」
「犬拾ったから、育ててもいいか、だと」
「……イリさんが? 犬? え、それ絶対本物の犬じゃないでしょ」
「当たり前だろうが本当に犬拾ってんならあいつの鼻から口に通した縄引っ張って城下一周させてやる」

 ギデオーグが身震いしているが、構ってはいられなかった。
 犬が何を指しているのかはまだ不明だが、何かーー恐らく人を拾ったのは確かだろう。しかも、育てていいかと問うている。事実をそのまま記すことは出来ないが、早々にアッシアへ連絡するべきだと判断した、そう仮定すればますます疑惑が深まった。

「女ですかね」
「だったら泣いて喜んでやる」

 もし本当にいい相手が出来た報告であれば、後から殴りはするがどれだけ楽か。空いた手で目元を覆えば、米神と後頭部が一気に痛み出した。どれだけ楽天的な仮定を組み立てても、結局は泥沼の結論に落とされる。

「いや、ないとは言い切れませんよ、八年経てばイリさんもそろそろ次考えたって、」

 指の隙間から睨み付ければ、昼蝙蝠が一斉に飛び立つ。自分達に敵意が向いたと勘違いしたのだろうか。だとしたら悪いことをした。
 ギデオーグは大して怯みもせず、自慢の大口を真一文字に結んでいる。馬鹿だが、頭は悪くないのだ。だから、何も考えず今の発言をした訳ではない。

「……事実じゃないですか、アッシア様」
「俺等が口挟めることか? いいからそいつ等連れて戻れ。飯もまだだろう」

 海のように深い瞳から、分かりやすく視線を逸らす。そうして手を振れば、無理矢理な会話の中断でも、ギデオーグは潔く引き下がるのだ。どれだけ気さくに接しても、主従の関係を忘れるような愚行は犯さない。
 ギデオーグも、イサルネも、だから選んだ。
 口笛一つで昼蝙蝠を呼び戻し、深く一礼してからギデオーグは踵を返した。遠ざかる背中は真っ直ぐ伸ばされている。こう言う時、イサルネならつい不満を滲ませてしまうのだろう。
 寄り添う二人の違いを思えば、ほんの少し気分が楽になる。鈍い頭痛も、懐かしい惨劇も、今は必要ない。さっさと執務室に戻り、イルクシュリへの返事を用意しなければ。
 ーー飼ってもいいが、どんな毛色か一度見せに来い、と。


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