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ハッと目を覚ますと、見慣れた天井が目に映った。
この匂いに、この感じ。
間違いない。ここは自分の家だ。

「尾形係長の家じゃ、ない…?」

「俺がどうしたって?」

突然尾形係長の声が聞こえてきて、心臓が口から飛び出るくらい驚いた。
急いでベッドの上に起き上がって見れば、尾形係長が暗闇の中、ローテーブルの前に胡座をかいて座っていた。

「ひッ!」

「おいおい、そりゃねえだろ。タクシーで寝ちまったお前を抱えて連れて帰ってやったってのに」

「えっ」

じゃあ、やっぱりアレは夢だったのか。
良かった、夢で。
酷い悪夢だった。
夢は無意識の願望というが、あんなのは断じて願望などではない。

「水、飲むか」

「あ、ハイ」

尾形係長が冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出して私に差し出してくる。
どうしてそこに水のペットボトルが入っているってわかったんだろう。
…怖いので深く考えないようにしよう。

私が水を飲む間、尾形係長は無言でジッと私を見つめていた。
めちゃくちゃ怖い。
でも、とりあえずお礼は言わなければ。

「ありがとうございました、尾形係長」

「ああ」

「そういえば、鍵はどうしたんですか?」

「お前のバッグの中から探して開けた」

「寝てる間に何もしてませんよね…?」

「キスはした」

「ええッ…!」

「なんだよ、キスぐらいいいだろ。減るもんじゃなし」

「ファーストキスだったのにひどいですッ」

「初めてだったのか。そりゃ悪かったな。そうと知ってれば、もっとじっくり味わってしたんだが」

「ふえぇ…!」

片手で髪を撫で付けながらニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる尾形係長にドン引きしていると、彼がすっと立ち上がった。
そのままベッドまで歩いて来る。
警戒心の強い猫のような、しなやかで隙のない動きだった。

「仕切り直しだ」

「えっ、えっ?」

「なまえ」

およそ普段の彼らしくない甘ったるい声音で名前を呼ばれて背筋がゾクゾクする。

「好きだ」

「え、…あッ?」

後頭部に手を回され、咄嗟にガードしようとした手を握り取られて素早く口付けられた。
ちゅ、と唇を触れ合わせ、それからやわく唇を食まれる。
やめてと口を開いた隙ににゅるりと生暖かい舌が口内に侵入してきた。

「やッ…ん、んッ!」

抵抗はあっけなく封じ込められ、好き放題に口の中を蹂躙される。
頭が真っ白になって何も考えられない。

やっと解放された時には完全に息が上がっていて、身体からは力が抜けてしまっていた。

「今日はこれで勘弁してやる」

ペロッと自分の唇を舐めた尾形係長が身体を離すと、私はベッドの上にへなへなと崩れ落ちた。

「もう半分俺のものになったも同然だからな」

「な、な、…!」

勝手なことを言う尾形係長をぷるぷる震えなながら睨み付けるけれど、彼は全く堪えた様子もなく、背筋が寒くなるような薄ら笑いを浮かべていた。

「俺のキス、よかっただろ?もう濡れてるんじゃねえのか」

「尾形係長のスケベッ!」

「ははッ」

私が投げつけたクッションを軽々と片手で受け止めて、尾形係長は踵を返した。

「じゃあな。明日…ああ、もう今日か。逃げずにちゃんと会社に来いよ」

「うう…」

「俺が言ったことを忘れるな。なまえ」

そう言って、尾形係長は部屋から出て行った。
正直、言ってやりたいことは山ほどあったが、今はショックが大き過ぎてどうしていいのかわからない。

「と…とりあえず、うがいと歯みがき」

何とか気持ちを立て直し、よろめきながらベッドから降りる。
そこで、ふと気がついた。

テーブルの上に、尾形係長が私のバッグから取り出して使ったであろう家の鍵と、恐らく尾形係長のプライベートな連絡先が書かれたメモ。

──好きだ

真摯な声で告げられた言葉が耳の奥に甦る。

あの時、ほんの一瞬だけど、私は確かにときめいてしまっていた。
その事実が悔しくて堪らない。

メモを破り捨てない時点で、もう詰んでいる気がしたが、自分の気持ちの変化を認めたくなかった。
だって、尾形係長は怖すぎる。

私の何が尾形係長のお気に召したのかわからないが、軽い気持ちでいくにはあまりにも危険な相手だ。
深みに嵌まりこんでしまう前によく見極めなければならない。

そういえば、とスマホを取り出して見ると、メールが来ていた。

「!!」

寝ている私にキスをする尾形係長の写メが添付されたメールには、『お互い忘れられない夜になったな』とだけ書かれていた。

「ふ…ふえぇ…!」

ぶるぶると身体が震える。

“どうあがいても絶望”というホラーゲームのキャッチコピーが頭に浮かんだ。


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