姫様突撃事件から数日後。クロームにはあの後業務外のことを頼んだことを謝罪した。始祖の隷長と満月の子を同じ場所に置くというのは不安ではあったが、何事もなくて良かった。クローム自身も、姫様に対して悪感情を持っていないように感じる。私がそう思っているだけかもしれないが、少しでも話が出来たというのは大きいのではないか。
 クロームは人間ではないかもしれないが感情はある。少しでもいい。関わりや繋がりを持っていればそれがいつか芽を出してくれるのではないか。ただの希望的観測だがそう願わずにはいられない。
 姫様との話で彼女からの私の信用が多少損なわれたような気がするが……仕方ない。
 将来エステルが城を飛び出さないと話が進まないんだ。これは仕方のないことなんだ。
 
 大きく息を吐いて書類をまとめる。仕事の流れがなかなか良好なんじゃないか、と久しぶりの満足感に浸りつつ執務室で残りの仕事を片付けている時、城の巡回をしている騎士の一人が大慌てで私のところに来た。
 緊迫した空気に何かが起きたのだろうと思考が非常態勢に切り替わる。
 騎士の話を聞くと「空中を浮いている人間が閣下の執務室、いえ仮眠室に入っていくところを見ました!」と言われ私は色々と察した。あぁ、うん。
 閣下無事でしたか! とこちらの身を心から案じてくれているであろう騎士に労いの言葉をかける。不届き者を捜索しなければ、と仮眠室に警戒を向けている彼に大きく息を吐いた。他に誰かにこのことを言ったか、と聞けば隊の者には通達しているようだった。……あぁ、うん。ちゃんと仕事をしているな、君。
 執務室の外が騒がしくなってきていた。彼の所属している隊の者が来ているようだ。いや、まぁ、うん。……色々とすまない。
 突撃の許可を欲しがっている彼に私は静かに言った。

「心配しなくていい。それは鳥だ」
「と、鳥……? 閣下、違います、あれは絶対に人です! 不審人物が閣下の部屋に!」
「私の方は心配せずとも大丈夫だ。君が見たのは大きな鳥だ。分かったな」
「えっ!? 直立不動で浮く人間大の鳥ってなんですか閣下。閣下!?」
「君は何も知らなくていい。分かったなら出ていきなさい。……君の仕事ぶりを評価する」
「えっ!? 閣下!?」

 狼狽える彼を執務室から出し、外に集まった者たちにも以上の説明をして扉を閉める。
 私はすぐさま仮眠室への扉を開いた。
 案の定デュークがいた。
 デュークは鳥の世話をする用具を持って私を振り返った。

「アレクセイ。ちゃんと世話をしているのか」
「な、なにをだ……?」
「彼らの世話だ。まさか愛でるだけ愛でて、その他の事はしていないのか」
「止まり木は用意している。いや待て。それよりもだ。デューク、お前、浮くのか……?」
「何の事を言っている」

 窓から入ってくるのになんの疑問も抱いていなかったが、この執務室は結構高いところにある。今にして思えば、始祖の隷長に乗って執務室に来ていたのなら非常に目立っていただろうし、私はどうして今までそのことを考えなかったのだろうか。
 デュークは浮く。慎重に聞き出した末、本人が認めた。
 人間辞めすぎじゃないか? と思ったがゲームの方でもレビテーションというスキルをリタが習得していた。どうやらデュークもそのスキルを持っているらしい。スキルと言われて納得はしたが、単身で浮くデュークを想像するとなんとも言い難い。せめて直立不動はやめろ。未来のラスボス様は私の理解の範疇を軽々と越えていくようだ。
 ゲームのラスボス戦で確かに浮いていたような気がするが、それよりも人型のラスボス特有のあの恰好の方が脳裏に焼き付いている。戦闘ではいくらでも浮いていいから日常生活では浮くな。驚くから。
 とりあえず巡回の騎士に見つかっていたからこれからは気を付けてくれ、と注意した。
 それと姫様たちを不安にさせるなと言うと「彼ら次第だ」と言い返された。
 な、何がだ? 主語を抜かすなお前は。ちゃんと喋ってくれ。

