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ついに網走監獄までの地下トンネルが開通した。
その記念にというか、今日はアイヌに『本当の食べ物』と呼ばれる鮭を使った本当のチタタプをやることになった。
血抜きをしてよく洗ったエラと氷頭を二本のマキリでリズミカルに切り刻むのだ。

いまは、あの土方歳三が愛刀の和泉守兼定でチタタプしている。
現代の新撰組ファンの人が見たらさぞかしびっくりする光景だろう。
いくらチカパシくんが言い出したこととは言え、本当に刀でやってしまうとは思わなかった。
ちゃんとチタタプって言いながら切り刻んでるし、案外ノリの良い人なのかもしれない。

「尾形〜」

アシリパちゃんが尾形さんを指名した。
どうやら次は尾形さんの番らしい。

ご指名を受けた尾形さんは黙って台の前に座り、無言のままチタタプを始めた。

「尾形さん、チタタプは?」

「……」

「みんなチタタプ言ってるぞ?本当のチタタプでチタタプ言わないならいつ言うんだ?」

私とアシリパちゃんで畳み掛けるが、尾形さんは黙ったままだ。

「みんなと気持ちをひとつにしておこうと思ったんだが」

アシリパちゃんがそう言った時だった。


「チタタプ」


アシリパちゃんが尾形さんをバッと振り返る。
そして目を丸くして尾形さんを見ていた私と顔を見合わせた。

「…!?言った!!」

「尾形さんッ!」

思わず尾形さんの背中に抱きついた私の前で、アシリパちゃんがみんなにいまのを聞いていたか尋ねている。

「んも〜聞いて無かったのか!?」

アシリパちゃんの反応からして、どうやらさっきのを聞いていたのは私とアシリパちゃんだけらしい。
残念だが仕方ない。

みんなでチタタプしたものに白子を加えて更に細かく叩き、最後に砕いた焼き昆布を混ぜ、塩で整える。

「これが鮭のチタタプだ。新鮮な鮭が手に入るいまの時期しか食べられない」

アシリパちゃんの説明に、みんな出来上がったチタタプを感心したように見ていた。

鮭の身は串焼きにし、これにご飯代わりの品が二品加わる。
米とヒエを炊いたおかゆにイクラを入れたチポプサヨ。
塩煮したジャガイモを潰したものにイクラを混ぜたチポロラタシケプ。

料理が揃ったところで食事が始まった。

尾形さんは串焼きにした鮭を受け取ってかぶりついている。
私も同じものを手に取って食べてみた。
脂がのっていてとても美味しい。

「ヒンナヒンナ。尾形さん、ヒンナは?」

「……」

「もう、すぐ黙っちゃうんだから」

「お嬢ちゃん達は相変わらず仲が良いな。その夫婦みたいなやり取りも見慣れて来たぜ」

牛山さんがからかってくるが、尾形さんはフンと鼻を鳴らしただけで、構わず食事を続けていた。

「インカラマッさんっていったかね?あんた、いい人いるのかい?」

牛山さんは矛先を谷垣さんの隣で食べているインカラマッさんに変えたようだ。
彼女は谷垣さんといい感じだから口説いてもダメだと思うんだけどなあ。

すると、突然チカパシくんが谷垣さんのご飯を取り上げ、インカラマッさんに「はい」と渡した。

アシリパちゃんの説明によると、女性が男性の家に行ってご飯を作り、男性は半分食べた器を女性に渡す。
女性がその残りを食べたら婚姻が成立するのだそうだ。

「アイヌにとっての求婚のようなものか」

と、杉元さん。

「本当の家族になれば?」

チカパシくんの言葉に、インカラマッさんは困ったように渡された器を見下ろしていたが、谷垣さんによって器は彼の元に戻されてしまった。
そのまま外に出て行ってしまった谷垣さんを追うように、インカラマッさんも外へ出て行く。

「おっと……まだ微妙な関係だったか」

牛山さんが大人の意見を述べた。

谷垣さんとインカラマッさんが外に出て行ってしまうと、チセの中には微妙な空気が漂っった。
さっきまでの楽しい食事会といった感じが無くなってしまっている。

「ん」

そんな微妙な空気の中、尾形さんが自分のご飯の器を私に差し出した。
もちろん、お代わりとかじゃなく、食べ残しの器を。

えっ、いま!?
このタイミングで!?

「どうした、食えよ」

「うう…ッ」

痛いくらいにみんなの視線が集まっているのを感じる。
この空気の中で断ったら完全に私空気を読めない人になるじゃないですかッ!

「いただきます!」

こうなったら自棄だ。
腹をくくった私は尾形さんが差し出した器を受け取り、食べ残しをもぐもぐ食べてみせた。

おおーッ!と周囲から声が上がる。

「尾形ぁ、無理強いは感心しないなぁ。なまえちゃん、断ってもよかったんだぜ?」

「まあまあ、見ろよ、尾形のあのやってやったぜと言わんばかりの顔」

「やるねえ、尾形ちゃん。ピュウ☆」

尾形さんは満足そうな様子で髪を撫で付けている。
ものすごいドヤ顔だ。

「これで名実ともに夫婦だな、お嬢ちゃんッ」

牛山さんに背中をバシッ!と叩かれる。
思わず咳き込むと、アシリパちゃんが背中をさすってくれた。

「大丈夫か?なまえ」

「アシリパちゃん!」

アシリパちゃんだけが私の癒しだ。
私はアシリパちゃんに縋りついてしくしく泣いた。

「こいつ谷垣ニシパのご飯食べてるッ」

谷垣さんのご飯を食べている白石さんの頭をチカパシくんがペチンと叩く。

「白石、お前今日から谷垣の嫁な」

ドッと笑いが起きて、私と尾形さんの件は自然と流された形になったのでほっとした。

尾形さんはニヤニヤしながら私を見ている。

「これでもう逃げられなくなったな。なあ、なまえ?」

尾形さん、怖いです。

怯える私を、尾形さんは真っ暗な洞窟のような黒い目を猫のように細めて見つめていた。


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