★恩情を与える隙もない 料理がおいしくないところも、酒癖が悪いところも、センスがないところも、性格が荒いところも全てにおいて大嫌い。おいしい紅茶をいれるところだけは認めるけれど、コーヒー派の私からしてみればどうでもいい話。眉毛と髪の毛を整えれば、もう少しマシになるのに。 今日のパーティーはアルの家で開かれたものだった。遠目には菊やフェリ、さらには北欧の人たちもいるし、なにより大嫌いなあいつもいる。フランシスと共にここへ来たけれど、彼は今回上司の娘のエスコート役を言い渡されていた。あいさつ回りを終えると必然的にひとりになってしまって、話しかけてくる人の相手をしながら適当に時間をつぶす。すれ違う人々の正装のデザインをじっくり見てしまうのは、職業病になるのかしら。 「おひとりですか、お嬢さん?」 「気持ち悪い話し方やめてくれる」 「んだよ、つれねえやつ」 差し出されたシャンパングラスを受け取るのを素直にためらった。けれど喉が渇いていたのは事実であり、悔しいけれどそれを受け取る。ニヤニヤ笑いながら私の隣に並ぶ男は、確実にパーティーの席でひとりでいる私をからかいに来たのだろう。フェリのところにでも行こうと思ったのに、それを察したのか自称紳士のこの眉毛は私の腰に手を回し引き止めた。 「なに?」 「呆れるくらい嫌われてるなあ、と思って」 「好かれる要素があるのかしら。まあ、昔はもう少しかわいげがあったわね」 兄にいじめられぐずぐず泣いていた頃や、フランシスのまね事をしていた時代のこの人はまだかわいかった。それが今ではこの有り様なのだから、時の流れは残酷であるとしか言い様がない。 「お前ももう少し愛想くらい振りまけよ」 「あらご安心を。あなた以外にはそうしてるわ」 腰に回っているアーサーの手の甲の皮を手袋ごしにつねってみるけれど、依然として腕の位置は変わらない。しばらく小競り合いを続けていると、なんともまあタイミングの悪いことに上司の娘さんを連れたフランシスが私たちふたりを見つけて寄ってきた。私は彼以上にアーサーと仲が悪いから、おおよそそれをからかいに来たのだろう。 「なんだよアーサー、珍しくなまえちゃんに相手してもらってんじゃん」 「ま、まあな! こいつもようやく俺の魅力に」 「ありえないわね」 「ふふ。なまえさん、楽しそうですわね。お邪魔しても悪いし、行きましょうかフランシス」 アーサーと私の距離を見て、目の前の女性は口元に手を当ててきれいに笑う。フランシスもそれに同意して(もちろんからかっているつもりだろう)その場を去った。彼に肩を抱き寄せられた彼女は幸せそうで、私の予想は確信に変わる。あの女性は、フランシスのことが好きなのだ。 去っていくふたりの背中を眺めていると、バイオリンの音色が鼓膜を震わせた。チェロ、コントラバスと音色が増えていきホールの中央では男女が幸せそうに踊り始める。するりと腰から手が離され、横に居たはずのアーサーは私の前に立ち手を差し出した。もし私がこの人の昔の性格を知らなかったら、少しはかっこいいと思ったかもしれない。 「お嬢さん、一曲いかがですか?」 「もうお嬢さんなんて呼ばれる年齢じゃないんだけど」 白い手袋をつけたアーサーの右手に、自分の左手を重ねる。反対の手は彼の腕に置き、音楽に乗せてステップを踏んだ。お互い付き合いは長くこういったパーティーの場で出会うことは数え切れないほどあった。けれどこうしてふたりでダンスを踊るのは初めてで、思っていたよりリードがうまくて驚いてしまう。海賊から足を洗う時に練習でもしたのかしら。 嫌いな人とダンスを踊るなんて変な気分だった。ふわりと鼻孔をくすぐるのはバラの香り。こういうところには気を使えるのに、どうして眉毛には気が行かないのかと不思議に思う。アーサーは何も話しかけてこないし、私も何も話さない。本当に、ただリズムに合わせて踊るだけ。そんな意味のない時間も音楽が止まれば強制的に終了される。形式上のあいさつを済ますと、逃げるようにバルコニーに向かった。 強い風ではなかったけれど、肌寒さを感じる程度の風が肌をなでる。いつもと違い髪をあげているから、さらされている首周りが寒さを助長した。