花火
花火が打ち上がる豪快な音と、身を揺るがす振動を味わいながら、私は暗い空を見上げていた。そこにはただ、頼りなげに光る星々が幻のように浮かんでいるのみである。私は花火を感じながらも、花火の上がっていない夜空を見る、という、全くもって不可解な行動を取っていた。ここは私の郷里ではない。父や母、妹などもこの場には居ないどころか、甘く身も心も委ねてしまえる、約束の人など無論、私の隣には居ない。平静仲良くしている仕事場の同期を呼び寄せるまでの気概も、何故か今宵は起きない。而して私は独りで空を眺めていた。それも、花火の上がらぬ空を。
私は寂しいのであろうか? いや、確かに寂しいが、その実また、不思議と寂しくないようでもある。大勢の人間が居ながらも心打ち解ける人は皆目居ず、へらへらと心にもない笑みを浮かべて座っているような酒宴の席の方が余程、孤独であると断言できる。それでは私は、楽しいのであろうか? いや、楽しいはずはない。窓を揺らし、ついでとばかりに私自身の脆弱な心までも揺らすかのような、この轟音。まるで地上を焼こうと怒り狂う雷鳴のようだ。花火で燻る夜空に、普段の冴えた輝きは無い。夜、人知れず空を見るのが好きで、平静からこの街の美しい空を愛でている私としては、こんな仕打ちは、まるで空からも敢え無く見捨てられてしまったかのように思える。
だがそれでも、何故か、心の何処かに灯るような――熾火のような一種の愉快さが、時折、私を支配する。私は花火の打ち上がらない空を尚も眺めながら、音と揺れから、そこに打ち上がっているはずの華々しい花火の姿を想像する。ひとつ、派手な音を立てて空に輝く花火。あれは空を覆うような、金色の大輪が夜空に咲いたのであろう。比較的小さく、軽快な音が連なるあの花火。あれは小さな、しかし、赤や黄、緑、青などの、色鮮やかな多くの花が、夜空という野に一斉に顔をのぞかせたのであろう。
いつの間にか私の心は、幼い頃、父や母に連れられて見た、あるいは、それから少し後に、自分よりもっと幼い妹の手を引きながら見た、郷里の花火の記憶を辿っている。最後にそれを見たのはいったい、何時の事であっただろう? ここにきてどこか甘やかな懐かしさと、もう戻ることはできない、ある種の哀しさを胸に感じながら、私は静かに目を閉じた。
花火とは妙な物である。夏の夜空の、まさに「花形」と言ってもよいその堂々たる姿に、私たちは誰も彼も、全く漏れなく、引き寄せられてしまう。私達は花火が上がると、それを見ずにはおれなくなるのだ。そして或る者は喜びに身を任せながら感嘆の声を上げ、また或る者は、そこに如何なる美を見出しているのであろうか、うっとりと憧れるような眼差しをそれに向ける。花火の下で、私達人間は、いとも簡単に平らになってしまう。花火に心を奪われ、花火が夜空に光の乱舞を描くその時は、皆、不思議と花火の下に一体となってしまうのだ。そこには日頃の、個人間に、または集団間に起こり得る、一切の喧騒も、憎しみも、怒りも、存在しない。消え失せるのである。消え失せ、私達は花火の下で平らになるのである。
だが――そのような中にあって、その輝かしい存在から、如何なる訳か目を背けたくなることもあるのだ。花火が嫌いなのではない。寧ろ、好きで堪らないと言ってよいくらいかもしれない。それでも花火を見たくないと思う心がある。その一方で、花火に恋焦がれ、その存在を少しでも感じ取りたいと、その音と振動を全身で味わおうとする心がある。この矛盾の正体――それを、おそらく、私は知っている。思うに、これは何も、花火だけに言えることではあるまい。花火のような物語に出会ったことはあるまいか? 花火のような言葉には? 花火のような音楽、絵、……人間、には?
花火。その素晴らしい光の輝きは、同時に、周囲の闇をより深く濃いものにする。光を投げ掛け、同時に、影を引くのだ。花火の影に引き込まれた者は、その光に憧れ、その光を欲さんとする。だが、触れることも、時には、見ることさえも許されぬ。何故なら――心の底から、憧れているからである。光に対する如何なる絶望がその身にあろうとも。如何なる憎しみがその身にあろうとも。
そこまで考えて、ふと、私は思う。こう考えるのはあまりにも傲慢かもしれない。だが、万が一にも、……私自身、誰かにとっての、何かにとっての、花火であったなら? あの、取るに足りないような、ありふれた、小さな花火かもしれぬ。だが、それでも、自分でも知らぬうちに、誰かの、何かの、花火となっていたなら?
いつの間にか、花火の音も振動も止んでいた。人々の楽しげな笑い声が聞こえてくる。
私は目を開けた。花火と共に空を覆った煙が、夜空をまだ、ぼんやりと曇らせていた。