クロームが書類を持ってきた。
そう、例の書類だ。
私が想定していたのは一枚だったのだが、彼女は気を利かせて五枚ほど用意してくれた。
箱に入れられたそれを受け取る。わくわくして開けると書類が入っていた。手にとってみると流石に紙のような質感はしていなかったが見た目はまぁわりと書類だ。飴なので表面が少し光を反射している。だがテカりも随分と抑えられていて、薄さも申し分ない。
す、すごい……。これをどこに依頼して作ったのかと聞けば帝都に常駐するギルドが店を出していて、そこに依頼したということだ。店の名前を訊けばなんとそこはエルシフル御用達のスイーツ店だった。今度からエルシフルの舌を参考にしてみようかな。
私はクロームに礼を言った。
少し余ったお金を返そうとしてきたが私の我儘をきいてくれたので遠慮した。
迷惑料をお金で済ますのはちょっと心象が悪いというか、それはどうなのかと思うので後日クロームに何かを贈ろうか。クロームに贈るものって……これは大変だ。一番大変かもしれない。女性に贈るものって……しかも始祖の隷長……。彼女の好きなものをリサーチしなければ。
クロームの前ではその箱を仕舞うだけにする。
そしていざクロームが近くにいない時に、私は箱から取り出した一枚の偽造書類を机の上に築き上げられた書類の山の中に差し込んだ。
あぁ、これで書類整理が楽しくなる……。
仕事がこんなに楽しみだったことがかつてあっただろうか。いや無い。
私は盛り上った気分のまま書類の山を処理していく。最初の方は飴細工の書類がいつ出てくるのかと気を取られていたが、途中からは黙々と仕事に集中していった。部下が報告に来るのを聞き指示を出す。
驚くことにシュヴァーンがこの頃よく帝都に戻って来ていて、執務室に報告に来ることが多くなった。ギルドはいつも通り動いているようだ。変な動きはないが魔導器の発掘やギルドとの団結力が強くなっていっているらしい。
うーん。ギルドの人間は血の気が多いからな。あまり強大になられると帝国に喧嘩を売ろうぜという話になりかけない。少しはギルドの力を削がないとな。帝国指揮下のギルドを増やさなければ。簡単なことではないが、帝都に常駐するギルドというのもあることだしな。やりようはあるだろう。
とりあえずギルドで何か揉め事があったら積極的に騎士団を突っ込ませよう。嫌がらせだな。牽制にもなる。
あっ、そうだ。シュヴァーンにも伝えておこうか。
ユニオンと友好条約を結ぶために動いてるからよろしくね、と伝えるとシュヴァーンは驚きに固まった。まぁそうだろうな。帝国とギルドは争い合うもの同士だ。流石に表立って喧嘩を売れば戦争になってしまうのでそうはしないが、帝国とギルドというのは互いが互いを潰し合う敵だと見ている。そんな大仰な事を考えていない者もいるだろうが、相容れない存在だとは認識しているだろう。
帝国の法に嫌気がさして出て行った者たちが作った新しい彼らの居場所。それは大きくなって、今では国と言っても差し障りない。もし争いが起きれば人死には避けられず血を多く見ることになるだろう。
それならもう国として認めて友好的に運営していくのがいい。
個人的にダングレストは一度は行ってみたい。私はまだダングレストに足を踏み入れたことが無かった。
下っ端時代での騎士の巡礼で行けるかとも思ったが、その時はギルドとは仲が良くなかった。行けるわけがない。
ゲーム画面で見た夕陽の街が、実際にはどんなものなのだろうかと思いを馳せる。
私自身、ダングレストの街を見てみたいものだなといった話をシュヴァーンにすると「……良い街、ですよ」と言って微かに笑った。
わ ら っ た
わ、 わ ?
シュヴァーンが 笑った
あまりの衝撃にフリーズした。
私がいきなり固まったからか、彼も違和感に気付いて真顔になった。
あぁ! もったいない! なんてことだ!
く、クロームは……いないか。くそ、これを見たのが私だけとかどういうことだ!
