第三話「夜明けに染まる風見鶏‐1」


 皺だらけの診断書と辞令通知を見ていると、喉の奥を引っ張るような笑いが漏れる。
 何もかもが予感の通りで、まさしく自らの望みとは真逆に動いた。

 フェルディオ・シスターナは特異細胞保持者で。
国防軍所属特別航空遊撃部隊「IAFLYS」への転属が決定した。

 文章にすればたった二行で終わる程度の情報だ。瞬く間に一般空軍内に行き渡り、知っている人間から見知らぬ人間まで、皆に声をかけられた。
 内容は殆どがありきたりな賛辞。後は、一握りの皮肉。やっぱり人と違ってしまうのは波が立つ。理解した所でもう後戻りする場所はない。
 いいじゃないか。その分、細胞保持者は優遇される。特殊部隊への転属は言わば栄転だ。今の立ち位置より手前にある――自分にはもったいない好条件。

 診断書と辞令を見せ付けられて、祝いも喜びもせず泣きそうな顔をしたのは、所属していた部隊のフライトリーダーと、いつも笑ってばかりいる整備士の友人くらいだった。
 荷造りの間も、彼等の瞳が映していた物に思いを馳せる。同情が一番近い言葉だろうか。それでも、彼等の中に寄り掛かれる甘えはなかった。

「うっわ、誰だよこんなの置いてったヤツ!」

 ベッドのシーツを剥ぎ取っていると、あられもない姿の女性が所狭しと並ぶ、薄っぺらい本が転がり落ちて来た。
 大方部屋を訪ねて来た誰かが忘れていったのだろう。本来なら有り難く頂く所だが、入寮の際荷物検査でもされて、初日からこんな物発見されたら立ち直れない。それに何と言うか、正直特集内容が好みじゃない。
 こんな状況でもその辺りに当てる回路は残っているのか。フェルディオはもう余計なことを考えるまいと、本を中身の見えない紙袋に押し込んだ。

 軍属の人間に特異細胞が発見されれば、よほど実力不足でない限りIAFLYSへと転属させられる。
 それくらい知っていた。ほんの二週間程前までは、一生関わりのないことだと思っていた。成績優秀でもない、コネがある訳でもない。そんな自分がまさかIAFLYSの一員になるだなんて。
 入隊が認められた辺り、最低限の実力はあると判断して貰えたのだろうか。そんな慰めは、あまりに惨め過ぎて初日で捨てた。

 同期入隊の友人と二人で使っていた、一般空軍独身寮の殺風景な一室。
 互いに綺麗好きだったから、元々そんなに散らかってはいなかったが。こうして自分の荷物をまとめてしまうと、本当に、何もないように感じる。

 ここでの生活は半年程度だったが、そこそこ気に入っていた。
 中庭をよくうろついていた黒猫が、この部屋の窓の下で子供を産んでしまい、ちょっとした騒ぎになったり。酔った上司が下ろしたてのジャケットの上で盛大に吐き散らかしてくれたり。賭けに負けて危うく身包み剥がされそうになったり。
 思い返せば返す程下らない。学生時代の寮生活も大概酷い物だったが、ここも負けず劣らずの低俗さだった。
 そうやって、馬鹿をやりながら何回も空を飛んで。理想と現実の落差だとか、もどかしさだとかに襲われ、戻って来られないかと思うくらい落ち込んだ。
 そして、その度這い上がって来た。このまま沈んでいたくないと、自らの意志で。

 今度から、今日から――自分は何処へ戻ればいいのだろう。
 落ちてなんかいない。むしろ、人の羨む位置へ上っているはずなのに。這い上がる日のことなど思わなくていいはずなのに。
 いつか落ちるその日の景色を、心はずっと思い描いている。

「僕達の仲間になるの、そんなに嫌?」

 前触れのない会話の切り出しにも、特別驚いたりはしない。
 ゴミの詰まったビニール袋を、ダンボールの上に乗せ立ち上がる。

「まさか。ちょっとだけ、こう、哀愁感じてただけです」
「ふーん」
「スイマセンお待たせして。もう大丈夫です」

 満面の笑みを浮かべてみたが、ビニール袋のせいでジャンからはよく見えなかっただろう。
 二週間前ジャンがこの部屋を訪ねて来た時、フェルディオはひたすら困惑していた。何が起こるのか、何処へ連れて行かれるのかも分からないままで、もっと情報を与えて欲しいと望んだ。
 今はちゃんと、行く先だって目的だって判明している。それなのにこの震えは何だ。転属なんて、軍人でいる限りいつかは起こり得る。