 両殿下たちが不安がるのは自分の与り知ることではない、ということか。皇帝になるという信念があれば不安になることもないだろうと思っていそうだな。デュークのようなしっかりとした信念を持っている人間ならそうなのだろうが、お前両殿下の年齢考えろ。
 そのことも言えば「成長するのも彼ら次第だ」と言われた。……まぁそうだな。

 次にデュークに会った時に色々と怒ろうと思ったが、逆に鳥の世話に関することで怒られてしまった。
 何も考えず餌をあげていないか、最近ここらの鳥が肥えているようだが私の仕業ではないか、可愛がるだけ可愛がって放置は人として最低だ、ともう本当に色々と言われた。
 デュークは自然を愛しているからなぁ……申し訳ない……。いや、その、鳥が餌を啄ばむ姿って癒されるしな? けどそこまでいっぱいあげているつもりじゃ……私のせいではないぞ。
 そういえば片付けている書類の中に野鳥が増えているというのがあったな。……わ、私のせいではないはずだぞ……?
 デュークに疑われているのは心外だった。これは早急に調査せねば。
 そして身の潔白を証明しなければならない。

 デュークは鳥の世話用具を私に渡すとさっさと行ってしまった。
 なんなんだお前は。本当になんなんだ、お前は。


 それから数日、野鳥が増えた原因が分かった。
 自称鳥愛好家の貴族が鳥の世界を作ろうとしていたらしい。
 なんとも迷惑な話だ。
 帝都の中を鳥まみれにしようと企んでいたようだったが、話を聞いてみれば珍しい鳥の交配に成功して興奮のまま暴走しているようだった。何をしているんだこの馬鹿は。鳥の糞は病気の媒介になったりするんだからやめろ。可愛いのはよく分かるのだがな。
 異様に鳥に執着する貴族に辟易して、騎士団の護衛をつけて森に遠征してもらうことにした。貴族は外の鳥を見ることができると非常に喜んでいた。この馬鹿らしい任務に就いてくれたのはナイレン隊だ。彼は笑いながら了承してくれた。良い奴だなぁ彼は。
 
 貴族の我儘次第では長期に渡るかもしれないので非常に申し訳なかったのだが、魔物の間引きも兼ねるということで貴族の方にも納得してもらった。本当は逆なんだがな。本来魔物の討伐に向かう隊に無理を言って捻じ込んだのだ。貴族の方はそれに気付いているのか気付いていないのか。いや、内容はどうでもいいのだろう。鳥を脅かす外敵が減るのは嬉しいらしく、いそいそと鳥観察のための準備に取り掛かっていた。……そうか。
 あまりにもすんなりと納得したので肩透かしだ。評議会の連中もこれぐらい素直であればいいんだがな。いや駄目だな。あれはあれでいい。政治の中枢を担う者たちが物分かりの良い人間達で構成されていたら逆に心配になる。少しだけでいいから、ほんの少しだけでいいから融通が利く頭になって欲しいだけだ。

 アスピオの研究員たちのところに行ってヘラクレスの開発がどうなったか見に行けば祭り状態だった。異様に興奮した彼らが机を囲んでああでもないこうでもないと議論している。監督係が輪に入れず棒立ちしているのがなんとも言えない。なんなんだ、この熱気は。
 ようやく私に気付いたアスピオの研究員たちが私を無理矢理輪の中に入れてきた。
 これがこうであれでこうで! ロマンが! これがあったら実用的! 押収した兵装魔導器がすごい! 量産して如何なる魔物を吹き飛ばすことも! 超巨大要塞! 動く城! 水陸両用! 世界最強の魔導器! 魔導器の中での生活! ロマン!

