赤い空、赤い血、赤い人、赤い、……赤い。
 ぼんやりとしていた。俺は空を見上げて流れる雲を目で追っていた。
 この夢にしては平和だった。俺はゆっくりと顔を正面に戻し、軽い身体で周辺を歩く。何も考えていなかった。どうせ死なないと夢から覚めないのだ。死なないといけない。死なないとこの夢にずっと囚われ続けるのだろう。
 歩いていると首の長い生き物を見つけた。人間の身体に、魚の骨のような長い首。登頂には変な形をした顔がついている。魚の骨がゆらりゆらりと揺れ、顔は先程の俺と同じように空を見上げている。
 ぼんやりと見ていた目はぐるりと俺に向けられた。

「なんだ、その眼は……お前も私が悪いと言うのか」

 男がそんな事を言った。その言葉は俺の気持ちの代弁だった。
 レイヴンの目が怖い。あの目は何を見ているのだろうか。アレクセイの姿で無様に足掻く俺のことをどう思っているのだろうか。それを考えるのが怖い。

「あぁ……あぁ……そうだよな……私に立ち向かう勇気がなかったから……」

 魚の骨をぐねりと曲げて男は頭を抱える。目からぼろぼろと涙がこぼれた。男は泣いていた。どうしようもない現実を嘆いているのだ。俺はその気持ちがよく分かった。どうにもならないことを悔いても仕方が無いのは分かっている。
 過去や今を悔いるよりも現状を改善しようと動く方が良いに決まっている。
 分かっている。そんなことは十分すぎるほど分かっていた。

「そうですね。わたしにはそれがお似合いで     」

 男はそう言った。俺はその気持ちがよく分かった。だから俺は笑った。

「そうだよな、俺は死んだ方がいいんだよ。……そんなことはずっと前から分かってるさ」

 男が嘆いている声を聴きながら俺は笑った。分かっている。分かっている。
 けどそれでも、俺は自身の死を選べない臆病者だった。


***


 苦しい。
 薄く目を開くたびにちかちかと目の前が光り、頭の中がぎゃあぎゃあと喚く。
 よく分からないことになっている。
 顔面に貼り付く何かを毟るように顔を手で覆い、苦しさに呻く。
 起きれない。
 目を開いて、起きる。
 それをしなければならない。
 だから俺はそうするために目を開き、ちかちかする視界に嘔吐きながらもう片方の手を横に這わした。
 身体をずりずりと移動させて、俺はようやく端に辿り着く。そのまま膝から落ちて、重力に従って頭も落とす。頭を垂れた状態で蹲り、俺は何が何だか分からない状況を堪えた。
 
 何が起きてるのか分からない。自分が分からない。気持ち悪い眩暈がしていると理解できたのは頭が少し起きたからだろう。ぐらりぐらりと揺れて、魚の骨のようにぐらりと揺れてどうしようもない事に虚しくてみじめに思えた。
 みじめだろう。今の俺はどれだけみじめか分かっている。
 そんなみじめな俺はどうしてここにいるのか。生きていることに疑問に思うよりも死んでいないことが不思議に思う。死んでいてもいいだろう。見られたくない。見られたくない。
 メトロノームのように魚の首が揺れている。ぐねりぐねりと揺れて目がこちらを見ている。なんだその目は、と魚が言う。後悔をし続ける男が俺に毒づく。

 うるさい、こっちを見るな。
 口内がねばつく。震えながら頭を持ち上げて、俺の手じゃない長くて無骨な手が現れた。
 ……あぁ、なんだこれ。
 その手が枝に見えた。木の枝のように長く、節くれだっている。それが両手のように俺にくっついていた。
 俺は怖くなった。

「……れ、レイ……」

 名前を口走りそうになったことに気付き歯を食いしばる。
 あの男を呼ぶな。こんなみじめな姿を見せたくない。
 手が怖かった。俺の身体に引っ付いている枝が怖かった。
 俺の両手として動くそれが怖くて何度もすり合わせる。一本一本確かめる。五指ある。噛む。痛みがある。俺はとうとう人では無くなったのだろうか。あぁでも人でなければ何も考えることも無いしみじめであることもないだろう。

 俺は目を閉じて深呼吸をする。
 頭の中が混乱していた。今の俺はなんだろう。
 考えるとろくなことにならない。気持ちの悪い頭をベッドに預けてゆっくりと息をする。
 …………。

