第六話「対者の釘‐5」


 酸素マスクの圧迫と、ヘルメットの重量と、インカムの違和感から解放される。キャノピーが開け放たれれば、一気に外気が機内へと流れ込んで来た。夏場は、気温の面だけで言えば天国から地獄への転落だ。空調の聞いた空間から、高温で揺らぐ滑走路へ降ろされる。今はまだ心地好く思える風も、後一ヶ月程で熱を孕むようになるのだろう。
 数多の視線が一気に絡み付いた。部外者へ向けられる、疑念と畏怖の刃。
 慣れた訳ではない。だが、怯む優しさもない。乱れた髪を適当に整え、パイロットスーツのファスナーを下げながら、突き刺さる敵意のど真ん中を突っ切った。
 ーー全く。威嚇するなら、もっと上手くやれ。

「下手くそ」

 吐き捨て、滑走路脇のエプロンへ立ち入った所で、自分より頭一つ分は小さい隊員が歩み寄って来た。力の抜けた肩、膝を置き去りにするような歩き方。慇懃無礼を体現したような態度に、嘲笑すらもったいなく思える。

「一般空軍第五飛行部隊部隊長、ヨニ・イホ殿ですね。ご案内致します」

 この敬礼がフェルディオなら、尻に蹴りの一つでもお見舞いしただろう。角度が甘い。静止が短い。喉元で押し潰し、更衣室の場所を尋ねれば、そのままどうぞと目も合わせず返される始末。
 ゴミのように扱われた経験ならそれこそ星の数程だが。急速に冷えて行く心臓は、この先どれだけ痛め付けられるのだろうか。
 先を歩いていた隊員がふと立ち止まる。合わせて歩を止めれば、一直線に切り揃えられた毛先を揺らしながら、心底面倒臭そうに振り向いた。

「ああ。そうだ。一応。ようこそ。ゴミクズだらけの遮断区域へ」
「……それは、歓迎の言葉と受け取っていいのか?」
「ああ、いえ。やっぱりお気になさらず」

 唾の一吹きや二吹き浴びせてやっても問題ないだろうか。淡々と歩行を再開した隊員の背中に、次こそは何かしらブチ込んでやると決意する。
 次。この先に済むラスボスを、片付けた後なら。

「さてさて。着きました。さぁどうぞ」

 基地の内装、設備は、遮断区域外の物と同レベルだった。会議室の扉も、網膜認証とコード認証で滑らかに稼働する。室内は長机が片され、正面に簡素な作業机とパイプ椅子が一組用意されているだけだった。明らかに自分が腰掛ける物ではない。
 部屋に扉はもう二つ。一つは器材の収納用、もう一つは奥の準備室へ続いているのだろうか。

「そんな警戒しなくても」

 ヨニが入室したのを見届けると、隊員はドアノブに手をかけた。どうやら本当に案内だけが目的だったようだ。名も告げず、詮索もせず、ヨニが伝えた礼に形だけの謙遜をして見せた。

「ではでは。上令もすぐいらっしゃいます。ご武運を。ヨニ隊長」

 扉が閉ざされる。電気くらい点けて行け、今度は悪態をしっかり口にし、端末の明かりでスイッチを探し出した。電灯はあっさり光を発したが、端末を見て溜め息が零れる。
 アンテナが一本も立っていない。通信データを確認するが、全て電波不良で接続出来ない状態だ。

「……隠蔽にはもってこいな立地だな……」

 遮断区域。八十年前の残骸が押し込まれた、正体不明の墓場。この場で任務に当たる物は少数かつ精鋭、情報の流出を警戒しているのは一目瞭然だった。極稀、本当に極稀に、一般空軍が応援として配属されることもある。全て、部隊単位の招集だったが。
 さあ何が出る。あの上令から遮断区域へ直々の呼び出しだ。この時期に、ヨニ一人が。尋問か、買収か、ーーあるいは告げ口か。
 壁から背を離し、すぐに体を反転させる。扉と真正面から向き合い、誰の見本にもなれる完璧な敬礼で、上司を出迎えた。





 あの空に美談など存在しない。
 そんな物、一発の弾丸と一筋の硝煙で打ち消されてしまう。
 美しい理由を望むのはいつだって見上げている人間だ。
 なら全て、焼き切ってしまえ。
 私が望んだこの炎で。





「あれが……通常運転ですか」
「あれが……そうだ」
「……スゴいですね」
「……スゴいだろう」

 今の二人を見て、事情を知らぬ者は何と思うか。多くの人間は、上官にこってり絞られたのかと哀れむだろう。それ程までに疲弊した。何も読めず、真意と偽りの間を何往復もさせられ、結論もないまま放り出されるのがこれ程辛いとは。

「結局総司令は俺の意見を聞きたかっただけなんですか? それとも軍服と襟章忘れたの誤魔化そうとそれっぽい話題振っただけ?」

 明確な返答もないまま、チータは無駄に凛々しいな面持ちで正面を凝視していた。若干口元が歪んでいる辺り、答えに困っているのだろう。

「ガスパール総令のことは、深く考えない方が、精神的に幸せだと思う。天然と言うか、何と言うか……不思議な人だから」
「マジかよチータさんにそれ言わせるとか本物じゃん」
「え?」
「うわっ、スイマセっ、」

 後先考えず発した失言はそれ以上言及されず、代わりの話題がチータから差し出された。

「フェルディオ、ガスパール総令の告げ口を聞いていたのだろう。エラントがやらかしたと」
「あ、ああ、はい……申し訳ありません」
「喫煙室での会話だ、聞かれて困るのならそれは話し手の不注意だろう。そもそも、総令は君に聞かせたかったようだ」

 チータから話を振って貰えて、正直助かった。
 エラントがやらかしたと聞かされ真っ先に浮かんだのは、十年前の旧南ヨーロッパ地区航空テロだ。遮断区域からの流通緩和政策に抗議するデモが狙われ、百人以上が犠牲になった。エラントが公式に犯行声明を発表している物の中では、トップクラスの惨事だろう。

「……まだ公式発表はされていませんよね。やらかしたって表現が気になります」
「恐らく水面下の話だろう。ヴィオビディナが絡んでいたなら、十中八九表には出て来ない」
「絶対あそこですよ。安定した資金源がないと、エラントみたいな一介のレジスタンスがあそこまで高性能な戦闘機入手出来る訳ないですもん!」

 ヴィオビディナは世界屈指の資源産出国だ。兵器災害により多くの国土が閉鎖された今、資源を有する国家の発言力は八十年前以上に増している。
 あの国には黒い噂が絶えない。国防軍が使用する燃料の多くがヴィオビディナに依存し、強制的に捜査出来ない現状を歯痒く思う者は、フェルディオだけではないだろう。

「ヴィオビディナと繋がったか」
「エラントが繋がっているのは、もう確定なんじゃないですか? だから、それ以上の何かを……手に入れた、とか」


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