しばらくの間衝撃の処理に手間取り、なんとか呑み込めた後に私は腹の底から息を吐いて背凭れに身体を預けた。
「……彼らには感謝しなくてはな」
「……?」
「君がまたそうやって笑える日が来るとは思っていなかった。騎士団に詰めていれば、こんな日も来なかったのだろう。……ギルドは君にとって良い影響をもたらしてくれたのだな」
「それは……」
シュヴァーンは顔を顰めて言葉を濁した。
自分が笑っていたことに気付いてなかったみたいだ。私が指摘して初めて気付き、私の前でそんな顔をしたことを不覚と思っているのだろう。眉間に深くシワが刻まれた表情で言葉を探す彼に、私は続けた。
「だが、妬けるな」
「は?」
「ギルドには感謝するが、君は騎士団の人間だ。どうせならこちらで、と思わなくもない。……ただの私の願望だがな。……ふむ……そう、だな。こう言われても君が困るだけだな。すまなかった。今のは忘れてくれ」
彼は真顔ではいるが、困惑をしているようだ。
私は誤魔化すように「近い将来私もダングレストに行く。その時はドン・ホワイトホースと話をしてみたいものだ」と言った。ドンと話をしたいのは本当だ。ただまぁ上の人間同士の会話になるので非常に緊張はするだろうな。まともに喋れるかも怪しい。いや、喋らないと舐められるので頑張るのだが。
友人とは言わずとも良好な関係になりてぇなぁ。和やかに食事でも、いや無理だ。腹の探り合いというか、うん、圧迫感がすごいだろうから。
ギルドの総本山、いついけるかなぁ。
シュヴァーンにはこのまま数日、帝都で仕事をしてもらうことにした。
前までだったらギルドに叩き出していたが、今の彼なら大丈夫かなと思い見回りに加わることや討伐の指揮官として働く任を与える。英雄やら英傑やら言われるのは彼も嫌だろうが、まぁ我慢してくれ。少しはこちらで仕事をして慣れて欲しいからな。
いや、だが、すごいな。
原作ではこんなこと無かった。……はず。たぶん。
シュヴァーンがアレクセイの前で笑うなどと前代未聞だ。レイヴンの格好をしていればへらへらと笑っていたりするが、シュヴァーンモードになっている彼が笑うとは、……すごいな。
この前の暗殺事件が影響しているのだろうか。そうだったら、いや、なんというか、……彼もこちらに心を寄せてくれているのだろうか、と思った。
それはいい。やはり彼もギルドがいいのだろうが、こちらだって負けてはいない。彼にとってここは思い出が多すぎる場所で、評議会がクソで、自由奔放に己の道を生きている者が多いギルド総本山には負けるかもしれないが、それでもだ。それでも、この場所は人が生きる場所だ。
この帝都で生きている人間たちはギルドの人間たちのような明確な「己の道」というもの掲げてはいないかもしれないが、だからといって彼らを下に見るのは間違っているだろう。
人に触れ、人と話し、そうしたら分かるはずだ。
キャナリたちが生きている時に、彼はそれを知ったはずだ。
全てを好きになれとは言わない。……だが、彼がまたこの場所を好きになってくれることを祈ろうか。
……彼女が守ったものは、ここにちゃんと息づいている。私はそのことを嬉しく思った。
なんだかしんみりしてしまったな。
仕事をしないと。書類を何枚か片付けていると質感の違うものに触れた。一瞬分からなかったが、例の飴細工の書類だろう。私は口元を少しにやつかせて手に取った。
内容を読んでみると猫ちゃんが逃げ出した、というものだった。
ねっ、ねこ「ちゃん」!? 待ってくれ。ねこ「ちゃん」!?
何度読んでもそう書かれている。待ってくれ。これ、クロームが依頼したものだよな。待って。クロームがあの涼しい顔で「猫ちゃんが逃げ出したと書いてください」とか言ったのか!?
いや待て、落ち着け。クロームが文言まで指定したわけではないだろう。
そこまで事細かく指示しなくても、どうでもいいことを書いてくれと言えばそれだけでいいはずだ。
これはクロームが言ったわけではない。もし言ったとしたら始祖の隷長も可愛いところがあるものだなぁ……。あ、いや、これはクロームが指示したことではない。うん。そう思っておこう。
物凄い衝撃を受けてしまったが、ま、まぁいい。
さて、と……。
なんだこれは。こんなくだらないことを報告書に書くだなんて! 一体誰が書いたというのだ。お前みたいなくだらない書類はシュレッダーにかける手間も惜しいな! このっ、このっ、こうしてやるっ! ぱくっ、パキッ。……口の中でパキパキと音を立てている。これはなかなか。甘さも控えめでいいな。
ふっ、ふふっ。
やばい。騎士団のトップが書類を食べてる。ふっ、ふふふ……。
自分でやっていることではあるのだが、きっと絵面がすごいことになっているだろう。
私は多幸感に溢れていた。
煩わしい書類を食べて処理している。なんて素晴らしいのだろうか。
パキパキと小気味の良い音も高得点だな。
この飴細工はケーキの上に刺さっているプレートに似ていた。
お誕生日ケーキとかに刺さっているやつだな。というか恐らくそれなのだろう。
流石に書類一枚大の大きさのものはきついなぁと思っていると、私はようやく「それ」に気が付いた。
イエガーが窓から半身を出して奇怪なものを見る目でこちらを見ていた。
手にはなんか見たことある色合いの赤色の短剣が握られている。
短剣。短剣か。短剣……。
武 器 持 っ て る ! !
「ウグぶふぅっ!!! うゲホッ! ごふっ、げふっげふっ!!」
思わず咽せた。
な、なんだぁ!? イエガーがなんで、いや待てその前に武器持ってる!!
武器を持ってるって、しかも剥き出しだよなアレ!? なんだ! イエガーも私を暗殺に来たのか!? シュヴァーンといいイエガーといい、空前の暗殺ブーム到来しているのか?! あ、いったぁ! プレートが口の中に刺さったいてぇ!
思う存分咽せた後、涙目になりながら顔を上げる。
イエガーがなんともいえない顔をしてこちらを見ていた。やめろ。半身を部屋の中に入れた状態でこちらを見るな。
「ゲホッ、ガフッ、イエガー……? おまえ、なにして……」
「マイロードこそ、何をしてるんですかね」
「窓から入ってくるな!!」
「急にアングリーしないでくれマセンか、マイロ〜ド」
徐々に「これは面白い場面なのでは?」と思い始めてきているのかイエガーの顔が鬱陶しい笑顔になっていく。具体的に言うと顔の中心に顔のパーツが寄っていってる感じの顔だ。なんだそれは。自分で言ってて分からない。笑いを堪える口元と目、それを必死に留めようとしているのか苦しげに顰められた眉。
物凄く鬱陶しいぞ。
「ふっ……マイロード」
「げほっ、なんだ」
「今のネタで……ビジネス、します?」
「当然のように脅迫するな!」
イエガーの言葉のニュアンスだと確実にさっきの私の行動のことを言っているのだろう。騎士団のトップが書類を食べていたことを誰かに言われたく無ければ何か寄越せということか。なんてやつだ。情報を売り物にしているとは言っていたが、こんなくだらないことを売り物にするんじゃない。
プレートが刺さった部分を舌で舐めつつ、ようやく息を整え終えた私は執務室に堂々と入ってきたイエガーに待ったをかけた。
ここではいつクロームが入ってくるか分からない。仮眠室に移動してもらうととりあえず椅子に座らせる。向かいに座って大きく息を吐き「何をしに来た」と問いかけると「いえ〜」と楽しそうに嗤っていた。なんていやらしい嗤い方なんだ。さっきのネタで強請る気満々じゃねぇか。極悪人め。
「もう一度訊く、何をしに来た。定期報告はまだなはずだろう。何か緊急の用でもあるのか」
「いえ、やる気が無くなったので特に用事はありませんネ」
「……まさかとは思うが、暗殺をしに来たのか」
「いえいえ、そんなまさか。ところでマイロード、先ほど書類を食べていましたがお疲れなんデスか?」
「話の切り替えが雑だな……あと頼むからそれを訊くのはやめてくれ……」
やる気が無くなったってなんだろうなぁ……。シュヴァーンという前例があるから、イエガーが暗殺しに来たようにしか思えないんだが。なんなんだ。こう立て続けだと困る。なんならイエガーも抱きしめてやろうか。それでどうにかなるのならもうどうにでもなれだ。
疲れた気持ちで盛大に息を吐く。……疲れているのか、か。そうだなぁ。
「……疲れている」
「はい?」