 ああ、そうだ。
 IAFLYSが恐ろしいのではなく、自分自身の中にある得体の知れない何かが恐ろしいのだ。その「何か」が、確実に舵を取り始めた実感に、自分はこうやって震えている。

「大丈夫なの? ホントに?」

 主語を発しないまま問い掛けて来るジャンは、本当にズルいと思う。
 虚勢と共に張ったはずの予防線は、その微笑み一つで簡単に突破された。

「……大丈夫です。荷造り終わり、あっ」

 虚言が終わらない内に、ビニール袋は奪われて行った。奪う、と表現するには、些か優し過ぎる手付きだったけれど。
 持ちますよと申し出ても、耳に届いていないような素振りでジャンはさっさと退室してしまう。慌てて後を追えば、ダンボールの中で甲高い金属音が響いた。

「荷物それだけ?」
「そう、ですね。まだ買い物とかそんな行けてなかったんで」
「たまの休日も、体力回復に費やしてたらすーぐ一日終わっちゃうよね」
「体力自慢の同期はケロッとしてたんですけどね」
「僕達みたいに繊細な人種に野蛮な訓練とか辛いよねー」

 ジャンの何処を見て繊細と判断すれば良いのだろう。フェルディオは曖昧な笑顔のまま、ダンボールに顎を打ち付け頷いた。
 研究所に強制連行された次の日から、ジャンはフェルディオに接触して来た。大半は通信メールで、一体何処から自分の連絡先を入手したのか、気にはなったが結局聞けないままでいる。むしろ、聞かない方が賢明なのかもしれない。
 メールや通話の内容は、それこそ他愛もない世間話ばかりだった。それなのにジャンが語るとどんな話題でも面白く興味深い。
 下品なジョークを飛ばしたかと思えば、時事問題について鋭い指摘をしたり、またそれをフェルディオにも分かりやすく飽きさせず説明したり。最初は警戒していたが、すぐに飲み込まれてしまった。

「今日の訓練予定って……」
「とりあえず寮に荷物置いてから簡単に案内して、後はブリーフィングに参加して貰おっかな。先に何か聞いておきたいことある?」

 無意識の内に、ジャンのような存在を求めていたのかもしれない。自分を哀れまず、親身にならず、一定の距離を置いてくれる存在。
 細胞保有検査を受けたことが周囲に知れ渡り、それからは誰と話しても今一噛み合わなかった。事態を把握出来ない当事者、ひしひしと伝わって来る期待と同情。
 そんな中でジャンとの交流は気安かった。研究所に連れ込んだ張本人。チェスボードを薙ぎ払われた時の恐怖。どの事実も記憶も、まだしっかりこびり付いているのだけれど。だからこそ、最も事情を知っているジャンには、何を話しても構わないと開き直れた。

 アルベルトにだって憧れている。ジャンだって、本当に恐ろしい人間だとは思えない。ただ今は自分自身が一番怖い。

「ジャンさんも、特異細胞保持者ですよね?」

 歩みを止めず身動ぎもせず、「そうだよ」とだけ返事をしたジャンは、今どんな顔をしているのだろう。

「最初からおかしいって気付いてましたか」

 また指が冷える。ダンボールではなく、氷の塊でも抱えているようだ。
 ここ最近この感覚によく襲われる。四肢と脳は確かに連結されているはずなのに、感覚だけが何処か遠くへ分離してしまったような。そんな時は決まって、思考が驚く程冷静になる。

「……君は怖がりな割に、考えるのが好きみたいだね」

 やっと立ち止まったジャンは、フェルディオへ懐かしい視線を向けて来た。
 チェスボードの上で見せた、緩やかな敵意に満ちた瞳。心身が萎縮する。それでも、言葉は喉に留まらなかった。
 どうして今、よりにもよってこの人に問い掛けているのだろう。必要性が見当たらない。リスクを理解していても、衝動は休みなく湧き上がって来た。

 恐ろしいから。そんな懺悔で、知る義務が免除されてくれれば。

「特異細胞があるから特別なんですか? それとも……“特別”だから、あることになるんですか?」


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