 ざわざわとやかましい脳内が少しずつ大人しくなっていく。
 呼吸を繰り返して、自分が一人であることをきちんと認識できるようになった頃ようやく目を開いた。
 部屋の壁。暗い。部屋の中が暗かった。
 窓がある位置に顔を向けるとそこから見える光は無い。
 今は夜なのだろう。変な時間に起きてしまった。
 俺は立ち上がった。しばらくの間暗闇の中で馬鹿のように突っ立っていたが、窓が気になって仕方が無いのでそちらに近寄ってカーテンの端を握った。めくって外を見ると、雲が微かにかかった満月が見えた。
 ぼうっと見上げていると虫のようなものがゆっくりと横切って行く。それが一匹、二匹と増えていき、それらが横断した後も大きさの違ったものが定期的に横切って行った。
 窓に貼り付いた虫かとも思ったが、違う。
 あれは、雲と同じように正しく月の前を横断している。

「………………」

 月の前を横断するあれは、人を食うのだろうか。
 ゲームの中ではあれがどういったものであるのかはよく説明されていなかった。
 世界を滅ぼす厄災であると言われ、結界魔導器のある街を積極的に襲ってはいたが、あれ本体がどういうことをしていたかまでは描写されていなかったはずだ。
 結界魔導器のエアルを食い、結界を弱らせれば外にいる魔物たちの侵入を許すことになる。それは非戦闘員の多い人里では致命的だろう。だが、それだけだったのだろうか。
 あれは、星喰みは人を食うのだろうか。

 …………、…………。
 ゲームの中で見た黒い魔物が人を貪り食う光景を想像して胸が悪くなった。
 俺は窓から離れた。
 覚束ない足取りで部屋から出て、明かりのない家の中を歩く。一階に下りて、俺はリビングにレイヴンがいないかを確認した。明かりはどこも点いていない。
 この前のように俺が彼に気付いていないだけじゃないかと、何度も何度も目でなぞるようにして確認をする。
 おそらく、いないはずだ。
 いたとしたら、流石に声をかけてくれるだろう。

 俺は外への扉に向かった。
 扉の横にある戸棚から靴を取り出して履き外に出る。
 扉を開けた瞬間に飛び込んで来た湿った土の匂いと涼しげな夜風に触れ、幾分か胸の中にある黒い霧が晴れたような気がした。
 家周辺に簡易的な畑を作っているので、ここは他のところと比べると掘り返した土の匂いがする。一応は俺も手伝ってはいるのだが、大部分はレイヴンの手によって作られている畑には早速何かの芽が出ていた。彼が何を撒いたのかは分からないが、複雑な気持ちに顔を逸らした。
 どこかの森の中にあるこの小さな家から離れる。
 今回は少しだけ体調が良かった。いつもなら歩くだけで心臓を中心に全身の血流を強制的に上下させるような、身体に無理をさせている感覚があって気持ち悪さが伴うのだがそれも無い。

 自分がどこに向かっているのかも分かっていない。
 ただ、俺はあの家から離れたかった。衝動的な行動だ。
 俺はあの家にいてはいけない。レイヴンがあの家に居続ける理由は、その大部分はアレクセイに関するものだろうというのは流石に分かる。監視かその他の理由か、詳しい中身までは推察することはできない。だが、何かとこちらに声をかけて、あの目で俺を観察して気にかけているのは分かっているんだ。
 好意的なものであっても、仕事の一環だとしても、俺はあまりにも彼と一緒にいることに居心地良く思ってしまっている。

 どうせなら放っておいて欲しい。
 俺にはなんの価値も無いのだから、彼が気に掛ける必要はない。
 ……俺にはなんの価値もないが、アレクセイにはあるか。だから生かされているのだろうか。
 もし何かの利用価値があってアレクセイが生かされているのだとしたら、嫌だなと思った。この生き地獄を味わうこともそうだが、彼が、レイヴンが、まるで虫を飼うようにして人を管理しているのだとしたら、それは嫌だなと思う。
 俺が起きるたびに、俺を人として扱い声をかけてくる彼が、内心では蔑み憐れに思っているのだとしたら……、そう考えるだけで身体が急激に冷えていく。

