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私の両親と新年の挨拶を交わし、和やかに談笑している降谷さん。
どうしてこうなった。

発端は、私が風見さんに交際相手のフリをして貰えないかと頼んだことだった。
と言っても、風見さんと一緒に撮った写真を親に送って、彼は忙しい人だから結婚はまだ考えていないの、とかなんとか言って適当に誤魔化す予定だったのだ。

「風見に務まるのなら、僕でもいいだろう?」

それをどこからか聞きつけた降谷さんがにっこり笑ってそんなことを言い出したのは完全に予想外だった。
黒の組織の潜入捜査が終わってから、降谷さんは少し変わったように思う。
日本への愛国心、忠誠心は相変わらずだけど、心に余裕が出来たというか。とにかく以前とは少し違って見える。

「やらずに後悔するよりは、やって後悔するほうがいい」と、興味を持った様々なことにチャレンジするようになった。

だからと言って、これはないですよ。

夫と証人の欄が記載された婚姻届をこれ見よがしにテーブルの上に広げてみせた降谷さんは、その端正な面立ちに悲しげな表情を浮かべながら、私の両親を前に一芝居打っている。

「僕は一日でも早く籍を入れたいのですが、なまえさんがなかなか頷いてくれなくて……」

「まあ……なまえったら、こんな素敵な人を困らせて」

「早く印鑑を持って来なさい」

もはやこの家に私の味方はいないようだ。
母も父もすっかり懐柔されている。
それはそうですよね。こんな超のつく優良物件を見逃すはずがありませんよね。
それでなくとも今まで浮いた話ひとつなかった娘が婚約者を連れて来たんだから喜ぶに決まってますよね。
全部嘘だけど。

こっそり私を流し見た降谷さんがくすりと笑う。

「拗ねてないでこっちにおいで」

それがあまりにも甘くて優しい声だったから、それだけで泣いてしまいそうになる。
もちろん嬉し泣きではない。
この状況を思いきり楽しんでるでしょう、降谷さん。

父親がわざとらしくコホンと咳払いしたので、仕方なく降谷さんの隣に腰を降ろす。

「いい子だね。ここにサインして」

婚姻届の妻の欄をトントンと指先で叩いて降谷さんが言った。

ごめんなさい。もう風見さんを困らせたりしませんからもう許して下さい。
そう目線で訴えるが、降谷さんは笑顔のまま圧をかけてくる。
私は自分の死刑宣告書にサインするような面持ちで妻の欄に必要事項を記入した。

「…印鑑がありません」

「僕が持ってる」

最後の抵抗とばかりにそう言ってみたが、あらかじめ予測していたように降谷さんはスーツの内ポケットから印鑑を取り出してみせた。本当に怖いな、この人。

「僕が悪いんです。忙しさにかまけて今まで結婚の話を先延ばしにしてきたから、彼女はきっともう愛想をつかし始めていたのでしょう」

降谷劇場はまだまだ続く。

「ですが、これからは良き夫としてなまえさんと支え合って生きていこうと思っています」

「偉いわあ。それに、このミートボールとキャベツのミルクトマト煮もとっても美味しい。料理がお上手なのね」

「なまえさんには少しでも栄養のある美味しいものを食べて頂きたいので」

「今どき感心な青年じゃないか。なあ、なまえ」

乾いた笑いを浮かべるしかない私をよそに、降谷さんは両親と結婚式はいつどこでするかについて熱心に話し合っている。

もしかしなくても私は降谷さんに嵌められたのだろうか。

いやいや、これはきっと夢だ。夢に違いない。
夢なら早く覚めて。お願いだから。

「二人で幸せになろう、なまえ」

スカイブルーの瞳をキラキラ輝かせながら降谷さんが私の手を取る。
お芝居のための小道具に過ぎないと思い込んでいた左手の薬指に嵌められた婚約指輪が私と降谷さんを見えない糸でしっかりと繋いでいた。


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