実る過去と枯れる未来‐4


 シャーディを発ってまだ半日。一度街で買い出しをしたが、宿へ入ることもなくそのまま山中を突き進んでいる。後丸一日は野宿になるらしい。王連院の動向が確認され次第、街へ向かう。これも、らしい・だ。
 言われるがままでしかいられない中、やっと腰を下ろし落ち着くことが出来たのだ。疲弊した頭を抱え、炎を見ながら、懐かしい記憶を巡っていた。
 コリンスと出会い、ふと自分の未来を思えば。嫌でもあのやり取りが浮かんで来る。

「クガの木を混ぜましたね」
「え……そ、そうだったかな?」
「油分が多くて破裂しやすい。先程貴女の頬に直撃した破片が何よりの証拠ではないでしょうか」

 頬を擦れば、淡い痛みがにじり寄って来る。成る程。確かに。やってしまった。
 今まで薪集めなんて嫌と言う程こなして来た。野宿の経験もほとんどなく、何もかもサンザに任せっきりなのが心苦しくて、手伝いを申し出たのが間違いだった。考え事をしながら焚き火の準備なんてする物じゃない。
 ユキトになど目も暮れず、サンザは淡々と処理を進める。謝罪の言葉で彼の怒りは鎮火しないようだ。何か手伝おうか、の真ん中辺りまで発した所で、いきなり視界が暗闇に覆われる。
 顔面で受け止めた感触は、すぐ様太股の上に移動した。微風に吹き飛ばされそうな三つの封筒。持ち上げ、観察するが、何を意味するのかさっぱり把握出来ない。

「もう面倒臭いので今渡しておきます。イルクシュリから、落ち着いた時に見せろと言われました。カトンの預り物です。他の荷物は、量があるので宿に着いてから」

 明らかに今渡すのはおかしいだろう。落ち着いた時にと言われたなら、せめて街へ下りてから。そんな追求はクガの木より早く弾け跳んだ。
 カトン。一生の始まりと終わりを過ごすと思っていた街。今までの人生は、全てあの宿場町の中で送られて来た。封筒から漂って来る酒の香りが、荒くれ者達の喧騒を思い起こさせる。

「貴女が働いていた酒場の店主夫妻と、住んでいたアパートの大家と、後は……婚約者からの、手紙です」

 丁寧に開封しようといていたのに。その後は届いたままの状態で大事に保管しようとしていたのに。
 送り主を先に並べる者だから、勢いのまま真一文字に引き裂いてしまった。

「こっ、こっーーー!!」
「子豚の次は鶏ですか? ならとっとと卵産んで下さい」
「婚約! 者! じゃ! ない!!」

 熱の残る灰を踏み、痛みに思わず仰け反りながらも、薪を組み上げるサンザに突進した。夜の闇が辺りを覆う中、焚き火は消され光源と言えばランプ一つだけ。服が掴めるくらい近くに寄らないと、相手の表情など微塵も窺えない。

「だだだだ誰から聞いたの!? イリさんか! じゃあイリさんは誰から!?」
「何を慌てているんですか。隠す必要もないでしょう」
「婚約者なんかじゃないから! 周りが勝手に言ってるだけだから!」
「……そう言うのを婚約者と言うのでは?」

 あっと言う間に焚き火の準備を終え、サンザはランプに手を伸ばした。まずい。このままでは、さっさと寝ろと言って会話を有耶無耶にされてしまう。
 ユキトはサンザの腕に飛び付くと、逞しいそれを両手で抱え込み、あらん限りの力を籠めた。

「だから違う、違うって! 将来的にそう言うのもどうだって話が出てただけで、相手だって困ってるみたいだったし、手続きしてた訳でもないし、本当だって!」
「どうでもいいですから邪魔をしないで下さい」