 どうせ、あの男もどこかに行く。
 いつの日か、俺に何も言わずに当然のようにいなくなる。
 次に俺が目を覚ました時、俺は当然のように彼がいると思い家の中を探しても、どこにもいないのだ。
 アレクセイの記憶を持たない俺には利用価値すらも無い。
 込み上げる吐き気に嘔吐く。
 口元を押さえて、徐々に重くなっていく脚を引きずりながら遠くを目指す。時折木の幹に肩を押し付けて休憩を取り歩き続ける。

 静かだ。
 この森は、不気味なほど生き物の気配がしない。
 動物や鳥、虫すらもいないのではないかと錯覚するほどの静けさがあり、下地に生えた草を踏みしめる音だけ大きく響く。雲に隠れていた月が顔を出したのか、視界が少し明るくなった。つられて空を見上げると数匹の虫が満月を食い荒らそうと蠢いている。
 無音の中、それをぼんやりと見上げる。

 まるで夢の中のようだった。
 俺の見る夢は赤い。空も赤く、自分も赤く、地面から生える何かも赤く、人も魔物も全てが赤い。
 だが俺がアレクセイとして起きている今も、もしかしたら夢の中なのかもしれない。
 ここは俺が知っている世界の色だ。朝があって、昼があって、夜がある。空気も現実のものだと思う。
 けども、あの赤い夢の中も同じようなものなんじゃないかと思い始めてきた。
 赤い空だとか俺が見たことのないものだとか、そういったものが多いだけであの赤い夢も、今と同じなんじゃないか。よく考えてみたら、俺がアレクセイになっているだなんていかにも夢らしい出来事じゃないか。
 これは夢なんじゃないか。
 赤い夢を見ているアレクセイの夢。
 蛍光灯に群がる虫のように、満月の前で踊るあれらを眺めながら考えた。

 これが夢なら、レイヴンも夢になってしまうなぁ。
 ……それもなんだか、少し嫌だった。

 木の幹に背を預けて空を見上げていると、無音だった森の中に音が聞こえることに気付いた。
 何かが草を踏んでいる音だ。それは俺が来た方向から聞こえた。
 俺よりも足取りが軽い音に身を縮こませる。隠れるようにして背にした木に身体を押し付けるが無駄だった。すでに見つけられていたようで、俺のいる木に手がかけられ彼が顔を出す。
 迷惑そうに顔をしかめたレイヴンが「ここにいたのね……」と小さく言った。

「よう、アレクセイ。こんな夜更けにお散歩?」
「…………」
「それは別にいーけど、俺が寝てたとしても声ぐらいはかけて欲しいんだけども?」
「…………」
「…………」

 驚いて彼を見ていると、レイヴンが不機嫌そうに顔をしかめたまま黙った。
 妙な緊張感のある空気が流れ、俺は慌てて言い訳を口にする。

「す、すまない……。その……、つ、……月が気になって……」
「月ィ?」

 そう言ってレイヴンは頭上を見上げた。
 彼の目にも蛍光灯に群がる虫のようなものが映っているのだろうか。
 俺は口元を押さえたまま身をよじる。無意識に彼から離れようとしていたのか、俺の二の腕をレイヴンが掴んできて驚いた。彼は不機嫌そのままで俺を見ていた。

「月なら部屋からでも見えるでしょうが」
「あ、あぁ……そうなんだが……」
「だけど? なに?」
「いや……」

 彼らしくない詰問口調に戸惑ってしまう。
 俺が知っている彼は、いつもこちらを労わるような優しいものだった。
 俺は考えた。レイヴンは何故こんなに怒っているのだろうかと考えて、俺が大人しくしていないからだと気付いて申し訳なくなった。
 そりゃそうだ。朝も昼もこんな面倒くさい人間の世話をして、ようやく人心地がつく夜になったと思えば俺が外に出ているのだから。……なんだか、深夜徘徊をする老人の世話をしている人の苦労と同じことをさせてしまっているように思えてきた。
 俺は心底申し訳なくなってレイヴンに向き直った。

「レイヴン、すまない。……その、心配をかけた、……のだろう?」
「あー……そうなんだけども。…………、今度からは声をかけてくれたらいいわ」
「……そうか」

 静かに怒っていたレイヴンは、はぁと息を吐いて肩を落とした。
 俺は困ってしまった。心配をかけたのかどうか不安だったが、本当にそうだったらしい。
 いや、その心配というのは俺の身を案じたというよりも監視対象がどこかに行ってしまうことの心配だったのか? そうなのだろうか。だがどちらだったとしても彼に無駄な苦労をかけさせてしまったのは間違いない。
 何か言った方がいいのだろうか。けど何を言ったらいいのか。苦労をかけた本人が何かを言うのはおかしいだろうか? どうしよう。