アーム・ロングを持ってくるべきだったと後悔したけれど、頭を冷やすのにはちょうどいい。あんな野蛮な眉毛とのダンスに、一瞬でも楽しいという感情を抱いた自分が信じられなかった。 「おーい」 「っ! お、驚かさないでよ……」 「何たそがれてんだよ」 ほら、とシャンパンを渡されて渋々受け取る。もしかして、ワインでも渡せば機嫌が良くなる単純な女だと思われているのだろうか。 「ヒゲに相手にされないからって拗ねてんなよ」 「拗ねてないわ」 私をダンスに誘ったのも、それ以前に話しかけたのも、同情のつもりだったのだろうか。好きな男に相手にされずにパーティをひとりで寂しく過ごす哀れな女だと、こんな眉毛に思われていたのかと思うと悔しさと恥ずかしさの両方がこみ上げる。 「あいつに相手にされなくて寂しいってんなら、俺が相手してやっても良いぜ」 パシャッ。おそらく高いシャンパンだろう、もったいない使い方をしてしまった。顔にシャンパンを掛けられたアーサーはその翡翠色の瞳を大きく見開いて言葉を発せずにいる。 「私の事、分かった風な口を聞かないでもらえる? 一度セックスしたくらいで何様のつもりかしら」 キッとにらみつけてバルコニーを去る。適当にその辺にいたウェイターにシャンパングラスを渡して、会場内にいるはずのフランシスを探した。ひと通り探しまわったはずなのにどこにも見当たらなくて、入れ違ったのかもしれないと引き返す。 「あ、なまえ姉ちゃ〜ん!」 「フェリ、ルーイに菊も。ねえ、フランシスを見なかった?」 ぱたぱた手を振ってくるフェリに少しだけ癒やされて、尋ね人の居所を聞いてみたけれどフェリもルーイも心当りがないらしく首をかしげる。しかし菊だけが、困ったように眉根を寄せていた。まるで言うか言わないか迷っているかのようなしぐさ。しかし私の視線に耐えかねたのか、たじろぎながら菊は口を開く。今日はヒールがそこそこあるから私のほうが背が高くて、多分彼からは少しだけ威圧的に見えるのだろう。 「きれいな女性と出て行くのを、先ほど見たのですが……」 「あら、そう。気にしなくていいわよ、いつものことだから」 私はフランシスの恋人でもなんでもないのだから、咎める権利なんてありはしない。フランシスがきれいな女性と夜の闇に消えていくのは昔から見ていたし、慣れなきゃやっていられない。 「でもフランシスばっかりずるいわよね。フェリ、今夜どう?」 「えっいいの?」 「おい、やめておけ。後が怖いぞ」 夜のお誘いに簡単に乗ってきたフェリを、ルーイがたしなめる。後というのは、フランシスになにか言われると考えているのだろうか。そんなこと有るわけないけれど、それを差し引いても真面目なルーイのことだし関係がややこしくなることを見据えているのだろう。彼の兄と違ってお固い子だこと。 「皆はパーティを楽しんでね。私、今日はもうホテルに戻るわ」 「おひとりでですか? 危険ですし送りますよ」 「大丈夫よ、すぐそこだから」 3人に別れを告げて、今度こそ会場を後にする。クロークルームに預けていたバッグを受け取って、建物を出れば喧騒から開放されて静けさが身にしみた。 アーサーと体を重ねたのなんて気が遠くなるほど遠い昔の話だった。戦争でアーサーに攻め入られて、占領された時。私に自由なんてなかったし、アーサーは本当に誰も手がつけられないくらいの荒くれ者だった。いわゆる慰み者としての扱いだったけれど、あの時私は抵抗しなかった。兄弟仲が悪くいじめられていた小さい時の彼を知っていたし、なんだかかわいそうな人に見えたから。そんなアーサーに同情して一度だけ、彼に抱かれたのだ。行為の後のアーサーの顔は、今でもはっきり思い出せる。 ホテルに戻ると、真っ先にメイクを落とした。スキンケアを終わらせてまとめていた髪を解く。髪留めは机に投げパンプスはそろえもせずベッドサイドに脱ぎ捨てる。スーツケースからネグリジェを出して、シャワーの前に明日の飛行機の時間を確認する。夕方の便だからそれまでフランシスと出かける話になっていたけれど、多分それは無しになるだろう。彼から移ったのだろうバラの香りが離れない。早く、シャワーを浴びなくちゃ。 ★戻る HOME>TEXT(etc)>山吹色の風が吹く>恩情を与える隙もない |