第四話「傲慢な線引き‐7」


 その気になれば頭突きが出来る距離で足を止めた。フェルディオは殺虫剤を浴びた害虫のように、忙しなく四肢を動かし、言葉にならない呻きを漏らす。

「シャンとしろ! 背筋を伸ばせ! 敬礼っ!」
「はっ、はい!!」

 敬礼の角度だけは素晴らしい。前部隊の教育が良かったのだろう。顔に力を入れるよう躾てくれていれば、言うことなしだったのだが。

「私は貴様の能力を、データ上の数値でしか認識していない! 私が軍人を評価する基準はただ一つ、実力だ! それを把握もしないまま、好きだの嫌いだの判断出来る訳もないだろう! 違うか!」
「そっ、の通り、で、す……?」
「現在得た判断材料はアスファルトの上で女上官からの蹴りを待ちわびていたあの醜態だけだ! そんな段階で、貴様からパイロットとしての覚悟を感じ取れると思うか!」
「それについては本当に申し訳ありませんでしたぁ!!」

 一呼吸でまくし立てたビセンテと、一呼吸で腹の底から声を振り絞ったフェルディオ。二人は同時に沈黙し、酸素の摂取に専念した。
 背後から突き刺さるような視線を感じる。フェルディオの引きつった笑みを見る限り、ジャンの物で間違いないだろう。

「……あのさ、君達結局何の話してるの?」

 冷静に指摘され、唇を噛み締める。フェルディオは「あの」だの「その」だの口ごもるばかりで、反論もして来ない。また苛立ちが募る。しっかり前を見ろ、堂々と背筋を伸ばせ。
 分かっている。自分は普通になどなれない。そしてフェルディオもジャックファルも、その普通を当たり前のように知っている。

「それが、何だと言うんだ」

 呟きがフェルディオの動きを止めた。睨むように視線をぶつけ、唸るように思いを吐き出す。

「一般空軍の出だろうが何だろうが、私には関係ない。現在の貴様を評価する。IAFLYSたる覚悟があればそれでいい。覚悟があると実感出来ない以上、最大限厳しく接する。以上だ」

 フェルディオは、子供のように破顔した。
 何故笑うのか理解出来ない。女であれば蹴られてもご褒美になると言っていたが、叱咤されてもフェルディオは喜びを感じるのか。
 やはり理解出来ないと数歩後退れば、緊張が緩和されたのか、笑顔は更に輝きを増す。背中には今度は笑声が突き刺さった。目の前でフェルディオ、背後でジャンが笑う。怒鳴りたい気持ちを、拳の中で握り潰す。

「はい! 認めて頂けるよう、精進致します!」
「ビセンテちゃん先輩らしーかっこいいー」
「ふざけているのか貴様は」
「あっ、そうだっ、ビセンテさん、ジャックにはちゃんと俺から言っておきます! 大丈夫でした? 揉めませんでしたか?」

 茶化すジャンを睨んでいる最中、的外れな問いが投げかけられた。数秒ジャンと見つめ合い、互いに瞳を瞬かせた後、ゆっくりフェルディオへ爪先を向ける。照れ臭そうに頭を掻く姿が何とも薄気味悪い。

「……言っておく、とは、何だ?」
「いくらビセンテさんが美人でも、人の彼女に手出したりしないって!」

 背後から破裂音のような物が聞こえ、見ればジャンが崩れ落ちていた。ああ、あの頭と地面を同化させてやりたい。今すぐ踵を振り下ろしてやりたい。
 こちらの沈黙をどう受け取ったのか、フェルディオは意味あり気に何度も頷く。分かってます、とでも言いたげな表情だ。職場恋愛だの、周りには秘密だの、勝手に話を進め続ける。

「だからってジャックもあんな牽制の仕方しなくていいのにね! 男の嫉妬はみっともないですよ! あっ、俺はもちろん応援しますから! 二人お似合いですもん!」
「ひっ、ちょっ、フェルっ、ディ、止めっ! お腹痛いもうヤダ!」
「え、ジャンさんどうしたんですか?」