 非常にうるさかった。
 とりあえずいらなさそうな機能はばっさりと切り捨てる。
 ブーイングが起こったが、お前たち、私が騎士団長だということを忘れていないか?
 研究畑の人間は皆こんなものなのだろうか。いやこれはきっと違うぞ。こいつらが異常なだけだ。なんだか妙な仲間意識を持たれているようで、彼らは驚くほど気安い。
 おかしい……。一応アスピオは帝国直属の研究機関だ。きちんとした機関で働いている人間がこんな破天荒な者共たちなのはおかしいよな。なんなんだ?

 私の周りにはおかしな奴らしかいないのか。
 窓から侵入してくる人間複数、暗殺を企てたり、変な行動を取ったり。
 ん……? おかしい。これだけだったか? もっとやらかしていたような気がするが。だめだ、思い出せない。疲れているのかもしれない。今日は早く帰って寝よう。う、うるさいやめろ。私を早く解放してくれ。仕事はもう全部終わったから後は帰るだけなんだ。く、くそ……話というのはなんだ。ほうほう、それはなかなか。なるほど。……な、なんだそれは……。面白そうじゃないか……。ヘルメスの著書を無事全て解読した私がその不明な部分を補ってやろう。任せなさい。ヘルメス、見ていてくれ! 貴方の魔導器への愛を受け継いだ私が正しく美しい魔導器を開発してみせる! 
 
 これがこうであれでこうで! ロマンが! これがあったら実用的! だめだそこは予算が! 馬鹿、ロボはやめろ! 変形は金がかかると言っているだろうが! カッコいいのは分かるがプラモとかで我慢しなさい。やめろ監督係、私たちを止めるな。これは私の数年後に必要なものなんだ。誰にも止めさせやしない! これはすごい! ヘルメスの著書で勉強したところだ! これを使えばああでこうでこうできる! アスピオの研究員たちの歓喜の声が私を奮い立たせた。私達の夜はこれからだ! ついてこい者共ォー!!


 結局のところ、私邸に無理矢理帰ってきたのは日を跨ぐ直前の頃だった。
 馬鹿か私は。あんなに盛り上がってどうする。彼らが私に妙に気安かったのは、この私の性質を見抜いてたからなのだろうか。同類の匂いがしたということか。嫌だなそれは。
 魔導器のことは嫌いだが、自分が分かる部分だとか新しく作り出すとなると楽しくなってしまう。騎士団本部崩壊の時の事が少なからず傷になっているので拒否反応もあるが、元来知ることや学ぶことはそこまで嫌いじゃなかった。

 同じ仕事の繰り返しで漫然とストレスを溜めていた私には、アスピオの研究員たちとの話は良いストレス発散だった。身体を動かすのも好きだが、ああいう思考をこねくり回して好き勝手に議論をするのも好きだ。
 アスピオの研究員たちは興奮のまま魔導器の図案を完成させると息巻いているが、私はもう寝ろだとか食事をしろだとかを言う気力がなかった。いや、彼らの気持ちが分かってしまったというのが正しいのだろう。楽しいことは、寝食を忘れて没頭してしまうものだ。
 私は明日仕事があるからと研究室を抜けたが、彼らはあれからも熱中しているのだろう。監督係の助けてくれという視線には気付いていたが、彼には家に帰ってゆっくりしなさいと言い帰してやった。アスピオの研究員たちを完全に信用しているわけではないので、研究室から出さないようにと見張りの騎士たちに言い渡し軟禁状態にしてきたが、彼らもきっと本望だろう。いつも小うるさい上司に帰れと言われず、好き勝手にできるんだ。朝一にどうなってるかの確認だけはしてやろうじゃないか。
 あぁ、明日が楽しみだな。

 疲れて帰ればいつも通り執事が出迎えて、応接室でレイヴンが来ていることを知らされる。
 またか。いつでも来ていいとは言ったが頻度多すぎじゃないか? 何をしているんだと応接室に行けば、レイヴンは酒を呑んでいた。見慣れた紫色の羽織、ぼさぼさの結い髪と、ゲームの中で見た彼の格好でグラスを揺らしている。結構呑んでいるのか赤ら顔で「あっ、たーいしょー!」と笑う男に脱力した。

