あとがき H27.9.23
この世界に生を享けて20数年あまり。いやあ、まったく、ほんとうに、あこがれることの多い人生を送ってきたなあ。えっ、恋? いや残念ながら、恋愛の範疇に入るあこがれはほとんど皆無と言って間違いなく。特に学生時代にいかにもセイシュン、といった恋などしてこなかったのはわれながら少しもったいない感じがしたりしなかったり。
……とまあ、そんなことはよいのです(たぶん)。恋多き20年でした、とは言えなくても、あこがれ多き20年でした、とは誇りを持って言えます。具体的には、はい、勇者とか。あっ、既出ですね。すでに高校時代の私があとがきで書いている。でも勇者はやっぱり、いまでも私のあこがれのほぼど真ん中にありありと存在していて。これからもきっと、私のこころの中央で、ヘタレな私をシッタゲキレイしてくれることでしょう。
なにはともあれ、この『あこがれのチカラ』を書いた高校3年生から現在までで、はじめはひとりでもくもくと「ひらいしんあこがれ担当」をこなしていた勇者さまにも、たくさんなかまたちが増えた。架空の人物から、現実にいるひと(いたひと)、むしろひとではないもの、抽象的な概念……など、そのすがたかたちは多種多様だけれども。歴史人なら勝海舟や坂本龍馬、いま存在しているひとなら大学時代のゼミの先生や職場の上司、そのほかに、水、夕日、雨、空、海……といった自然、馬や鳥といった生き物、竜などの幻獣。挙げていったらきりがない気がする。そんなたくさんのあこがれが、私のこころのなかにひとつの世界を作っていて、HPやMPも尽き果て、満身創痍な見習いユウシャの私に、回復呪文や宿屋を提供してくれる。もちろん、あまりにも宿屋にこもっていると、彼らは容赦なく愛のムチを持って現れ、私はそのまま強制的に魔物だらけのフィールドに連行されてしまうわけではあるが。
あこがれるものが多い人生は、楽しい。こりゃあもうダメだ、と思っても、彼らのようになりたい、彼らに少しでも近づきたい、と思えるそのこころさえあれば、なぜか、ふしぎなことに立ち上がれる。順風満帆なときは、ここで満足せず、もっと先へ行ってみよう、という勇気をくれる。その意味で、あこがれるものは、こころの大きな支えのひとつだ。
さて、あなたにはあこがれの存在がおありだろうか? もしおありならば、そのあこがれを、どうか大事にしてください。もしまだ見つからない、というときには、あせらずにまったりと、ご自身のこころを惹かれるものから探してみてください。あこがれの存在はきっと、行くさきざきであなたを助けてくれるはずです。
そして私は、あこがれ担当の勇者さまのなかまをこれからも増やしつつ、いつか自分も、誰かのあこがれになることができたらいいなあ、なんて夢想する。そんなことができるかどうかはわからないけれども……でも、もしそんな人物になれるのなら、そのときこそ、私があこがれている多くのものに、きちんと顔向けできるような気がする。
……えっ、とりあえずきみは、あこがれる異性を見つけて恋に落ちろ、ですって? あっ、はい、がんばります。というよりも、実は現在、好きなひとはいるのですけれども、ね。ないしょですよ、ふふふ……。