「私は、疲れているんだ。毎日毎日評議会のことやら根回しやらで、疲れている。……さっきのは、書類に偽装した飴細工の菓子だ。書類を見るのも嫌になってきたからな。苦肉の策だ」
「……oh」
「身体を動かしてストレスを発散しようにも、やることが多すぎて時間が足りなくてな。……はぁ」
もうどうにでもなれ精神で、あまり誰にも言っていない愚痴を言えばイエガーが微妙な顔をした。
そうだよな。上司が疲れてるとか言って書類を食べてたらそういう顔をするよな。私だってそうする。なんと声をかけたらいいか分からないし、正直関わりたくない。イエガーの反応は至極まっとうな反応だった。
私は本当に何をしていたのだろうか。ストレスって怖い。正常な判断ができなくなってしまうのだから。先ほどまで感じていた多幸感は霧散して虚しさだけが残った。何をしているのだろうか、私は。
「マイロードがそこまで追い詰められているだなんて、相当デスねぇ」
「あぁ……」
「貴方の可愛い部下たちに丸投げしてみては?」
「それは、無理だ。評議会の人間共は私だからこそ対話をしている。私の存在を無視すると後々面倒だと分かっているからな。有力な貴族はそもそも私の言葉よりも悪辣な隊長格に賛同しているから、そちらも駄目だ」
「お疲れのマイロードに免じて、今なら格安で海凶の爪が依頼を受けますヨ」
「い、いらん……」
暗殺依頼をしろということか。なんでそう物騒な話に飛ぶんだ。闇ギルドだから仕方がないのか。シュヴァーンには一度やってもらったことはあるがあれは必要だったからで、今はまだ必要ではない。
イエガーはなんと言ったらいいか分からないといった表情になった。
そうだよな。イエガーに愚痴ってもしょうがないことだ。彼はギルド運営の方を任せているから、騎士団の事情などそこまで詳しくなくても……いや、情報を売り物にするんだったな。それなら知っていた方がいいのか。
というか本当にイエガーは何をしに来たんだ。じとっとイエガーを見ていると彼は大仰な身振りで肩を竦めて話し始めた。
「しょうがないですネェ。マイロードの耳に入れておいた方がいいかと思って来たんデスよ」
「剥き出しの短剣を持ってか」
「あれは外壁を登る用デス。エヴァライトはいいですネェ。壁によく刺さりマス」
「待て。イエガー、外壁に突き刺したのか」
「ハイ」
「……後で修繕費用を請求しようか」
「アッハッハ。まぁそれはいいのデスが、評議会の議員の息がかかった騎士数名から遺構の門に依頼が来ました。大量の魔導器を横流ししろ、との事でネ」
「よくないことなのだが。……はぁ。その騎士というのは誰だ」
イエガーの話を聞きながら評議会がまた何かやらかそうとしているのか、と頭の痛い気持ちになった。騎士団が魔導器開発に力を入れ始めたことで焦っているのかもしれない。帝国が管理している物とは別に隠伏したいのだろう。
騎士団本部を破壊したような危険な物は売買していないみたいだが、念には念を入れておかないと。アスピオの研究員以外にも魔導器開発に力を入れている者は多くいる。評議会の人間がそういった者たちを雇っていたり不法に捕えていたりする可能性だってあるのだ。
「それと、騎士団長の暗殺依頼が来ましてネ」
「……受けたのか?」
「ノンノン。受けるなと仰ったのはマイロードですヨ〜!」
「……そうか。依頼した者を教えてくれ」
用事が無いとか言ってたの嘘だったのかよ。
本当に受けてないのか微妙なところだが、まぁイエガーは仕事に対して真摯なので私を殺しに来ていないということは受けていないのだろう。今殺しにかかってきたらどうしよう。困る。
案の定評議会の人間だったので私は大きな息を吐いた。
どうしようかなぁ。イエガーに暗殺依頼をしてもいいのだが、それもそれでなぁ。まぁしばらくは泳がしておくか。
私のことを暗殺したい人間が多すぎる。トップに立ってるから仕方が無いことなのだろうが、時期が重なりすぎていて厄年なのかと訝ってしまうな。イエガーは違うとは言ってるが、私の暗殺に来たのだろうと思っているので暗殺カウントに勿論入れている。コイツめ。
イエガーは要点だけ伝え終えるとすぐさまどこかに行ってしまった。
お茶を用意していなかったことに気が付いて少し失礼なことをしたかな、と思ったがイエガーも物凄く失礼なこと(暗殺)を私にしてきたのでお相子でいいだろう。
執務室の椅子に座り、上半分が無くなってしまっている飴細工の残骸を手に持って腹の底から溜息を吐いた。
……私は本当に、何をしていたんだろうか……。
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