「だれかたすけて」
心からの言葉が思わずこぼれそれをすかさず耳聡くキャッチした山姥切国広が「どうした」と声をかけてくる。その声は主の切実さと同様に深く心痛に溢れていた。私の頼れる近侍は私の手を取るか取らまいかと逡巡するように手を上げ下げしている。その様子から彼の心中を予測するに、主の心痛を我が身のように感じ慰めようとするも主と自分では身分(?)の違いもあり懊悩しさらにさらに今までの近侍として培ってきた信頼を裏切って手を取って慰めたいという欲求を抑えさらにさらにさらに自身の中で芽生えたこの訳の分からない感情に溺れそうになっていることであろう。
この苦悩、懊悩は主に恋愛感情から発せられるものである。
私は苦悶に歪む近侍の顔を冷めた目で見ながら「国広がんばって」と無慈悲に応援した。
「恋愛感情に負けるな負けるな。国広はやればできる子」
「くっ……、だが主、俺のこの気持ちは生半可に抑えられるものではな、……。いや、違う。これは俺の感情ではない。よく見てみろ俺。こんな見た目だけが良いゴリラ、仕事もできて俺達を従える姿が凛々しく横顔が可憐なゴリラなんて……。……、……、良いかもしれないな……」
「負けてるじゃねぇか。というより私仕事できないし国広の中の私が美化されすぎてる。これも恋愛パワーなのか。恋愛ってこわいね……」
「その憂慮する主も良いかもしれない」
「お願いだから国広負けないでよぉ。国広が最後の砦なんだよぉ〜。だれかたすけて……」
「主には俺だけがいればいいんじゃないか? そうかもしれない……」
「こわいよぉ……」
ヤンデレな発言に傾倒してきている近侍が怖すぎて急遽ゴリラを印刷し「これを私だと思って」と手渡す。私の言葉に従ってドラミングするゴリラの写真を見つめて「主……」と切ない声を出す近侍から若干の距離を取りつつ、私は審神者部屋でタブレットをぽんぽんと操作していく。
今本丸にいる刀で恋愛バグに感染し重篤化したものたちを中心に部隊を編成する。大浸冠の時にもやらなかった脅威の6振り10部隊編成で次々に遠征に出させる。
タブレットのチャット通知が怒涛のように流れていくが知るか。文句言わずに遠征に行ってこい。私の怒りを知らず非難轟々のチャット欄に辟易する。仕方ない、とチャットに打ち込んだ。遠征で頑張った刀には私からご褒美をあげるからね(はーと)。恐ろしいことにそれ以降チャットは更新されることなく編成した部隊が次々と「遠征中」ステータスに変わった。こわい。帰って来たら何を要求されるのかが分かってるけども分からないのがこわい。
「こんのすけ」
「はい、審神者様。お呼びでしょうか」
「みんなをなおして」
「審神者様が求められているような即座の解決法はこんのすけには備わっておりません。こんのすけは時の政府から派遣された式神でございます。この状況に対処するための提案、なんらかの対策はしますがそれ止まりでございます」
「どうして〜みんなを直す方法を備えててよ〜!」
「審神者様、こんのすけは度々申し上げましたが」
「いやいいお説教はもういいいらないいらないの勉強ももうしたくないのそれよりもこの状況を打破する方法を、薬をくださいお願いしますこんのすけ薬を、薬をちょうだい〜〜〜!!」
「やめてください審神者様! こんのすけの骨格は貴方様に抱きしめられて耐えうるものではありません!」
「主、抱きしめるのなら俺にしろ。俺ならお前を受け止められる」
「いや〜〜! いやぁ〜〜!」
「子供のように駄々をこねるな。見苦しいぞ主」
「あっ! 今ちょっと私の頼れる近侍の国広だった! 国広正気に戻った!?」
「駄々をこねる主、それもいいかもしれない……」
「いやぁ〜〜〜〜!!!」
「くっ……」と顔を赤らめてそっぽを向く国広からさらに距離を取る。こんのすけも私から距離を取っているので変な三竦みが完成されつつあった。
審神者に就任してからこれまでいくつもの修羅場を潜り抜けてきた私であったが、流石に今回のテロには屈しかけていた。本丸の内外には味方がほとんどおらず、精神的に追い詰められつつあった。
恐ろしい。審神者ニュースでトップに流れてくる記事を見ていた頃の私は「へぇ。そんなことがあったんだ」と流していたが、いざ自分の本丸が渦中になるとその恐ろしさを十二分に実感していた。
私の本丸は、恋愛バグに汚染されてしまったのだ。
これは大浸冠後、いくつもの本丸で発生しているものだそうだ。
その名で察する通り、これに罹患した者は主に対して恋愛感情を持ち増幅させていくのだそうだ。刀剣たちは人と同じように肉体を持っているように見えているが、実際のところは素粒子を操作して構成されている。ホログラムの触れるバージョンのようなものであり、用意された受肉ホログラムに付喪神が宿っている、といった感じなのだ。確かそんな感じだったはず。
そのシステマチックな部分に、バグが混入した。
大浸冠後に主に思いを寄せる刀剣たちが増え、最初はあの大激戦を乗り越えた刀剣たちが吊り橋効果よろしく主に対する思いが強まったのだろうと思われていた。だがそれは甘かった。各本丸からの救難要請が時の政府に集まり、その数の多さに政府が調査と審神者の救助に乗り出したのだ。
これは歴史修正主義者が起こしたテロではないかと審神者たちの間でまことしやかにささやかれている。私が常駐するさにわちゃんねるでは各本丸の審神者たちの悲鳴の声が数多く寄せられ、歴史修正主義者たちの手段を選ばなさに「卑怯者め!」と憤りが噴出していた。
