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「ちょうど昼時だし、そろそろ休憩しようか」

光忠に言われて、ようやく書類を書いていた手を止める。
彼に声をかけられるまで全く休み無しに働き続けていたことに気付くと同時に、今更ながらに身体のあちこちが痛み出した。
長時間力が入っていた証拠だ。

「いたた…」

「大丈夫かい?」

光忠が持っていたお盆を傍らに置いて、肩や腕を優しくさすってくれる。

誰かに労られるのはどうしてこんなに心地よいのだろう。
じんわり胸があたたかくなって、まるで魔法のように痛みも消え失せていく。

「光忠」

「はいはい、よしよし」

光忠に甘えてすり寄れば、心得たとばかりに抱きしめられる。
あぐらをかいた彼の上に座らされ、光忠の大きな身体にすっぽり包み込まれるようにしてよしよしナデナデと頭や背中を撫でられた。
顔をあげればすぐに口付けが降ってくる。

「光忠、お腹すいた」

「そうだと思って昼餉を持って来たよ」

そう笑って、光忠がお盆に乗せて来た食事を机の上に置いた。
春らしく、たけのこの炊き込みご飯に、蒸した春野菜の数々とサワラの煮付け。
デザートの甘酒プリンの上には、桜の砂糖漬けが乗っている。
この砂糖漬けも彼の手作りに違いない。

「こうすれば、まだ桜を楽しめるだろう?」

「うん、光忠凄い」

箸を手にした光忠が魚の身をほぐして食べさせてくれた。

「はい、なまえちゃん。あーんして」

「あーん」

まるで雛鳥にでもなったような気分だ。
光忠は親鳥のように甲斐甲斐しく食事を口に運んでは、もぐもぐとそれを食べる私を愛おしげな眼差しを注いで見守っていた。

「ごちそうさま」

「美味しかった?」

「うん、とっても」

「それは良かった」

光忠の端正な顔が近づいてきたので反射的に目を閉じる。

唇をぺろっと舐めた生暖かい舌が口の中に入り込み、口中を舐め回して舌に絡みつく。
まるで生き物のようなそれは、散々私の舌をなぶってから、ぬるりと外へ出ていった。

「んぅ…は、ぁ…ん」

「そんな可愛い声を出して……食べてしまうよ」

額に、頬に、顔中にキスを降らされる。

甘やかされるのは嬉しい。
愛されていると実感出来るから。

けれど、光忠が際限なく甘やかしてくれるものだからどんどんダメ人間になっていっている気がする。

「このままだと光忠がいないと何も出来ない人間になりそう…」

「そうなればいいと思っているよ」

「えっ」

「僕がいないと何も出来ない君を、ずっと愛でて世話をしてあげたい」

燭台の炎をそのまま映したような色の瞳に、ちらちらと見え隠れする狂気を見つけて、背筋がぞくりとした。

「光忠、こわい」

「大丈夫、怖くないよ」

優しく宥められると単純なもので、私は彼の胸にすがってほっと息をついた。

今のは気のせい。

こんなに優しい光忠を怖いと思うなんて、どうかしている。
きっと疲れているせいだ。

「光忠…」

「ん、愛してるよ。なまえちゃん」

欲しい言葉だってちゃんとくれる。

だから気のせい。

抱きしめてくる光忠の背中に手を回して彼のぬくもりに包み込まれながら、私は自分にそう言い聞かせていた。

母屋のほうから全く誰の声も聞こえてこないのも、きっと気のせいに違いない。

どうしても震えが止まらない身体を、光忠はいつまでも優しく抱きしめてくれていた。


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