「これ、これ、大将憎いじゃねぇーのー! 俺様のために酒を用意してくれたなんてねぇ、じいさんから聞いちゃってねぇ! くぅ〜、これ、旨いわー!」

 そう言って酒瓶の口を持ってこちらに見せつけてくるレイヴンに腹が立った。
 憮然とした顔で腕を組んでいる私に「およっ?」と驚いた顔をしたが、すぐさま笑って「まーまー、大将も呑みましょうよ。大将のお酒で!」と挑発してきた。
 今日は本当になんなんだ。厄日か?
 私は溜息を吐いて向かいの席に座る。すかさず執事が私用のグラスを出してくれた。私のグラスに酒瓶を傾けようとしてくるレイヴンを制し、私は自分用の酒を用意してもらった。甘めのウイスキーだ。レイヴン用に置いていたのは甘口と辛口の焼酎だったのだが、彼は辛口を選んだようだ。辛口もいいのだが、今日の私は甘めの気分だった。
 彼は私のグラスに酒を注げないことに不満そうにしていたが、一緒に呑むことには変わりないのだと気付いて上機嫌に戻る。

「大将、今日はなんだか遅かったんじゃなーい? 面倒なお仕事でも片付けてきました?」
「仕事といえばそうだが、面倒なものではないな。いや、ある意味面倒だったか……?」
「仕事仕事ばっかじゃ、頭固くなりますよー? ほーらいっぱい呑んで呑んでー!」

 なんとなく嫌な予感がする。もしかしたらレイヴンは絡み酒の傾向があるのかもしれない。
 まだ酒が入っている私のグラスに向かって酒瓶を差し出してくる。グラスの口を手で覆い無遠慮な手から遠ざけた。レイヴンから身体を遠ざけて、ロックアイスの入ったグラスを傾ける。……あぁ、身に染みる。酒が入るとほっとするな。

「でも、こんな遅い時間にまでって。……なぁに、もしかして美女と密会してたとか!?」
「なんだそれは。どこからその発想が出てくる」
「えぇ〜? そりゃこんな時間まで夢中になることがあったってことでしょ? それじゃあ答えは一つ。美しい女性に引き留められていた、だけじゃなーい?」
「……それだけだと思うような選択肢の少なさは、憐れだと思うがな」
「手酷い! それじゃあなんだったわけ?」
「君に言う必要はないだろう」
「えっ! そりゃ俺様さびしいわ! ……んー、まぁいっか。明日もお仕事でしょ。呑んでぐっすり寝てくださいよ」
「……そうだな」

 ぐいぐいとハイペースでグラスを傾けていく彼に心配になるが、上機嫌に呑んでいる彼を止めるのもな。レイヴンの言う通り明日もいつも通り仕事をしなければならないので、身体が温まる程度呑んだら部屋に戻るか。
 レイヴンがいることに疑問に思い、何か用があったのかと聞いてみたが「えー?」とへらへら笑うばかりで話が通じそうになかった。面倒くさいなコイツ。二杯程で切り上げて部屋に戻ろうとしたら、もう戻るのかと不満声を上げられた。なんなんだ。アスピオの研究員たちといい、レイヴンといい。気安すぎじゃないか?
 ここは厳しく言った方がいいな、と思い口を開いた。が、レイヴンの言葉の方が早かった。

「ねー、たいしょー、聞いてくださいよー。俺、もしかしたらギルドにもう戻れねぇかもしんないわー!」
「…………は?」
「いやぁー、ちょっとドンを怒らせちゃいましてねぇー。そのお怒りが覚めるのがいつかわっかんないんですよねぇー。あっはっは!」
「…………」
「あっはっはっ…………はぁ…………」

 さっきまでの上機嫌が嘘のように鳴りを潜める。
 口元に自嘲するような笑みを浮かべている。死んだ目でこっちを見るな。
 一体何をやらかしたんだコイツは。
 私は深く溜息を吐いて座り直した。気まずげに目を逸らしている彼に訊いた。

「何があった?」
「……その、不用意な事を言ってしまいまして、それが気に障ったらしくダングレストから追い出されました。追い出されるのはいつもの事なのですが、今回のドンの怒りが常よりも本気であることが窺えます。通達されているのかダングレストの街にも入ることができず、これがいつまで続くか分からない状態です」
「なるほど。その不用意な発言というのは?」
「…………その、……申し訳ございません。勝手とは思います。ですが個人的なものですので、言えません」
「………………はぁ。そうか」

 何をやらかしたのかと思えば、それだけか。
 彼らしくなく、まるで取り返しのつかないような重大なことを起こしたような口ぶりに緊張したが、たったのそれだけだった。だがそれだけであるにも関わらず、街に入れない程とは何を言ったのだろうか。一応の確認に「人を貶めるような事、倫理や彼らの理念に反する事を言ったわけではないな?」と訊けば「違います」と返ってきた。
 ならそれだったらあのドンのことだ。いつかレイヴンのことを許してくれるだろう。
 だが、おかしなものだな。ドンがそれほど怒る言葉とはなんなのだろうか。レイヴンのことだからそこまで致命的なことを言ってはいないと思うのだが。
 どうなのだろうか。ゲームの方とは違い大分変わっているところがある。そのせいでレイヴンがギルドから追い出される結果になったとしたら、これは非常にまずいな。

「君が言ったことは、彼がその対処をとるほどの失言だったのか」
「……いえ、なんといいますか、ドン・ホワイトホースは腑抜けている人間が嫌いでして。その類の発言をしたので、そうなったかと」
「なるほど。その程度のこと、というわけだな。なら時間が経てば解決するはずだ。君がギルドに入り込めないのは確かに痛手だが、他の者たちもいる。彼らに頑張ってもらおう」
「……はい」
「ふむ。だが、君がその発言をしたからというよりも、何か帝国に知られたくないことがあって君を追い出した可能性もあるな。ドン・ホワイトホースは君の正体に勘付いている節がある。何か心当たりは?」
「…………いえ、ありません」
「そうか。今後ギルドに動きが無いか慎重にならざるを得ないな。そちらに人員を割いて、君は帝国の方で仕事をしてもらう。いいな?」
「……はい」

 グラスを両手で持ち、落ち着きなく指を動かす彼に不思議に感じた。
 レイヴンの表情も、彼らしくなく思い詰めたようなもので疑問に拍車がかかる。
 彼は非常に要領がいい。ダングレストを追い出されたからといって、一生そのままであるとは限らないだろうに。むしろ彼なら時間が経てば何食わぬ顔でまたギルド員として働くと思うのだが。そんなに言った内容がやばいものだったのだろうか。
 それとも、帝都で働きたくないということか。それは困るな。こんな要領のいい男を遊ばせるつもりなんて無い。散々こき使ってやるからな。

「何を気落ちしている。君からの報告で知る分ではあるが、ドン・ホワイトホースはそんな狭量な男ではなかったはずだ。時間が経てば怒りも収まるだろう。……帝都で働くのが嫌、というわけではあるまいな?」
「いえ、そんなことは! ……そんなことは、ありません、が……」
「が? なんだ?」
「…………いえ…………」
「……はぁ。何か悩み事でもあるのかね」
「……、い、いえ……」

 ふいっと顔を背けた彼に、分かりやすすぎて逆に困ってしまった。
 突っ込んで訊いてもいいものなのか。
 何か気になることがあるのなら話しぐらいは聞いてやるというのに。
 私には相談してくれないんだな、この男は。
 いや、そうか。そうだな。相談しないのは当たり前だ。私はただの上司であるし、しかも命を握っているような状態だ。嫌々言う事を聞いているようなものだろう。家に招いてはいるが、彼にとっては雨風を凌げて酒を呑んで楽しくなれるというだけの事だろうし、寝食も完備されていれば無料の宿屋でもある。彼が高い頻度でここに来るのは当たり前のことなのだろう。

 そのことに気付いて、彼の為に酒を用意した自分が馬鹿らしく思えた。
 少しぐらいは仲が良くなったのだろうと思っていたが、そうだった。彼は人の心に入り込むのが上手い男だった。私は彼が元気付いていくことに嬉しく感じていたが、彼にとっては私のことなどどうでもいいのだろう。
 馬鹿らしい。酔いが一気に覚めてしまった。
 舌打ちしたいのを堪えてグラスをテーブルに置く。

 一日が終わる直前の時間帯だ。
 執事たちにも迷惑がかかっている。
 彼に割り当てた部屋に早々に行くか宿屋に行けとグラスを弄ぶレイヴンに指示を出し、私も自身の部屋にへと戻った。


 朝一にアスピオの研究員たちのいる研究室に行くと死屍累々だった。
 床に転がっている人間たちを見て「やはり家に帰すべきだったか……」と後悔した。
 何人かは机にかじりつくようにしてまだ何かをやっていたので手を止めさせた。すまなかった。これからはもう君たちを置いていくようなことはしない。研究畑の人間たちの自己管理のできなさを思い知った。もういいんだ。君たちはもう寝ていい。
 労りの言葉をかけてやり彼らに用意された仮眠室に移動させる。ベッドに寝かせるとすぐに意識を飛ばした。……すまない。彼らの手を胸の上で重ねてやり、そっと毛布をかける。安らかに眠ってくれ。
 監督係に「言わんこっちゃない」と雄弁に語る目を向けられたが、すまない。昨日はテンションが上がりすぎていたんだ。正常な判断ができなかった。魔導器の図案なんぞ一晩でできるものではない。それなのに昨日の私は「明日の朝になれば面白いものが見れる」と思い込んでいた。その結果がこのザマだ。これからはこんなことが無いようにしないと。
 他の者たちもベッドに運ぶように指示を出して仕事にへと向かう。

 そういえば朝にレイヴンのことを見なかったが、あの男はちゃんと来るのだろうか?
 少し心配だったが杞憂だったようだ。彼は騎士服に身を包みきちんと来ていた。
 とりあえず彼には帝都周りにいてもらおうか。騎士団の人間は人魔戦争の英雄に対して好感情を持っている。彼らに顔を見せることで士気が上がるはずだ。それに彼にも騎士団の人間たちに関わることで覚えて欲しいことがある。今までは彼のことを慮ってできるだけ騎士団から遠ざけていたが、将来のことを考えると流石にそうし続けるのは駄目だ。
 フレンが騎士団長代理として働くことになった時、シュヴァーンが騎士団やその他諸々の内情を知っていれば動きやすくなる。クロームがフレンに付いてくれればさらに良いのだが、それも難しそうだしな。

 シュヴァーンが傍にいれば、彼が認めているということでフレンもやりやすくなるはずだ。
 助言等は彼に任せよう、そうしよう。私がフレンに対してできることは少ない。どれぐらいで彼らが入隊するかは分からないが、私が彼らに関われる期間は短いはずだ。ユーリとかは特にな。ユーリに関してはもうほとんど関われないものと思っている。
 できるだけフレンのことも気にかけたいところではあるが……贔屓とか噂されて潰されても困る。潰されるほど柔ではないだろうが、少しでも負担を増やすような真似はしたくないな。

 ということでさっさと働け。
 色んなところに行ってもらうからな。覚悟しておけよ。


 日が経ち、魔物の間引きに行った部隊が帰ってきた。
 近場だったとはいえ、ナイレン達はつつがなく任務を遂行したようだ。
 鳥愛好家の貴族は思っていたよりも大人しかったらしくナイレン達を著しく邪魔をすることは無かった。魔物が分布する場所に普通の鳥がいるのかと思ったが、少なくはあったがいたみたいだ。鳥たちもなかなか逞しいな。
 貴族はそんな逞しい鳥を捕獲、もとい保護をしたいと言い出してそれを抑えるのが大変だったとナイレンがぼやき、私は苦笑した。すまないな、面倒なものを押し付けてしまって。

 彼の報告を聞きながら少し気になることがあった。帝都周辺は流通の確保のため魔物の間引きを定期的に行っている。街道は勿論、魔物の繁殖期には巣に近いところを叩くのだが、大抵は森や人が足を踏み入れない場所にその巣はある。今回は繁殖期ではなく、比較的安全な時期ということで森に行ってもらったのだが予想していたよりも魔物が多かったと報告を受けた。それに加えていつもより好戦的で、軽い興奮状態に近いものがあったと。
 あの中で護衛対象がいるのは骨が折れたので次からはなんとか連れて行かないようにしたいというのが彼の本音みたいだ。重ね重ねすまないな。

 ナイレンの報告を受けて考える。
 軽い興奮状態か。頭の片隅で引っ掛かりを覚えた。
 それに似たものを知っているような気がするのだが、どうだったか。
 繁殖期でもないのに魔物たちの神経を高ぶらせる出来事があったというのならそれはなんだろうか。外敵の侵入、縄張り争い、食料不足での餌場の取り合いか?
 魔物が思っていたよりも多かったというのなら、縄張り争い辺りだろうか。
 若干の引っ掛かりを覚えつつもこれ以上考えられるものが無かったので置いておくことにした。

 シュヴァーンには帝都周りのことをしてもらっているのだが、日に日に覇気が無くなっていくのが面白、いやいや不憫に思えてきた。シュヴァーンというキャラを守るためなのか、死んだ目というか据わった目でいるのは常なのだが、それでも少しずつ元気が無くなっていっているのがよく分かった。死んだ目が板についてきているぞ。
 やはり彼にとってここはつらいのだろう。英傑と持て囃され尊敬の眼差しを向けられるのも、平民風情がという貴族からの侮蔑の眼差しや言葉を投げられるのも、全て。
 彼は元々貴族であるから、貴族たちの持っている観念を正しく理解している。交渉事や取り成しが上手いのだが、そういうことばかり任せていては神経が磨り減るというものだ。平民たちからの尊敬の眼差しも、私がシュヴァーンに対して「そういう設定」として与えたものに向けられたものであるからお門違いも甚だしい、という気持ちもあるだろう。人魔戦争のことは言わずもがな。

 ダメだな。彼をここに長く居させてはいけない。
 指示を出せば結果を出してくるし使い勝手がいいのだが彼が摩耗するばかりだ。
 残念に思いつつも彼をここから離れさせることにした。
 とりあえずナイレンの報告が気になったので森に行って来い。隊の者たちと気兼ねなく身体を動かしてくると良い。これが終われはダングレストに入れなかったとしても海を渡ってトルビキアの方に行ってもらうからな。ついでにヘリオード予定地の方も頼むぞ。結界魔導器が出土したということであそこに街を建てようという話になっているんだ。レイヴンとして騎士団との交渉、とまでは行かなくともなんとかいい感じに頑張ってくれ。……そこらを頑張らなくてはいけないのは私の方なんだがな……。


 評議会とアスピオの研究員たちに振り回されつつ日々を送っているとシュヴァーンが戻ってきた。
 ナイレンから受けた報告と同じく魔物たちの様子が少しおかしいというものだったが、それに加えてエアルの乱れがあったらしかった。クロームが傍にいたのでぼかされた言い方だったが、心臓魔導器が若干不調を起こした、ということをさらりと言われて焦った。動揺して盛大に机を鳴らしてしまい、クロームとシュヴァーンに不審な目を向けられた。シュヴァーン、お前からその目を向けられるのは違うと思うぞ。
 予想以上の魔物の数に、興奮状態。エアルの乱れに森、と来て私はようやくここで思い当たった。
 ケーブモック大森林で問題を起こしていたエアルクレーネの存在だ。

 待て待て。帝都の近くでそれはだいぶ困る。
 嘘だろう。エアルクレーネが近くにあるのか。
 どうしてそんなことになった。
 いや待つんだ。まだそうと決まったわけではない。
 調査をして本当にそれがあるのか確認しないと。
 調査に派遣する隊をどうするかと考えていると、シュヴァーンに森の地形に違和感があったと言われて不安が募った。この男、分かって言ってるんじゃないだろうな?