恋愛経験皆無の私はその状況を見て「なんて大袈裟な」と思っていた。
むしろ恋愛とは素晴らしいもので、想い想われの素敵な話であろうにと思っていたのだ。なのにどうして救援が必要になるのだろうと不思議に思っていたしむしろ刀剣たちにモテて羨ましいとうじうじとしていたのだ。その時の私は馬鹿だった。
「こんのすけ、治療法、なにか、なにかをぉ……」
「現在は各地でも同様な事態に陥っており、そちらの対処に手を取られてしまっています。パッチの開発、到着は遅れるであろうことが予測されます。時の政府もこれに対しては早急に用意していますが、なにぶん数が多すぎる。審神者様、耐え忍びましょう」
「でも、でもぉ……みんなが怖いの。2週間前まではみんな普通だったのに、今じゃみんな私のことを好きだ好きだって言ってきて、私はみんなのことを大切な同僚だとしか思えないのに、みんな、みんなが……」
「審神者様、気をしっかりお持ちください。時の政府もこの事態を重く見ています。審神者様が望むのでしたら避難シェルターに入ることも可能です。事前に山姥切様がシェルター入居の申請をしていますので、明日の午前にはなんとか」
「え、く、国広が!?」
「いくらゴリラでも主は主だからな。俺は主を愛するぐらいならゴリラを愛する。安心しろ」
「ねぇこんのすけ! 国広がいよいよバグり始めてて怖いんだけども! 会話になんないよぉ!」
「山姥切国広様。審神者様をゴリラだと言うのでしたら、ゴリラを愛するのは審神者様を愛するのと同義では?」
「……くっ……こんのすけ、主の前でそ、そんなことを言うのをやめろッ」
「こんのすけ煽んないでくれない!? それとずっとスルーしてたけど私のことゴリラって言うのやめてくれない!? 筋肉ほとんどないからね私!? 国広なんで私のことをゴリラだっていうの!」
「審神者歴が長く本丸の強化が逞しい審神者はゴリラと称されるらしいぞ。ゴリラの前では敵も恐れ慄くのだそうだ。誇れ」
「普通に嫌なんだけど……」
私のことを熱いまなざしでじっと見てくる国広には本気でビビっているが、国広は私の身を案じて手を打ってくれていた。頼れる近侍の存在に私は思わず国広の目を見つめ返した。
1秒見つめ合った瞬間、国広は「主ぃぃぃ!! 主ぃぃぃいい!!」と叫んで両手で顔を覆い身体を丸め、そのあと勢いよく畳をバンバンし始めた。怖い。
「主と見つめ合ってしまった! 動悸が! 俺はゴリッゴリラのことがっゴリラッがぁぁ!!!」
「こんのすけ、国広が怖いしゴリラと言われまくって普通に傷つくんだけど」
「山姥切国広様も戦っておられるのです。胆力を称賛してもよいかと思います」
「そうかもしれないけど普通に傷つく」
「山姥切国広様もおつらいご様子。審神者様、明日の午前までなんとかしのぎ切りましょう」
「ウン……」
先ほど10部隊を遠征に出してこの本丸に居る刀剣は数を減らしている。
私に対して好き好きアピールが激しくない刀剣たちを中心に本丸に留まってもらっているが、時間が経てばどうなるかは分からなかった。
審神者部屋を離れるのは得策ではないだろう。塩対応をしてくる国広でさえこんなことになっているのだ。本当にどうなるか分からない。
国広は全然眼中になかった私のことを恋愛観点から好きになってしまいそうになっているのが耐えられないらしく「忠誠心万歳!」と言い始めていた。なんだろうな。私も国広に対してはそういった感情は持っていないけどもこういう風に言われるのはだいぶ傷つくぞ。いや、いいんだけども。
恋愛バグに汚染されてしまっている国広を見てて思うのは、これが審神者に対してしか働いていないのがまだ救いだな、ということだった。
政府の発表も、このバグは刀剣から審神者に対してのみであり他の事例は観測されていないようだし。これが刀剣同士でもだったら物凄いことになっていただろうな。
「あ、主……」
「な、なんだよ……国広……」
「今から喫茶店にお茶をしに行かないか。その後は、お、俺のお気に入りの場所に……」
「負けるな国広。そんなど定番のデートをしたら後で後悔することになるよ」
「もっと良いプランを考案しろと……?」
「ごめん私がデートとか言っちゃったからそっちの方向に行ってしまったね。違う違う私とデートしたら後でその事実に国広が後悔することになるよ」
「…………そうかもしれない」
「負けるな国広。がんばれ国広」
「主、俺は、俺はこのバグには負けない……見ていてくれ……」
「がんばれー」
タブレットをぽんぽん操作しつつ本丸内の刀剣に仕事を与えていく。そうだこれを機にみんなに掃除をしてもらおう。審神者部屋には近寄らないように掃除をしてもらい、少しでも時間を稼ぎをしなければ。国広のバグり方を見ているだけでお腹いっぱいだ。他の刀剣たちに会いたくなかった。
この2週間の間、他の刀剣たちの少しずつ増えていった奇行。あむぁーーい言葉の雨や熱い視線。なぜか曲がり角で運命的なぶつかり方をする頻度の増加。少しずつ増えていったスキンシップを思い出しつつ、私は無の境地になりつつタブレットを操作する。
遠征の時の刀剣たちのように非難轟々のコメントは流れては来ないが、その代わりに君に会いたい系のコメントが流れてきて私の目は遠くなった。はやく明日になってくれ。
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