「気分でも悪い?」
「い、いや……」
「夜風に当たりたかったのかねぇ。でも流石に薄着で外に出るのは感心しねぇわ。ほら、これでも羽織って」
「あぁ……。い、いや、待て。レイヴンは、どうするんだ?」
「別にいいって。誰かさんのせいで走ったから身体はあったまってるし」
「……すまない」
「はいはい。申し訳なく思うんだったら黙って受け取ってちょーだい」
「…………あぁ」

 レイヴンから上着を受け取り、のろのろと羽織る。
 先程までレイヴンが肩にかけていたせいか温かかった。
 なんとなく目を合わせづらくて空を見上げていると「で、どーすんの」とレイヴンが言った。

「どうする……?」
「このまま散歩を続けるのかって。そうしたいんなら俺も付き合うし」
「……寝ていたんじゃないのか?」
「ん? そうだけど」
「…………えぇと、その、早く戻って寝たいんじゃないか……?」
「あぁなるほど。もう目が冴えちゃったし、俺のことはいいって」
「す、すま」
「それよりも、あんたが自主的に行動するのってあんまし無かったからね。いつも俺が付き合わせちゃってるし、今日は俺が付き合うって」
「…………」

 俺はレイヴンの言葉に首を傾げた。
 いつも俺が付き合わせちゃってるし?
 何を言っているんだろうか。
 レイヴンが俺にかける言葉の数々は、俺を気遣うものだろうに。
 俺さえいなければレイヴンは自分のペースで色々と出来るだろうに、毎回俺に声をかけてくる。何かをするにも俺がどうするかを聞き、俺の突然の奇行も黙って流して普通に接してくる。
 これすらもレイヴンの気遣いなのだろうか。
 俺はさすが大人の男だなぁと小さく笑った。

「レイヴン」
「ん?」
「お前、モテるだろう」
「うおぁ? そ、そうだけどもねぇ〜。世の女性方も俺の魅力にやられちゃうし? 俺様も罪作りな男よねぇ……」
「そうか。そうだな」
「ウ、ウゲェ〜…………」

 レイヴンの顔が面白いほどに歪んだ。
 彼的には否定して欲しかったのだろう。
 ゲームの中のレイヴンも、ふざけているわりに肯定されると途端に戸惑っていたなぁと思い出してさらに笑いが深まった。
 笑うのも身体に負担がかかる。背を軽く曲げて小さく咳をするように腹を痙攣させる。
 一頻り笑ったあとにレイヴンに顔を向けると、彼はなんとも言い難い顔をして俺を非難していた。

「大丈夫だ。もう戻ろう」
「あぁそう。それじゃあ……」
「……?」
「……戻ろうと言いつつどっか行きそうだから、悪ぃんだけどこのまま行かせてもらうわ」
「あ、あぁ……」

 レイヴンに二の腕を引っ張られて慌ててついていく。
 信用が無いのは仕方が無い。心配をかけさせてしまった手前、俺は黙ってレイヴンに引っ張られていった。
 二人分の足音が森の中に響く。生き物が全て死に絶えてここにいるのは俺達だけのように思えるこの場所で、俺は何をしているのだろうかと小さく笑った。
 今の状況を面白く感じる。
 レイヴンが来る前に感じていた不安が嘘のように無くなっていた。
 レイヴンはすごいなぁと、我ながら馬鹿みたいな感想を持つ。

 この男は、ゲームの中のキャラクターだと思うのにはあまりに生々しすぎた。
 俺に声をかけ、俺を人として扱うその姿は普通の人間だ。俺の二の腕を掴む手も本物で、先程の感情を出した表情も全て本物だ。上着の温かさも、彼の気遣いの証拠だ。
 俺は……、俺は、レイヴンがいないと駄目そうだった。

「なぁ、レイヴン」
「んー?」
「……レイヴン、お前は、その……」
「うん?」
「……彼らのところに、行かなくていいのか」
「うん、……ん? はい?」

 レイヴンが立ち止まって俺を見上げる。
 近い。
 そりゃそうだ。二の腕を掴んでいる位置だ。
 俺の質問の意図が分からないといった風に眉根を寄せている彼に、後悔を感じつつ言葉を重ねた。