 何故二人が恋仲であると結論付けたのか。ビセンテは推測しようとも思わなかった。ただただ、浮かれる男の姿をじっと見詰め、湧き上がる感情を噛み締めて行く。
 自分は何と発言した。「現在の貴様を評価する」確かにそう言った。その上でフェルディオは、「認めて頂けるよう精進する」と答えた。不満も反論もなかった。ならさっそく実行に移させて貰おう。
 一歩踏み出せば、笑い声が止まる。もう一歩近付けば、笑顔が消えた。

「現在までの言動を踏まえた上で、判断を改めよう。私は、貴様が、心底、嫌いだ」

 喉も米神も鳩尾も脛も全てが無防備だ。ここまで選択肢が多いと、逆に迷ってしまう。とっさに距離を開けようとするフェルディオの胸倉を掴めば、数十分前のやり取りが思い起こされる。
 ジャックファルにも、一発くらいくれてやれば良かった。標的を脛に絞ったと同時、ほんの少しだけ後悔した。








 そろそろペンキの塗り替え時か。
 色褪せて来た食堂の内装を横目に、ヨニはたむろする部下の元へ歩を進めた。一人が隊長の存在に気付き敬礼を行えば、他の者も即座に続く。
 自分が教え込んだ物だ。全ての基本であり、軍に身を置く限り続けることとなる動作。右手を軽く上げれば、部下達は一斉に緊張を緩めた。一番手前にいた青年が、真っ先にヨニへと駆け寄る。

「早かったですね、大丈夫でしたか?」
「他部隊に書類持ってくだけで何身構えてんだよ。問題ないに決まってんだろ」

 書類の束で小突かれても、何処か嬉しそうに肩を竦めるだけ。軽くでも拳をぶつければ、明らかに顔を強張らせると言うのに。自ら面倒を見ている隊員でも理解し切れない部分は五万とある。当たり前の教訓を浮かべ、ヨニは一人少なくなった第五飛行部隊の面々を見据えた。

「感謝しろ、積もり積もった部下の不満は、俺がちゃーんとフェルディオへ伝えて来てやった」
「は? 何のことです?」
「一番キレてたのはお前だろベネット。プレミア、」
「あのエロ本のことですかぁぁ!? 何をわざわざ、他に伝えることあったでしょう!」

 何故、と問われても。この訓練場を出る時、ちゃんと確認したはずだ。フェルディオに伝言はないかと。そしたら全員揃いも揃って直接本人に伝えると返す物だから。
 口止めもなかった、申し出もなかった、ならこちらは思い思いの会話をするだけだ。
 伝えて欲しくなかったなら、先回りしておけ。ヨニの開き直りに、隊員達は口々に不満を吐き散らす。

「ヨニ隊長酷いですよ!」
「隊長だってあの本見たくせに!」
「袋綴じ開けるの毎回失敗するくせに!」
「彼女に浮気されたくせに!」
「最後ホラントだな。今日の組み手俺とやるぞ」

 悲鳴を背に、差し込む日光と向かい合う。いつもならこの騒ぎはもう一回り大きかった。一番に駆け寄り一際大きく叫んでいたフェルディオは、IAFLYSで目標を見付けつつある。
 異動で空いた穴はさほど大きくないだろう。ヨニは贔屓しろと言われても出来ない性分だったから、フェルディオの実力も客観的に捉えていた。自身の部下と言えど、過大評価はしない。

「……腹括れよフェルディオ」

 一般的な能力しか有していない。それでも、もう普通には逃げ込めない。
 “特異”細胞を持った“特別”部隊の隊員。無意識の内でも、本人が一番恐れていた状況にあると、まだ理解し切っていないのだろう。エースパイロット様と話をしてやっと把握した。既に、異常な段階にまで達している。

 こうなると分かっていたから。部下の栄転を、祝ってやれなかったのだろうか。



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