第一話「青の撃鉄 銀の翼‐1」


 いつか交わる。
 あの空の中。この地の上で、いつか。

 それはきっと、始まりを告げる青の撃鉄。







 操縦桿を握り締め、何度も旋回した。地上であれだけ重厚に思える戦闘機の外壁が、今はとても頼りなく思える。体を襲う重力がコックピットを覆うキャノピーまで破壊してしまいそうで。
 こんな妄想、整備班に漏れたら何て言われるだろう。俺達が診た機体にケチ付ける気か。遠い地上から罵声が聞こえて来そうだ。

 現実逃避は、アラート音によって掻き消された。まただ。恐れと苛立ちが叫びとなって喉から漏れる。そんな絶叫すら、酸素マスクに吸い込まれて行った。
 この空の上で、自分に返って来る物など何一つない。何もかも奪われてばかりだ。
 悲観すら飲み込む広大な青空に舌打ちした時、ヘルメットに内蔵された小型スピーカーが震えた。

「後いくつだ!」
『ディスプレイも見れなくなったか!? 三機だよ!』
「ふざけんなよ何処まで突っ込んで来る気だ! 領空侵犯所の騒ぎじゃねぇぞ!?」

 スロットルレバーを倒し、一気に加速した。体がシートに沈み込む。気を抜けば一体化してしまいそうで、いつまで経ってもこの感覚には慣れない。
 腕が鉛のように重く、毛細血管の切れる感触にまた肌が粟立つ。地上が恋しい。足を踏み出せば当たり前に進めて、背を折るような重力のないあの大地の上に、早く帰りたい。
 入り乱れる通信の中からフライトリーダーの指示をひたすら拾う。まずは目の前の敵機をなんとかしなければ。撃墜出来れば上等、相手が踵を返し帰還してくれれば、それはそれで上等だ。
 淡い期待に平常心を貼り付けながら、敵機と共に降下を開始した。思考ごと押し潰されそうになりながら、瞼だけは限界まで見開き続ける。
 先に水平飛行に戻った敵機を追い掛けるが、相手の旋回能力はこちらを上回っているらしい。何度も旋回を繰り返す内、一定の間隔で保たれていた距離がどんどん縮まって来る。
 このままでは、敵機が少し速度を落とすだけで、その前へと飛び出してしまうだろう。
 戦闘機同士の空中戦――ドッグファイトで、後ろを取られるのは御法度だ。音速で飛び交う戦闘機は、どれも敵機が無防備な姿を晒すその時に、攻撃行動へと移行する。

「まだ落ちてねぇのかよ……!」

 一瞬ディスプレイに映る機影を確認し、操縦桿を引く。途端、急激な上昇が始まり、機体は減速しながら青い段幕へと飛び込んで行く。機首がこの幕を切り裂き、飲み込まれるのではないか。そんな不安が脳裏を過ぎる。
 上昇しながら機体を反転させ、眼下に浮かぶ敵機をこの目で確認した。水平飛行を続いている、――今しかない。
 今度は操縦桿を前に倒し、さっきとは真逆の軌道を描いた。急上昇に次ぐ急降下。全身から悲鳴が上がる。見開いた瞼に骨は通っていないのに、何かの軋む音が聞こえて来た。眼球が、眼窩の中で破裂してしまいそうだ。

 これだけ痛い思いしてるんだ。これだけ、苦しくて辛いんだ。
 何が何でも仕留めてやる。

 奥歯を割れんばかりに噛み締め、このまま戻らなくなるかと思うくらい瞼を開いて。降下の後、とうとう相手の真後ろに回り込んだ。
 ディスプレイに映った敵機を示す十字マーク。そこにミサイル着弾地点を示す点が重なる、一瞬を待ち詫びる。動くな。減速するな。逃げるな。届いた所で到底聞き入れられない懇願が、脳内に溢れ返る。

「クソがっ、落ちろ!!」

 ロックオン完了を告げる電子音と悪態はほぼ同時で、人差し指は迷うことなくミサイル発射ボタンを押し込んだ。ディスプレイの中で、十字は点に貫かれている。
 一瞬の静寂。その僅かな空白で、歓喜は言葉に、慢心はアラート音へと姿を変えた。

「――やっ、た!?」

 敵機にロックオンされた事実を告げる、けたたましいアラート音。いつの間に、何処から。疑問が浮かんでしまうくらい、思考が空回った。
 機体に搭載された、ミサイルを攪乱させる目眩まし――フレアを発射し、自動追尾してくるミサイルな目標を、機体から逸らさなくてはいけないのに。

 死ぬかもしれない。落とされる。
 切り傷のように刻まれた想定から、血のように不安と恐怖が滲み出す。

 半ばパニックに陥っていたのだろう。アラート音を掻き消さんばかりの怒声で、やっと自覚した。

『L2! 下げろ!』

 聞き覚えのない声だった。それでも、反射的に体が動き速度を落とす。
 そこまでしてやっと、愕然とする余裕を得た。

 前方にまだ敵機がいる。自分が狙い澄ましミサイルを発射した、あの機体に間違いない。
 当たっていなかった。目眩ましのフレアを使った上で、急旋回を行い回避したのだろうか。
 相手の腕が良かったのか自身の読みが甘かったのか。これではどっちにしろ――

「あっ!?」

 また反応が遅れていた。アラート音が止まっている。つまり、敵機からのロックオンが解除されたと言うことだ。
首を捻り六時の方向を目視すれば、赤い塊が海に向かって降下している最中だった。

『こちらIL1リーダー、ヴェック。SL2、オーバーシュートするなよ』

 音速で、戦闘機が追い抜かして行く。
 鈍い銀の機体。尾翼には、爪にも似た鋭い羽根のエンブレムが刻まれている。自分だって同じ機体に乗っているはずなのに、何故か、あれこそ「戦闘機」だと思った。
 青い段幕に、白が走る。こちらがいつまでも手こずっている一機すら追い越し、真っ直ぐ、彼方へと走る。
 手も、喉も、瞳も震えた。この状況で綺麗だと思った。機体の全てが刃物のように空を切り裂く。尾翼のエンブレムが、今にもこの世界へと躍り出て来そうだった。
 あの羽根を。鋭く勇ましく冷たいあの電子羽を。その身に纏うことが許された、唯一の存在。

「――IAFLYS……」

 呟きに答えるように。
 銀の機体が廻り、敵機は紅蓮の炎を噴いた。







 打ち鳴らされた青の撃鉄。
 いつか交わる飛行機雲。散り散りになるまで貫く銃弾。
 それらが全て美しいと感じる、地上の人々へ。

 操るのは電子の羽根でなく、「彼等」であると思い知れ。





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