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- ナノ -


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 そんな時に出会ったのが、本という世界でした。
 休み時間に一人で過ごすしかなかった私は、本を読むことなら一人でもできると気づきました。もともとは特別本ばかり読む方ではなかったのですが、私はそれをきっかけに本のおもしろさに改めて気づき、どんどん本を読むようになっていったのです。
 あなたたちも知っての通り、私は特にファンタジーが好きで好きで、おそろしい数のファンタジーを読んでいましたね。
 そのころ、私は特に何も考えず、単純に自分が面白いと思うからこそ多くのファンタジーを読んでいました。
 けれども、私がファンタジーにのめりこんでいったのはある意味当然のことだったと言えるのです。
 それは、このころの私が、ひたすら自分の「生きる意味」に疑問を持っていたからに他なりません。
 自分は何のために、なぜ生きているのか……その疑問は格好よく、そして難しく聞こえます。
 小学生がこのような疑問を持つのはおかしなことだと思いますか。
 しかしなんということはありません。その問いは、私の「さみしさ」からはじまったものであったからです。
 一人でいるということは、本来は、仲間と一緒にいるということと同じくらいに重要なことであると私は考えています。
 子供が一人でいると聞くと、あなたたち大人は心配しますし、たぶん私があなたたちの立場だったら、やっぱり心配するでしょう。ですが、すべての「一人」が悪いことであるというわけではありません。
 少なくとも私は、他に仕方がなくて一人を選んだわけですが、このころのことを決して後悔したりしていないということをまずあなたたちに知ってほしい。
 なぜなら、それは私にとってそれなりに楽しいことでもあったし、そうして得たものもたくさんあったからです。本を読むことはもちろん、集中すること、想像する力、どんなことでもとにかく自分で考えてみるという習慣、一人でやらなければならないことに突き当たってもそうそうはあわてないでいられることなど、それは一人でいたからこそゆっくり身につけていけたのだと思っています。
 ただし、それらのことが人と一緒にいるとなかなか身につけにくいかもしれないように、一人でいると身につけにくいことも当然あります。様々なコミュニケーション能力や、話すことで直接自分を表現することなどです。
 そして人と一緒にいることが、けんかしたりいろいろな人間関係で悩んだりするというつらさを持っているとすれば、一人でいることにもまた違ったつらさがあります。
 それが、私の場合は「さみしさ」でした。
 一人でいることを嫌だとは思ってはいないけれど、その反面、みんなと同じように、友達と一緒に遊びたいと叫ぶ心があったのです。
 それは仲良く楽しそうに遊んでいる人たちを見ることで出てくる気持ちでもあったし、また、中学年の時に友達と楽しく遊んだことで、「もう一度あのときのように誰かと遊びたい」と思う気持ちでもあったでしょう。
 当然だったかもしれません。私も人間ですし、ましてそのころはまだ小学生だったのですから。
 一人でいることを好むと同時に、誰かがやさしく声をかけてくれ、「あなたが必要」といってグループに入れてくれることを待ち望んでいたのです。
きっとそういう人がいると、私は信じていました。
 今思えば、自分のその心を少しも表現しようとせずに一人でい続けた私に、誰がそのような声をかけるというのでしょうか。物語のようなことは、ほとんどといって現実にはなりません。
 でも、そのときの私はなぜみんなが声をかけてくれないのかわかりませんでした。「なんで私の気持ちを分かってくれないのか」と、他人ばかりを責めて、また、他人ばかりを頼りにしていました。
 それでついに、誰も私に声をかけてくれないので、私は誰にも必要とされていない、いなくなっても何の支障もない存在なのではないか、と思うようになりました。それがすなわち、「私は何のために生きているのか」という問いにつながっていったのです。
 自分の好きなことだけでは、多くの人は生きていけません。だれかに自分の存在を認めてもらいたいと願います。それは生きている意味になりうるからです。
 だからこそ、私は無意識にファンタジーを好んで読んでいたのでしょう。
 ファンタジーにはたいてい特別な使命をもった主人公が出てきます。彼らは多くの人たちから期待され、大事に思われ、認められています。
 私はきっとそんな彼らに心の底から憧れ(嫉妬と呼んでもいいくらいに)、また、彼らに感情移入してなりきることで、自分の悲しみから一時的に逃れようとしていたのではないかと思います。
 そんな状態で、私は作家という職業があることを知りました。
 もちろん、読むのと同時に自分で何かを書くのが好きだったのには違いありません。
 自分の書いたものを人に読んでもらえる仕事がある……そんな発見に驚き、作家になりたいな、と思ったことにも嘘はありません。
 しかしそんな気持ちと同時に、他のどんな気持ちより強い意味を持つ隠されていた気持ちがあった……それが何であったか、分かりますか。
 そう、それが……
 「将来の夢は、作家です」と言うことで、たくさんの人に注目してもらえるということ。
 「いてもいなくてもいい人」ではなく、「あの人は作家という夢を持つすごい人」と見てもらえることに満足する気持ち。
 そして、
 「本に励まされたので、今度は私が誰かを励ましてあげたい」という理由の裏の、誰かの役に立つことで自分の生きる意味を確証したいという気持ちでした。
 夢をひたすら追いかける「フリ」をしている……それは誰かに認めてもらいたい、「あんたが生きている意味はあるよ」と言ってほしいという、悲鳴にも似た叫びだったのかもしれません。
 しかし何においても、まだ今よりずいぶん小さかった私のことです。
 私は純粋な気持ちで作家にあこがれる心の大半を、そのような自分の欲望に侵食されていることに、まだ気付かなかったのです。




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