第一話「青の撃鉄 銀の翼‐3」


 爛々と輝くジャックの瞳は、眩い金色だ。まどろむ猫のように細められていても、奥底に宿る鋭さは隠し切れていない。
 机に顎を乗せふてくされるフェルディオは、感謝の念をほんの少し思い出した。

 IAFLYSの基地なんて、そうそう立ち入る場所ではない。しかも目的が上層部からの事情聴取なんて。からかわれてイラつきもしたが、友人であるジャックが顔を見せてくれただけで、内心救われている。

「……死ぬかと思ったんだって」
「知ってる。良かったじゃねぇか、結果オーラーイ」

 整備士とは思えない程逞しい腕を組み、何故かジャックが得意げな笑みを浮かべる。こうして不敵な面構えをしていると、グンと年上に見える。普段はそれこそ、構いたがりの猫のように人懐っこく見えるのに。

「結果だけ見れば、な。あー本当に今日で終わるんだよな聴取……これ以上続くと毛根死滅する……」
「ヘルメット被りやすくていいんじゃね?」
「うっせぇな! だったらお前の毛も帽子被りやすいようにむしってやるよ!!」
「はーお前マジ八つ当たりとか止めろよな! この癖っ毛は俺のトレードマーク、」

 机と同じく簡素な造りの椅子が、例に漏れず安っぽい音を立てて倒れる。
 子犬の一匹や二匹匿っているのかと疑う程、ジャックの髪は量が多い。掴んでやろうと右手を伸ばすが紙一重で交わされた。

「何逃げてんだよ陰毛!」
「お前ん中の人体知識どうなってんだよ! 頭皮から陰毛生えてくんのか!? 世界中の人間露出狂になんだろ!!」
「ジャックは元々露出狂だから関係ねーだろ!」
「脱ぐのは酔った時とテンション上がった時だけだよ!」
「それが露出狂だっつーんだよテメェん中の基準こそどーなってんだ!?」
「なら聞くけどよ、テメェ等ん中の基準じゃ、人が飯食う机土足で踏んでいいコトになってんのか?」


 ああ、いい声だな。

 思った時、既に世界は反転していた。
 足に力が入らない。ジャックの黒髪が机の下へと消えて行く。叫ぶ間も与えられず、一瞬の滞空を経て頭が床に抱き留められた。

「いいぃってぇえええええ!!!」

 強かに打ち付けた後頭部を抱え込む。調味料のシミがこびり付いた床の上を、芋虫のように転がった。
 涙で滲む視界の中、ジャックも同じようにのた打ち回っている。向こうが抱えているのは、後頭部でなく尻だが。

「アルベルトぉ!! いきなり足払いはねぇだろ!!」
「は?」
「ちょっ、待っ、いてっ、」
「部外者がいる時どーしろっつった? とうとう陰毛が脳みそまで浸食したか? 引っこ抜いてやろうか? あ?」
「スイマセンでしたララインサル隊長!!」

 謝罪を繰り返す必死な声。苛立ちが滲み出た低い声。飛び交う怒号と悲鳴を、仰向けになったまま聞いていた。

 ――室内なのに青空が見える。

 荒唐無稽な感動が浮かんでしまう。まだ衝撃で脳が揺れているらしい。それでも綺麗だと思う。生きるか死ぬかの大空で見た、青を切り裂く銀の光景が、また目の前に広がっていた。
 何度も目を瞬かせ、震える視界を静止させる。青空じゃない。青い、軍服。戦闘機の銀じゃない。背中へ流れる、糸のように細い銀髪だ。
 確認を終えた瞬間フェルディオは絶叫した。机にも椅子にも頭をぶつけ、足を震わせながら立ち上がり、肩が外れんばかりの勢いで敬礼する。
 立ち上がってもなお頭上にある銀の瞳が、引きつる口角に向けられた。気が、する。

「しっ、失礼っ致しました、ララインサル隊長!」
「だったらまず机拭け、そこに布巾あんだろ。ジャック! テメェもだいつまでも転がってんじゃねぇ!」
「えっ、アレっ踏んでくれねぇの? 俺待ってたんだけっ」
「とっととやれボンクラ共!!」

 軽口を叩くジャックファルと対照的に、フェルディオは半泣きで布巾に飛び付いた。
 同じIAFLYSに所属しているとは言え、エースパイロット相手に何であんなにふざけられるんだ。
 机を力一杯拭いてから、再び敬礼した。放り出した布巾が激突したようでジャックの悲鳴が聞こえて来る。だが、そんな物どうでもいい。

「清掃完了致しました!」
「……おお……今拭いたの、お前が足乗せてねぇ所だけどな」

 直接対峙するのはこれで二度目だ。
 国防軍所属独立航空遊撃部隊――通称IAFLYS。精鋭が集まる部隊の第一分隊隊長、それがこのアルベルト・ララインサルだ。一般空軍所属でも皆名前くらいは知っている。異例の早さで分隊長に出世した、「国防軍」のエースパイロット。
 顔が強張る。息が止まる。一度顔を合わせ、一度空の上で交差したくらいでは、緊張が解れるはずもない。
 アルベルトは怯えるフェルディオを一瞥した。切れ長の瞳が、何を思い動いているかなんて、予想するだけ無駄だろう。

「ジャック、椅子元に戻しとけよ。後休憩時間終わってんぞ。班長がスパナ振りかざして走り回ってっから何とかしろ」

 また悲鳴が聞こえたが、今度はさっきの数倍の声量だ。
 ジャックは布巾を掴んだまま、目にも留まらぬ速さで食堂を飛び出して行った。
 噴き出しそうになるのを何とか堪える。だが、廊下から甲高い怒号と悲鳴が聞こえて来て、とうとうフェルディオは笑声を吐き出した。無理矢理口を閉じようとしたせいで、ヨダレまで付いて来る。

「おい汚ぇ」
「ひょあああスンマセン!!」
「拭いとけ。――馬鹿っ、布巾使うな! 焦り過ぎだろ!」

 エースパイロットの前でヨダレを噴射してしまった。無慈悲な現実に思考は停止する。
 布巾に伸ばした手が、行く当てもなく宙をさ迷った。ただでさえあの戦闘で醜態を晒してしまったと言うのに。ヨダレの次は涙が零れそうだ。恐る恐るアルベルトに視線を戻せば、形容し難い表情のまま固まっている。



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