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「尾形係長、近いです…」

「しょうがねえだろ、混んでるんだから」

何駅か先で事故があったとかでダイヤが乱れ、かつてないほどの混雑に遭遇してしまった。
それだけでもついてないのに、今日に限っていつもは車通勤の尾形係長と駅のホームでばったり出くわしてしまったのである。
声をかけられては、まさかスルーするわけにもいかず、一緒に電車に乗ることになったのだが、とにかく酷い混みように閉口するしかない。
どっと流れ込んだ乗客の波によって電車の連結部に押しやられた私は、目の前に立っている尾形係長によって守られている形になっていた。

目が合っただけでちびりそうなほど尾形係長のことが怖い私だが、彼に関することで一つだけ好きなものがある。

それは匂いだ。

尾形係長は最高に良い匂いがする。

今も、鼻がくっつきそうなほど近くにある尾形係長の胸の辺りからふわりと良い香りが漂ってきて、思わずくんくんと鼻を鳴らしそうになってしまった。

尾形係長が使っている香水は、トップはちょっとツンとしているが、ミドルにクリスタルムスクが入っているらしく、男性にしては柔らかな甘い香りがする。
その奥にある尾形係長の体臭と混ざって、何とも形容しがたい良い香りになっているのだった。

自分と遺伝子の形が遠く離れているほど相手の匂いが良い香りに感じるらしいけれど、確かに私と尾形係長は似ても似つかない、正反対の人間だと思う。

「俺の匂い、そんなに好きか」

「えっ」

「そんなうっとりした顔で見つめられたら照れるじゃねえか」

「見つめてませんッ」

「いや、見てただろ」

「見てませんッ」

「匂っていいぞ。ほら」

急に距離を詰めて来た尾形係長の胸板に、ぼふんと顔がぶつかる。
抗議をしようとした途端、鼻孔を満たした良い香りに、文句の言葉が喉でつかえてしまった。

「いい加減、認めろよ。俺とお前は相性最高なんだよ」

「な、なにを…」

「お前だって本当はわかってるんだろ」

「わかりませんッ」

「きっとセックスの相性も最高だと思うぜ。俺のキス、よかっただろ?」

「尾形係長のスケベッ!」

尾形係長は背後から押してくる人々の重みに耐えるために、両手を私の顔の横について踏ん張っているが、そうしていなかったら今頃身体のあちこちを触られていたんじゃないだろうか。
舐めるように私の身体を見下ろす尾形係長を前に、私はふるふると身を震わせた。

「なあ、もういいだろ。俺は我慢したほうだと思うぜ」

「そのままずっと我慢し続けて下さいッ」

「それが出来ねえから言ってるんだろうが。いいから、抱かせろ」

「ふ、ふえぇ…!」

セクハラとかパワハラとかもうそんなレベルじゃない。
訴えたら余裕で勝てるだろうが、更に恐ろしい報復が待っていそうで今まで誰にも相談出来ずにいたけれど、この胸のドキドキはいったいどういうわけだろう。

「好きだ、なまえ」

「や…やめ…」

「抱きたい」

「ッ…やッ!」

耳元で囁く甘い声に、胸の内側に築いた防壁が崩れていきそうになる。

「俺の女になれ」

命令系なのに、その言葉は酷く甘く聞こえて、私はぎゅっと目を閉じた。

もうダメ…このままじゃ、私もう、

次の瞬間、身体に軽い衝撃が走り、電車が止まったことを知った。

乗り込んだ時と逆に、どっと人々が電車から吐き出されていく。

私は咄嗟に尾形係長の身体を押し退けて、その人波に乗って外へと流されていった。
そのまま階段を降りて急いで改札を出る。

「…チッ」

尾形係長の舌打ちが聞こえた気がした。


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