 ユキトの限界は、サンザのお遊びなのだろう。あっと言う間に引き剥がされ、サンザが腰掛けていた枯れ木に激突した。
 ああ、一体誰だイルクシュリに余計なことを吹き込んだのは。自分がいなくなったことで立ち消えるかと期待していたが、逆に話が進む可能性もあったのか。内側と外側、双方からの痛みがユキトの米神を襲う。

「身寄りのない若い女性に、早く相手を宛がおうとするのは当然のことでしょう」

 火の爆ぜる音が静寂を食らう。薪を炎が包み、橙の明かりと共に仄かな温かさが周囲に広がった。

「そりゃ、そうだけど……向こうも乗り気じゃないみたいだったし……」
「さっきから“みたいだし”ばかりですね。どうせ直接拒絶された訳でもないのでしょう」

 見事に言い当てられ、ユキトは口を噤むしかなかった。
 酔った男衆に囃し立てられても、困ったねと簡単に流していた。真剣ならもっと話し合おうとしたはずだ。ーーそんな仮説は、自身の発言によって否定される。
 十六になったらちゃんと考える。事ある毎にそうやって問題を先送りにしていたのは、ユキト本人だ。

「まあ、貴女が、ちゃんと、断っていたのなら、問題ないでしょう」

 子供の癇癪をあしらうように、振り向きもしないままサンザは吐き捨てる。
 こんな状況で手紙なんて読めるはずもない。封筒を胸に抱きながら、ユキトはサンザのうねった髪の毛を睨み付ける。風のない夜、解かれたそれは腰上まで届いていた。

「帰ったらちゃんと断る」
「私に宣言してどうするんです……いつ見付かるかも分からない相手を放流していいんですか」
「いっちいち余計なの色々なことが! サンザこそ、人のこと詮索する前に自分のこと考えたらどうなの! もういい年でしょ!」
「こんな職に就いていて、考えられませんよ」

 そう言い捨てて、サンザは立ち上がった。新しい薪を集めに行くらしい。
 項垂れたまま膝を抱える。仕組みは分からないが、ユキトに危険が及べばすぐ色霊が発動するらしい。使い手が離れても勝手に動いてくれるなんて。つくづく、底の知れない能力だ。

「色霊師は恋人作っちゃダメなの?」
「そうではなく。……何かと面倒でしょう」

 面倒とは、何がだろう。所在が掴めない所だろうか。命の危険を伴う所だろうか。そんな物、一般の兵でもありえる話だと言うのに。それともサンザは思っている以上にーー
 そこまで考えて、口内と胸中に形容し難い苦味が広がった。サンザの恋愛事情など考えるだけで身震いする。だがこちらから話を振った以上、このまま無言になるのも臆したようで気に食わない。

「じゃあさ、色々終わったら作るの?」

 何気ない質問だと思ったのに、ユキトの真横で、サンザはその足をピタリと止めた。
 見上げれば、青緑の双眼が頼りなく浮かんでいる。無言のままなのに表情は疑問に満ちていて、思わず首を傾げてしまった。何が。お互い視線で問い掛け合うと、呆れたように背後で薪が崩れる。

「だ、だから……戦うか、そう言う仕事しなくてもいいって、自分で決められるように……なったら……」

 どうするの?
 浮かんだ最後の言葉が、ゆっくり沈んで行く。行く先は、泥か灰か。
 サンザは微かに瞠目したまま、息が詰まる程ユキトを凝視している。青緑の瞳が、相変わらず宝石のように闇夜で瞬いていたが、いつものような威圧感もふてぶてしさも感じられない。
 これは迷子の瞳だ。
 帰る家は覚えているのに、そこまでの道程を他人に説明出来ない、見知らぬ土地に放り出された迷子。目の前の男には枠組みをどう歪めても当てはまらない、実物とかけ離れた印象が浮かぶ。
 戦わなくて、良くなったら。
 平穏を、自分で選べるようになったら。
 ユキトの問いに答えることなく、サンザは木々の間へ消えて行った。暗闇の中をああも容易く進んでおいて、平和な未来に、彼は迷うのか。


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