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「何を飲む?サワー?酎ハイか?」

「あ、いえ、お酒はちょっと…」

「なら烏龍茶でいいな」

「ハイ」

尾形係長に連れて来られたのは、茨城に本店があるというあんこう鍋の専門店だった。
店内は会社帰りのサラリーマンや女性客で賑わっていて、皆わいわいと楽しそうに鍋をつついている。

「どうしてこのお店にしたんですか?」

「俺の好物を食わせてやろうと思ってな」

「尾形係長の好物…」

鍋物が好きだなんて、なんだか意外だ。
あんこう鍋に何か特別な思い入れがあるのだろうか。

「冬が本場だが、いまの時期も美味い。今日は俺のおごりだ。遠慮なく食えよ」

「ありがとうございます」

程なくしてあんこう鍋と飲み物が運ばれてきた。
早めに運ばれ来てくれて良かった。
尾形係長にただジッと見つめられて待つ時間のなんと恐ろしかったことか。
さっさと食べて退散しようと、私は尾形係長と自分の分をさくさく取り分けた。

「尾形係長、どうぞ」

「ああ」

尾形係長は黙々と食べると、「ん」と私に取り皿を差し出した。
自分で取る気はないらしい。
どこの亭主関白の旦那ですか。
そんな不満を見透かされたのか、尾形係長はふっと笑った。

「お前がやってくれたほうが恋人同士っぽいだろ」

「いえこれは上司を接待する部下です」

「堅いこと言うなよ。今日は男と女として食おうぜ」

「いえ今日は上司を接待する部下です」

「…チッ」

尾形係長は舌打ちしてビールを飲んだ。
あの尾形係長相手に私はよく頑張ったと思う。
自分で自分を褒めてあげたい。

鍋の中身を一刻も早く減らしたくて、私もせっせと食べた。
好物というのは本当のようで、尾形係長はかつてないほど機嫌良く鍋を食べている。

「お前、レシピ覚えて帰れよ。今度作らせるからな」

「そういうのは彼女さんに頼んで下さいよ」

「だからお前に頼んでるんだろ」

「や、やだなあ、もう!尾形係長、酔ってるんですかー?」

「この程度じゃ酔わねえよ」

尾形係長が死ぬほど怖い。
一秒でも早くここから立ち去りたい。

「今日の記念に、最後に一杯だけいいだろ」

と尾形係長が勧めてくるので、仕方なく一杯だけレモンサワーを飲んだ。
爽やかな喉ごしで、鍋物の後に飲むにはさっぱりしていて丁度良かった。

お会計を済ませた尾形係長について行こうとした脚が一瞬ふらつく。
咄嗟に尾形係長が腕を回して支えてくれた。

「おっと。大丈夫か?」

「…大丈夫、です」

「俺も飲んだからな。タクシーを拾ってやる。無理するな」

「尾形係長が優しい…」

「俺はお前にはいつも優しいだろ」

お店を出て大通りに出ると、尾形係長はすぐタクシーを捕まえてくれた。
押し込まれるようにして乗せられ、後から尾形係長が乗り込んでくる。

「住所教えろよ」

「はい、えっと…」

私が住所を告げると、タクシーは滑るように動き出した。

尾形係長にお礼を言おうとするが、舌が上手く回らない。
身体から力が抜けて、そのまま横に倒れそうになった身体を尾形係長に抱き寄せられる。
尾形係長の体温と香りを間近に感じて心臓が大きくひとつ跳ねた。

「今頃になって効いてきたのか」

「…?」

「なかなか効果が表れないから、薬が効かない体質なのかと思って焦ったぜ」

「く、すり…?」

「最後の酒に混ぜておいた。気づかなかっただろ?」

どうして、という問いかけはもう言葉にならなかった。

「お前をみすみす他の男にくれてやると思ったのか?冗談じゃねえ。お前は俺の獲物だ」

「…、…ッ」

「安心しろ。ちゃんと優しくしてやる。こう見えて俺は一途なんだぜ。一目お前を見た瞬間から俺の女にすると決めていたくらいに、な」

私はタクシーの運転手に助けを求めようとしたが、尾形係長に飲まされた薬のせいで身動きひとつ出来ない。

「さあ、帰るか。俺達の家へ。細々した物は後から買い足さなきゃならねえが、大体のものは揃えてある。お前もきっと気に入るはずだ」

私の唇に軽く触れるだけのキスを落とし、尾形係長は行き先の変更を運転手に伝えた。

無情にも自宅から遠ざかっていくのを感じながら、どうすることも出来ない。

瞳の端から溢れ出した涙を、尾形係長の指が優しく拭い取った。

「泣くな。大丈夫だ、これからはずっと俺が側にいてやる。何があっても離してやらねえから安心しろ」

意識はあるけれどまるで人形になってしまったように身動きがままならない私を、あの真っ暗な洞窟のような目が愉しげに弧を描いて見つめている。

絶対に逃してやらねえ、という狂気を孕んだ眼差しに、私は底知れない恐怖を感じてただ震えることしか出来なかった。


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