第九話「嘘つき達の空中戦‐3」


 リュディガーは椅子から立ち上がり、揺れる包帯に手をかけると、はみ出した部分を丁寧に元の箇所へ巻き付けた。
 男ーーヴィオビディナ王国次期国主、フィーシィ・フォー・レックスは、微かに呻いた後がくりと肩を落とす。

「申し訳ありません……」

 扉の外にはフィーシィの側近が待機しているが、包帯の処理くらいリュディガーでも手伝える。彼も元は実働部隊の隊員。応急処置の訓練は嫌と言う程行って来た。

「どうかお気になさらず。体調が優れない中ご足労頂いたのですから、本来我々が御礼を申し上げるべきです」
「お優しいですねツァイス殿は。今まで面会して来た方のほとんどは、無視するか、良くて付き添いを呼ぶ程度です。そもそもこうして直接お会い頂ける時点で、私にはもったいない程の待遇です」

 顔の下半分、首、掌。微かに覗く手首や足首さえも、包帯が隙間なく覆い隠す姿は、確かに一般から見れば異様だった。しかもそれが、軍部に支配された傀儡の王子となれば。周囲から注がれる好奇の視線は、常人の比ではないだろう。
 包帯の下、灰色に変色した肌が、蛍光灯の光で固い艶を帯びる。唇は深く罅割れ、リュディガーと会話する際も必要最小限しか開閉しない。それでも時折、皮膚の裂ける痛みに顔を歪ませていた。

「祖父、父、ーー三代に渡り、半世紀以上抱えて来た悲願の為です。如何なる痛苦にも耐えてみせましょう」

 病に冒された哀れな王子。軍部に実権を奪われた最後の王族。
 同情を誘う情報に埋もれながら、その実、虎視眈々と銀の瞳を滾らせているのだからーー侮れない。

「失礼を承知で。そのお姿は、後天的な物でしょうか」
「……やはり勘が鋭いですね。仰る通り、これは、薬品や細菌を使って保っているのです。死なない程度、一目で非力かつ異端と評されるように」

 ヴィオビディナの王族は、八十年前の第一級兵器災害を境に、急速に力を失った。資源の採掘権を軍部に奪われ、現在の生活レベルは一般市民と大差ないと言う。
 それでも軍部は、かつての栄光が王族に舞い戻ることを恐れ、生かさず殺さず飼い殺し続けている。いっそのこと根絶やしにされていれば、フィーシィも生き地獄を味わわずに済んだのだろう。

「この体でいれば、静養と治療の為、国外に出ることも許されます。完全に無力だと認識されているのです。その認識を植え付ける為、ーー五十年かかった」

 現国王は、何を思い、実の息子の皮膚を焼いたのか。先代の国王は、何を思い、暴君と己を偽り処刑されたのか。思いを馳せるには何もかもが足りない。だが、文字通り血の滲むような努力だったのだろう。
 全ては、国を取り戻し、あるべき姿へと戻す為。

「貴方達王族の努力があったからこそ、今回の作戦は成り立ちました。心より感謝致します」
「お互い利益があってのこと。その分、IAFLYSの方達には多大なご迷惑をお掛けします」
「それは貴方も同じ条件では? 軍部が倒れれば、国民にも多大な被害が出るでしょう。ーー心が痛むのでは?」

 フィーシィはリュディガーを見つめ、微笑んだ。眼球にも影響を及ぼす人工の病。体調によっては、相手の輪郭しか捉えられないのだと言う。

「彼等は思考を放棄しました。何故周辺国と比べ税率が異常に低いままで、財政が潤っているのか。何故一国の軍部がここまで力を付けたのか。分かった上で、自分達は一般市民だから、どうすることも出来ないからと、目先の豊かさに溺れた」

 今、語る彼の姿を見て、何人の国民が傀儡だと嘲笑うか。
 溶け出した蝋のような男だとリュディガーは思った。炎と無縁の色味でありながら、内側に籠もる熱と、冷え切った後の硬質な無情を併せ持っている。
 フィーシィは、確かに王だ。
 国民が望まずとも、彼は歴史に裏付けられた確かな王だ。
 ーー仮初めの自分とは違う。

「私の夢は祖国ヴィオビディナを取り戻すこと。救うことは、目指していません」

 作戦開始まで二週間を切った。次にフィーシィの姿を見る場所は、こんな隠された部屋ではなく、白日の元だろう。
 リュディガーが差し出した右手に、フィーシィはあきらかに戸惑って見せた。彼の立場と境遇を思えば真っ当な反応かもしれない。爛れ変色した皮膚を持つフィーシィに、自ら握手を求める外部の人間が、今まで何人いたのか。

「今のヴィオビディナは腐敗している。国王の志に賛同し、助力すると誓いましょう」

 半ば強引にフィーシィの右手を取り、しっかりと握り締める。打算と利益に塗れた協定だが、力を尽くす意志に偽りはない。
 外見が歪であろうが出生の全てを偽っていようがあるべき物が欠けていようが己の異質を飲み込めずにいようが。戦力のピースとなるのなら何だって利用してみせよう。フィーシィは、この先欠けるヴィオビディナの頂に当てはまる。だから力を貸す。
 安い涙やお高い理想より、よっぽど信用出来るだろう?

「ーー貴方の部隊は、翼だけでなく、鋭い嘴も爪もお持ちのようで」

 今までにない不適な笑みだった。確かな歩み寄りを感じたと同時、リュディガーは左手を、包帯が覆う手の甲に添えた。



[ 61/71 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -