イエガーにあの場面を見られたことがわりとショックだったのだが、それに頭を悩ませている時間は無い。寝る前のフラッシュバックが増えただけだ。非常につらいが仕方がないことだろう。とてもつらい。あまり突かれると枕を濡らす日が来るかもしれないな。……恐らく、しないけど。
ヘルメスの著書の解読が折り返しにまで来た。
夜中。私邸で解読用の本やら書き出すための紙を机に積み上げて私は思考した。
私は魔導器に対してあまり良い印象が無く正直やらなくていいのであれば手を出したくないという気持ちが強いのだが、それを越えてヘルメスの残した論というのは面白く興味深かった。
エアル、術式、魔導器のことが書かれているのだが主に術式が多く書かれていた。
ヘルメスは主に既存の魔導器を改良し出力を上げるのに力を入れているようで術式が複雑極まりなかった。よくこんなに緻密なくせに大掛かりなものを考え付くな。解読だけでも頭が痛いのに大掛かりすぎて一つの術式の終わりという一区切りをつけても意味が分からないぞ。
ここまで複雑だとそりゃエネルギーを使うわ。演算の量が果てしないし処理能力が上がってついでに出力やら精度やらを高めようとするとさらに倍ドン。ヘルメス式すげぇなこれ。術式の強度が増すとそれを現象化させる魔導器も大掛かりになってくる。
魔導器というのは魔核という核に術式を刻みエネルギー変換器として物理を具現化、現象化させるのだが、ヘルメス式というのはこの魔核の限界を越えることができる。限界を越えるというよりも、限界を越える前に魔核内に留まるはずのエネルギーを放出する。普通の魔導器よりもエアルを取り込む速度と演算力が半端ないからだ。外付けの術式が優秀過ぎるぞこれは。
よくこんな術式を思いつけるな。
魔核というのはそもそも聖核を割ったものであり、これは始祖の隷長が長年エアルを吸収して結晶化したものである。聖核はエアルの塊であり、高純度のエネルギー固体だ。その他にも重要な要素があり、それはこの聖核には文字通り「核」があるということだ。
魔核は人の手で作ることはできないのだが、それは「エアルを結びつけるのにエアルを使っているはずなのだがエアルだけにしてはどうして纏まっているのか分からない」状態であり、未だに解明されていないからだ。
そしてこの「核」というのは、始祖の隷長が生まれながらにして持つ「力」の事だろうと私は思考する。始祖の隷長の「力」というのがまぁ「リゾマータの公式」と呼ばれる回路というか、術式なんだろうな。
魔核は適切な使い方をすれば摩耗するということは無い。それは始祖の隷長の力が勝手に魔核を修復するからなのではないか。その力の及ぶ範囲という名の総量が一定に保たれる。
そしてこのヘルメス式の恐ろしいところは、先程も言った通りエアルを取り込む速度の上昇とそれを処理する演算力だ。ヘルメスは魔核がなんなのかを分かっていなかっただろうに、その「核」である部分の本質を理解していたというわけだ。
その本質を理解したのは、ナギーグなのではないか。
あの天才、なるべくしてなった感がある。
魔核がエアルを取り込み術式を介して魔導器が現象化させる、という流れを高速で行わせることに成功したのだあの男は。エアルがほぼ魔核を素通りしているレベルだ。始祖の隷長の「力」を理解し、総量を一定に保ったまま放出する速度を上げる。それは始祖の隷長であったとしても難しいのではないだろうか。
エアルの量は使うが変換器である魔核の負担を考えなければ、あとは魔導器の出力を上げればクリアだ。
怖い。聖核という物ではなく始祖の隷長という生物で考えればその恐ろしさが分かる。強制的に、狂わない程度に、最大限力を使わせているのと同じではないか。怖い。
そして話が少し飛ぶが、恐らくヘルメスは満月の子の力を限りなく再現してしまったのではないだろうかと、私はさらに思考する。
いや、まぁ満月の子の一番最大な厄介な部分である「エアルに干渉する」という部分が抜けてはいるのだが、まぁ出力的な意味でだ。
満月の子の「力」というのは、ヘルメス式と同じ演算力とか処理能力がやばいんだろうな。
エアルを大量に取り込み回路を通して術式として発動する。しかもその身体の中に備わる力が「エネルギー変換器」としての役割を伴っているのだ。魔導器で言う魔核の役割を単体で果たしてしまっている。
ここまで考えて私が思ったのは。
恐らくなのだが、魔導器というのは満月の子の力の機能を基にして作られている。
だってなぁ。満月の子と魔導器の類似点が多すぎる。
魔導器は魔核と筐体で成り立っている。
これはエネルギーであるエアルを、変換器である魔核と、それを動かす術式を通して、筐体が発現する。
この流れは絶対だ。
そしてこの流れを満月の子は一個体で全て行っているというわけだ。うわお。
古代文明って確か満月の子が指導者で君臨してたとか言ってたような気がするから、まぁ自身の力を理解していれば魔導器を作ることなんて容易なんだろうな。
満月の子が魔導器と同じ役割をこなし、しかも出力がヘルメス式と考えると満月の子やばいなぁ。
始祖の隷長も似た力を持っているのだから彼らも魔導器の基になったのではないかと言えるのだが、魔導器を作ったのは人間だ。遠いサンプルよりも近いサンプル。魔核を使っているんだし始祖の隷長が手伝ったとは思えない。
私はリゾマータの公式に思いを馳せる。
なんだよリゾマータの公式って。頭が痛い……。いや、エアルの昇華、還元、構築、分解をするというのは分かってはいるのだが、この術式ってどうやって完成させればいいんだ……くそ……。
満月の子が始祖の隷長に対して猛威を奮うのは、こちらもただの予想なのだがエアルに干渉する力で始祖の隷長の回路やら力やらをぶっ壊しているからではないだろうか。満月の子はエアルを変換する力も強く、それが聖核を核としている始祖の隷長に大打撃と。凝縮したエアルの結晶を迂闊に分解、昇華してしまって身体の中で破裂とか……怖いな……そんな感じじゃないかね。
だがリゾマータの公式でどうにかしたというのなら、人魔戦争の時にテムザを襲った始祖の隷長とエルシフルが戦った時はどうだったのだろうか。お互いに干渉し合って発狂とまでは至っていないはずだ。やはり満月の子と始祖の隷長の力は何かが違うのだろうか。
満月の子は一点集中型なのか? 始祖の隷長は広範囲型とか。どちらも実際に調べることができないので分からない。
姫様は近くにいることはいるのだが、調べようものならロリコン呼ばわりだろうな。物凄く怪しくない健康診断をするのでよろしくお願いします。……事案だな。
私はヘルメスの著書を閉じて目頭を揉んだ。
これを読んで、エステルを鍵として使うのがどれだけ有用かよく分かった。
満月の子の力を使えれば、大体のことができる。
リゾマータの公式はエアルに干渉することができる。このエアルに干渉するというのが、本当にやばい。術式を無理矢理組み替えることができてしまう。術式というのはエアルが無いと動くことはない。回路であり、その中にエアルが流れているのだ。
術式の中を流れるエアルを分解し一部の術式を削り、他の部分に術式を加えて構築してしまえば、簡単に組み替えることができるのだ。
満月の子はその身一つで魔導器の役割を果たす。
エネルギー変換器であるその身は、エアルの処理速度が速く出力も高い。
あとはエネルギーであるエアルが揃えば良いというわけだ。……それが聖核か。
高純度のエネルギーを用意できればあとは満月の子を通せばいいだけだもんな。はぁ……なるほど……。
始祖の隷長を使うのもいいのかもしれないが、あちらはあちらで手に負えそうにない。体内に高純度のエネルギー固体を持っているのだから抑えつけようとしても無理そうだ。
というかアレクセイはよくこんなものを思いついたなぁ。
私はゲームの知識があるから最初っからこれはこうでと考えることができるが、彼は文献やらを調べて地道に積み重ねて行ったんだろうし、知識欲も混ざっていたのかもしれないが理想のために邁進した結果だ。私はどちらかというと日和見というか、必要に迫られないと動かないタイプというか、上に立つ人間にしては弱い思考をしているというか。
私の考えるアレクセイ像をなんとか被っている状態なのではあるが、これ自体はなかなか上手くいっている自信がある。見られてはいけないものをイエガーに見られたりはしたが、誤差の範囲……ご、誤差の範囲だ……。
思考が逸れてるな。アレクセイのすごさのこと、ではなく行動を思い出そう。アレクセイの思考に成りきる……成りきれるのか……? 成りきる……んだ。
満月の子の内にリゾマータの公式があると知るだけでいいのだろうか?
というかそもそもアレクセイは宙の戒典自体を求めていた。その剣に秘められた力を欲したのだから満月の子はまぁ……代用品ではあるのだろうけども……。
いや待て。原作のアレクセイは確か満月の子を人工的に作り出そうとしていなかったか。
海精の牙を使ってエアルを……何かして、結果的に暴走したはずだ。何をしたのかは忘れた。何をしたんだろう。
だが人工的に満月の子を作ろうとしたというのなら、アレクセイはその公式を組み立てて実験したのだろうし、いやはや。というか偽宙の戒典を作っていたなぁ。ガスファロストの動力源だったような気がする。ということは私がどうにか頭を捻らないとガスファロスト自体が無くなってしまうのか? えぇ……?
私ではリゾマータの公式に辿り着けそうに無い。なんだよリゾマータ。意味わからんぞリゾマータ。助けてアスピオの研究員たち。
……さて、満月の子の力を抑える術式はこのヘルメスの著書から学べそうだなぁ〜……ははは。……まだ折り返し地点か……。頑張るしかない。
次の日は久々に休みを取っている。
この休みは自主的に取ったものではなく、最近ずっと出っ放しで仕事をしているので部下たちに怒られてしまい渋々と取った休暇だ。あのクロームにも若干怒られたので、本当に仕方なく休みをもらった。まぁストレスを溜め込んでいたし、部下からの温かい気遣いをありがたくいただいておく。上の人間が休まないから自分たちが休めない、という怒りも十二分に混ざっていた気がするが照れ隠しだと思っておこう。
それはいいんだが……アスピオの研究員たちのことや評議会の事が気になりすぎるなぁ。
部下たちはいいんだ。彼ら、彼女らは非常に優秀で信頼に値する仕事っぷりを発揮してくれているからな。そこらへんは心配していないのだが、だが部下たちも評議会が何かやらかしたら対応に困ってしまうだろうし非番だったとしても何か困った事があれば私に言って欲しい。……私はちゃんと休みを満喫できるのだろうか?
まぁいい。一日中引きこもってヘルメスの著書を解読しておこうか。
……一日中、この頭が痛いものとにらめっこしなくてはいけないのか。いや、だがこれの解読は早ければ早いほどいい。ただでさえヘルメス式の開発が原作と遅れているのだ。こちらの解読を進めて研究に還元しなければ。……はぁ。
手に持っていた本やらペンを置いて背凭れに身体を預けて伸びをする。
あぁめんどくさい。ヘルメスの考えた術式というのはパズルのようで面白いとは思うのだが全て暗号化されているので読み解くのに時間がかかるのだ。合ってるかも分からないしな。いや、恐らく大丈夫だと思うのだが。不安しかない。
しばらく天井を見上げてぼーっとしていると、窓からコツコツという音が聴こえた。
窓に顔を向ける。カーテンが閉め切られ、外を窺い知ることはできない。
なんだ? 何かがぶつかった音にしては規則正しかったような気がするが。
間を置いてまたコツコツと音が鳴る。それがノックであることに気が付いた私は、こんな夜中に誰が来たのかと訝しみ立ち上がった。この前のシュヴァーンの件から学び、傍に置いていた長剣を手に取って窓に歩み寄る。
カーテンを開けた瞬間に攻撃をされたら困るな。というか誰だ。礼儀のなっている暗殺者か? もしそうだとしたらちょっと暗殺者が多すぎるからもうやめてくれ。窓から身体を少しずらしてカーテンを引く。
外は暗く、遠くに見える魔導器の光や月明かりばかりがあった。
警戒をしつつも鍵をあけ、窓を開く。さて、何がいるのやら。
さらに身を引いて相手の動向を窺っていると、窓枠の下から腕がにゅっと伸びてきた。
窓の縁を掴み、軽快に這い上がってきたのはレイヴンだ。
彼は窓に足をかけた状態で「よっ、大将」と軽く挨拶をしてきた。髪の毛をくくっているので今の彼が「レイヴン」であると判断したが、服装はそこらの市民と同じ物を着ていて違和感があった。あの特徴的な紫の羽織は小脇に抱えられている何かを包んでいた。
突然の彼の訪問に戸惑いを隠せない。
とりあえず外から彼の姿を見られたらまずいと思い部屋の中に入れる。
「夜分遅く失礼ではありますが、御自らお招きいただきありがとうございます」
「……なんだその口上は。ここには君の求めているような者はいないぞ」
「いえいえ、俺がお会いしたかったのは今目の前にいらっしゃる御仁、その方ですので」
なんだこいつ。
へらっと笑って仰々しい物言いをするレイヴンに、違和感が酷く戸惑う。
レイヴンという男は、上司に対してこんな態度をする者だっただろうか。
……だがこの態度、どこかで見た覚えがあるような気がする。仰々しい割に軽薄な雰囲気や相手に対して挑戦的とも言えるこれは……、そうだ、イエガーだ。
そういえば原作のイエガーもラーギィに変装をしていたな。
もしかしてこのレイヴンは偽物か?
私はすぐさま心臓魔導器の操作盤を開く。
「えっ、ちょっ」
イエガーのものであればとりあえず一度きつく叱ろうと思っていたのだが、私の考えは外れていたようでレイヴンのものだった。
これは本物のレイヴンらしかった。……それはそれで少し困るのだが。
操作盤を閉じて彼を再度見ると、彼は両手を軽く上げた状態で降参していた。
無言で開いたから心臓魔導器に何かされると思ったのだろうか。不安にさせてしまったようだ。謝りはしないがな。
「何をしにきた。また私を殺しにでも来たのか?」
「あ、あぁ〜、いえ。あれはシュヴァーンがとち狂っただけなので、俺はそんなとんでもないことはとてもとても」
害を加えに来たわけではないとでも言うように手をひらひらと振る。
まるで自分とシュヴァーンが違う人物であるかのように言う彼に不快感があったが、ここでその問答をしても時間を食うだけだ。
この男、本当に何をしに来たんだ。
口元を引き攣らせて笑うレイヴンを注視する。
窓からの闖入者にはいい加減慣れてしまっていたが、一番最初の言い方はよくないな。
あの言い方と言葉のニュアンス、おどけた雰囲気がダミュロンが女性の家に訪問した時のものに似ていた。ここには心優しい淑女などいないというのに、あの口上の後に私に会いに来たのだと言うのか。
これは侮辱にも程がある。レイヴンがどういった意図で言ったのかは分からないが、今すぐにでも叩き出してやりたくなった。
私は無言で彼を睥睨する。
何をしに来たか言わないとこのまま窓から突き落とすことも辞さないという気持ちで睨んでいると、流石に彼は慌てたのか弁明を始めた。
「大将が言ってた評議会の議員の邸宅に忍び込んだのですが、ちょっと気になる事があったので指示を仰ぎに来たんですよ」
どうやらレイヴンのロールプレイをそのまま続けるつもりらしい。
なんだか妙に馴れ馴れしいというか、なんだろうか。やはり違和感が酷いな。
ハルルの時も軽い口調ではあったのだが、言動自体に違和感を覚えているというよりも雰囲気がおかしいのだろう。言葉では言い表せられない粘りのような、何かがまとわりつくような気持ち悪さのようなものを感じる。
この妙な感じがなんなのか分からずに彼を観察していると、彼はへらっと笑った。……あっ、やっぱり何かおかしいわコイツ。
いつもの彼なら背筋を伸ばして報告の姿勢をするのに、今は立場など関係がないとでもいうような、自棄になっている人間特有の雰囲気が感じられた。
彼が他人との距離を測りかねるというのは珍しいし、そう気付いてしまえば痛々しく思えてきた。彼が人との距離感を間違えるなど、酒を呑んで判断が鈍ってる時でも早々無い印象があるのだが。……酒、呑んでるわけじゃないよな? 流石に無いよな? 酒気はしないし、大丈夫だとは思うけども。
立ち話もなんだからとソファーに座らせて私も向かいの席に腰を下ろした。
私室に人を招くことをこれまで一度もしたことが無かったので、この空間に誰かがいるというのは変な気分だ。私室で作業をすることが多かったから仕事場の雰囲気に似せていた方が捗ると思って応対用のソファーやら机を置いていたのだが役に立ってしまったな。
それにしてもこのレイヴン、この前の暗殺事件を経て距離が近くなったにしても親しくもない人間の私室に来るということ自体がおかしい。何があったのだろう。
イエガーが言っていた遺構の門から大量に魔導器を買い込んだ評議会議員の邸宅を調べさせに行ったのだが、何か見たのだろうか。まさかゲーム本編のラゴウのように人間を攫って娯楽にしていた、だなんて事は無いよな。それだったらごめんな。汚いものを見せてしまって。
「これなんですがね」
レイヴンは紫の羽織で包んでいたものを解き、中身を取り出して机に置いた。
それは魔導器だった。
魔核がはめ込まれたそれはまだ新しいものに見える。それに既存の物に手が加えられたというよりも最初っから作られたように見えるそれは、私はひどく見覚えがあるような気がした。
「これは?」
「邸宅に地下室がありましてね。そこに兵装魔導器のものらしき部品が大量に保管されていました。これはその一部分です」
兵装魔導器とはまたすごいものを。
個人が所有していていいものじゃないぞ。
手に取って操作盤を開いて確認していくと、先程まで私の頭を悩ませていた著書と同じ術式だということが分かった。
これはこれは。なんともはや。
「完成しているものはあったか」
「この形式の魔導器に関しては深い見識がなく確かな事は言えませんが、恐らく無いかと。ですが知識がある者がいればすぐにでも使える状態でしょう」
「そうか」
ということはどこからかの横流しをそのまま放置している状態か。
組み立てられる人間がいないのか、何か意図があってその時が来るまで置いてあるのか。
じっくり術式を見ていると、術式同士の繋がりが綺麗であることが分かる。魔導器の方も見てみるが、こちらも繋ぎ目が綺麗にされている。誰かが後から取って付けたような機構があるわけではなく、最初っから作り直して必要な部分だけが揃った物。
私は初めて心臓魔導器を見た時のような感動を覚えた。
さすがヘルメスだ。
彼と話をしたのは一度だけだったが、あの時に感じた楽しさも一緒に思い出すような気がした。
しかもこれは、直接ヘルメスが携わった物だろう。
誰かが彼の残した物を足掛かりに作ったにしては、よく考えられて緻密に組まれている。
レイヴンもこれが既存の魔導器とは違う物だと理解しているから迂遠な物言いになったんだろうな。
「君の目から見た感想でいい。その兵装魔導器は全てこれと同じものだったか」
「全てかは分かりませんが、あれと同じものを見たことがあります」
「どこでだ」
「テムザの山の麓、そこの研究施設です」
その言葉に彼を見ると、彼は口元を緩ませてなんでもないようにしていた。
……あぁなるほど。だから彼はレイヴンのままでいるのか。
どうしようもない時は笑うしかないが、シュヴァーンのままだと笑えないもんな。
彼がおかしくなってる理由がよく分かった。
私は人選を間違えてしまったようだ。
操作盤を消してしばらくの間考え、立ち上がる。手元のヘルメス式魔導器が彼の視界に入らないように手近な布で包んで引き出しに仕舞った。
少しわざとらしかっただろうが、傷口を無闇に抉り続けることもないだろう。
「……君の考えている通り、これはテムザの研究施設から流れてきたものだろう。ヘルメスの技術を復元しようとした者が作ったにしてはあまりに整っている。どういった手段を使ったのかは分からないが、あの警備体制の目を掻い潜ったのは大したものだな」
「どうしますか?」
振り返ると、彼はいつもの面白味のない表情でこちらを見ていた。
シュヴァーンの顔になっているなぁ。
どうするもこうするも、……うん、どうしようか。
彼の言葉は任務の継続の事というよりも消すかどうかを問うているような気がするのは気のせいだろうか。最近、すわ暗殺かと動揺することが多かったのでその影響かもしれない。物騒になりたくなる気持ちも分かるが、そう1か0理論だと物事は上手くいかないぞ、と。ただの想像なので本当にそう思ってるかは知らないがな。
「そうだな。……利用するか」
「最重要施設から兵装魔導器を持ち出し、個人で所有している者を利用、ですか。ギルド相手にでもぶつけさせるつもりですか」
「そんなことはしない。前に君にも言っただろう。私はギルドとは友好的な関係でいたい。彼らの理念、思想には私も敬意を表している。それに帝国の庇護下で安穏を過ごすのではなく、己の足で道を切り拓いていく力強さがある彼らに、悪戯にちょっかいをかけてもこちらの被害が増すだけだ。敵対する理由は無い」
「……そうですか」
彼の反応に思わず苦笑した。
ギルドに何かをするわけではないと知った途端に興味を無くすのだから非常に分かりやすい。
アレクセイの前でこんな反応をするだなんて、原作の彼では考えられないな。レイヴンとシュヴァーンの切り替えやら変に刺激されて挙動がおかしくなったりと情緒不安定なところがあるが、それを私が見ることができるだなんて思いもよらなかった。
こちらに弱みを見せているのだ。信用されていると思ってもいいのだろうか。……そう思っておくか!
彼はヘルメス式魔導器が仕舞われた引き出しを見ていた。
手の平が軽く握り込まれているのを見て私はふと思い出した。
「今日は手足の冷えはどうなのかね」
「……いつも通りです」
「そうか。なら上着も持っていることだ。着ていなさい」
彼はレイヴンの紫の羽織をゆるゆると広げ、自身の両肩にかける。
それを見届けると彼を置いて私室から出て給湯室に向かう。冷えに効く飲み物を用意してやろう。この前は豆乳が無かったのでミルクで代用したが、今回はあるぞ。ハチミツは少な目にしておいてやろうか。
この飲み物はアレクセイになる前の現代で得た知識だ。正直どんな原理で冷え性に効くのかは覚えていない。香辛料を使っていることから漢方的な効能なのだろう。身体を温めるのならアルコールもいいのだろうが程々にしないと肝臓を悪くするし、そもそも私の部屋でアルコール類は絶対に飲ませない。
レイヴンとしてはどうせ出されるのならお茶がいいのかもしれないが、私の家には紅茶しかなくてなぁ。あぁ残念だ。独特の風味に悶えておけ。
部屋に戻り飲み物をレイヴンの前に置いた。
私は勿論紅茶だ。
「……またこれですか……なんなんですか、一体……」
「私の前に腰を落ち着けさせる度に出てくると思ったらいい」
「…………前よりも……風味が……変なんですが……」
「豆乳だからな。あぁ、わざわざ私の部屋に来てくれた君に、私自らが手間暇をかけて用意したものだ。まさか残すことはしまいだろうな?」
「………………」
分かるぞ。豆乳、苦手な人は苦手だよな。
さらに少ないとはいえハチミツも入っているからな。
流石に少しの甘さも駄目! というわけではないだろうが、まぁ嫌がらせだな。
「大将は……飲まないんですか」
「私は紅茶を飲みたい気分だったからなぁ。それは次に取っておこう」
「……そうですか……」
ハルルで見た時と同じように背中を丸めて飲んでいるレイヴンに笑いが込み上げる。上着を肩にかけている状態でそうするものだから、本当に仕事に疲れたおっさんにしか見えない。
私が微かに笑っているのに気付いているだろうレイヴンは、居心地が悪そうにしている。彼の傷口を抉ってしまった結果になったとはいえ、私のプライベート空間に勝手に入ってきたのだからこれぐらいはいいだろう。
暗殺事件のことはノーカウントだ。あれはもうどうしようも無かったし、仕方がなかった。
さぁどうしようかな。
兵装魔導器を隠し持っていた議員を利用するとは言ったが、目的がよく分からないんだよな。
おそらくテムザの研究施設から、バレないようにと解体して少しずつ運んでいったのだろう。どうしてそのまま放置されているのかが分からない。どさくさに紛れてヘルメス式魔導器の研究を打ち止めたからか? 国が研究を止めたから危機感を覚えたとか。いやでも施設が吹っ飛んで資料がほとんど紛失してしまったのだから、研究をしたくてもほぼできない状態だったし。止めろときつく言ったというよりも、できなかったんだ。
目的が全くもって分からん。……考えていても仕方がないな。これは後でいいか。
兵装魔導器か。
ヘラクレスに備え付ける物として欲しいなぁ。
どうして放置してるか探って、貰えそうなら貰いたい。
いや、貰おう。やったーこれでちょっとは原作との後れを取り戻せる。
始祖の隷長避けは必須。ゲームでは満月の子に瞬殺されてたり、主人公たちに精霊になれアタックでボコボコにされていたが普通に人間では勝てない。私の痛恨のミスで人魔戦争でテムザを滅ぼしたクソ野郎よりも強いエルシフルが生き残っている状態だからもう未知数で怖い。
どうしよう……エルシフルがいることで私がアレクセイに成りきれなかったら……。いやでもフェローも寄せ付けないほどのものだったし……いけると思いたいな。
私は少し考えた。
シュヴァーンは始祖の隷長のことをきっと憎んでいるだろう。
なら彼にヘラクレスのことを伝えて、始祖の隷長打倒という認識を共有しようか。
今の彼なら私の話も聞いてくれそうだし、復讐心というのは生きる上で良い燃料になる。彼に復讐心を抱いてもらおうかと考えて、……結局やめた。
イエガーもレイヴンもできる限り平穏に過ごして欲しいし、私の目的には関係が無いからな。
まぁ結局物事が動き出したら巻き込むのは必須だろうが、それまでぐらいはなぁ。
せめて始祖の隷長のことや彼らの傷口を抉るようなことは言わないでおこう。
テムザの研究施設で仲間と一緒に見た兵装魔導器を、暗い地下室で見た時のレイヴンはどんな気持ちだったんだろうか。
向かいの席でクセのある飲み物を死んだ目で消費している彼に、目を細めた。
今回の件からは彼を外すか。またギルドに叩き出してやらないとなと考えつつ、私は紅茶を一口含んだ。
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