 報告の後、予定通りにシュヴァーンをトルビキア大陸の方に飛ばす。ドンのご機嫌伺いをしてこい。心臓魔導器の方も気になったので軽く点検したが問題はなさそうだ。これなら大丈夫だろう。
 森の方はまたナイレン達に頼んだ。エアルの濃度を計る魔導器を持たせて、それと念のためにエアルの影響を少しではあるが和らげる魔導器も持たせた。彼にはエアルクレーネの存在を話して、何か少しでも異常を感じれば無理をせずに戻れ、と言い含めて調査に向かわせる。

 彼が持ってきた結果は、まぁその、当たって欲しくない予想通りだった。
 小さいながらもエアルクレーネが地表に突出しており、暴走はしていないが魔物が活発になっているのは確かだった。なんてことだ。
 何故だ? こんな話、ゲーム本編では無かった。
 エアルクレーネが近くにあるとなるとヘルメス式の魔導器の開発ができないじゃないか。開発をしてもいいのだろうが、試運転でエアルを大量に消費して刺激でもしたら事になる可能性がある。
 近場で魔物の大量発生でもされてみろ。平原の主とかいう大型の魔物もいるのだから帝都への人の出入りが困難になる。森自体も広がれば魔物の住処も増える事になり、エアル濃度が高まりつづけるというのも、近付いたら死んでしまう猛毒ガスが蔓延してるのと同じ状態なのだ。人々が不安がらないはずがない。
 あぁ、面倒くさい。非常に面倒くさい。

 どうしてエアルクレーネが近くにあるのだろうか。
 あれはエアルが不足しているところに出てくるものじゃないのか。
 そういった印象があったのだが、違うのだろうか。

 魔物が軽い興奮状態にある、というのも問題だ。
 暴走はしていないみたいだが、エアルクレーネが活動しているのは確かだ。
 エアルを吐き出してそれに当てられた魔物が軽く正気を失っているのだろう。

 どうするか、と悩みに悩んでデュークのことが思い浮かんだ。
 ……デュークに少し手伝って貰おうか。
 エアルクレーネ関連だったら彼も否とは言わないはずだ。多分な。
 彼の持つ宙の戒典で調整してもらおう、と考えてふと思いつくことがあった。
 そういえば偽宙の戒典の開発をどうするかきちんと考えてなかったな、と。
 宙の戒典という実物の解析が出来たら一番良いのだろうが、デュークに頭を下げて頼み込んでも彼は貸してくれないだろう。ならせめて宙の戒典の力が発揮されているところを解析するだけでも、開発の近道になるんじゃないか。

 そのことに思い至り、苦い気持ちが胸中に広がる。
 彼を利用し、あまつさえ彼の友人たちを脅かすであろう技術を掠めとる行為だ。自身の考えに反吐が出た。友人を騙し「必要だから」「未来のためだから」だとか綺麗事を吐き自身を正当化する。……それは、友人に対して行うものではない。相手に対しても、自分に対しても不誠実だ。
 だが、目の前に開発のための最良の材料があれば、誰だって手を出すのではないか。
 葛藤があった。

 先送りにしたい考え事だ。
 いや、そうだ。先送りにしよう。それで流れてしまえばそれだけのことなのだから。
 待て。エアルクレーネは実際にあるのだからあまり放置しすぎるのもダメだ。
 まずは部下に調査と観測に向かわせて、日に日に活性化していくのであればデュークに頼む。その段階でまた考えればいいだけのことだ。そうだ、そうだな。それでいい。
 放置だ放置! 知らん! 私はもう知らんぞ!
 偽宙の戒典の開発が遅れるとか私は知らん! こっちはこっちでアスピオの研究員たちに死ぬ程頑張ってもらったらいい。だから私は知らんぞ! 死ぬ程働け! 私は知らんからな!
 問題の先送りという手段は最高だな。



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