「こんなところに、いつまでもいられるわけじゃないだろう」
「えぇーっと……。何が言いたいのか分からないんだけど」
「レイヴン、おまえには……帰る場所があるだろう? ここには、いつまでもいられない。そうだろう?」
「帰る場所……ねぇ……。あんたがそれを言うのか」
「…………」

 レイヴンは目を細めて俺を睥睨した。
 初めて見るレイヴンのその表情に、俺は言わなければ良かったと後悔した。
 鈍い頭を回転させて俺は自分の間違いに気が付く。
 そうだった。レイヴンの帰る場所は『ドンの居るダングレスト』だった。
 ゲームが進行して、アレクセイの策略によってドンは死ぬ。俺がアレクセイになった時期は、星喰みがいることからザウデの後だ。レイヴンから帰る場所を奪った俺がそれを言うのかと、レイヴンは言っているのだ。
 俺は首を横に振った。
 違う。俺が言いたかったのは、違う。
 俺が思っていたのは彼らのことだ。ユーリ達。
 ドンが居なくなった後、彼らがレイヴンの帰る場所になるはずだ。
 それを、俺は言いたかったのだ。俺は震える自分に情けなく思いつつ口を開く。

「彼らのところに……ユーリ達のところに……行かないのか?」
「……アレクセイ、もしかして……思い出したの?」
「思い出した?」
「……俺、今まで大将のこと記憶喪失だと思ってたんだけども、思い出したんですかね?」
「俺がか? 違う。俺は……いや、アレクセイじゃ……無いんだ」
「……はい?」
「あぁ、いや……」

 俺は慌てた。
 言うつもりじゃなかった事を言ってしまい、慌てて口を押さえる。
 違う、違う、と何度も呟く俺を、レイヴンは観察している。
 俺はその目から逃れたくて離れようとした。が、二の腕を掴まれているので彼から距離を取る事ができない。離してくれ、と震えた声で抗議をしてもレイヴンは聞き入れてくれなかった。

 あぁどうしよう。
 俺、と言ってしまった。アレクセイじゃないとも言ってしまい、今の俺の姿はレイヴンの目からはどう映っているのだろうか。頭のおかしい奴だと思っているだろうか。その方がまだいい。アレクセイには悪いが、混乱しておかしくなった人間だと思われた方がまだマシだった。
 レイヴンが俺の存在を認知するのが嫌だった。
 だって、もし俺が、中身がアレクセイじゃないと彼が分かってしまえば、……俺には本当に何も価値が無くなってしまう。

「えぇーと、それは、どういう意味で……?」
「いや、違う、違うんだ。なにも無い。忘れてくれ、すまない、私は、そうだ。思い出すだなんて、何も無い。彼らのことは、ふとその名前が出てきただけなんだ。レイヴンは、彼らのところにいるのが正しいだろう? だから……」
「はぁ……」
「悪かった。すまない、離してくれ。いい、戻る。ちゃんと戻るから……レイヴン、頼むから」
「ストーップ、ストーップ! とりあえず落ち着いて」
「………………」

 心臓が嫌な音を立てている。
 俺の前に回り込んでもう片方の手で肩を掴まれた。
 どうやら彼は俺を逃がすつもりは無いらしい。当たり前だ。
 こんな怪しい発言をした人間を逃がすわけがない。それにレイヴンは見極めなければならないだろうから。俺がもしアレクセイじゃなかったら、俺を生かしている理由なんて無いだろう。
 アレクセイが記憶喪失なのと、俺が乗っ取っているのとではわけが違うのだ。
 記憶喪失なら彼の持つ知識と一緒に思い出す可能性があるが、俺が居座っているとバレてしまえばその可能性もさらに低くなってしまう。レイヴンが欲しいのはアレクセイの知識なんじゃないか。俺はそう考えていた。

 リタがいるから、物語の進行は大丈夫だ。だが、それは俺が知っているゲームの知識だ。
 彼らは、今を生きている彼らはそんなことを知らない。アレクセイの持っている知識を引き出せるのなら欲しいのではないか。アレクセイに近い人間だったのはレイヴンだ。だから、アレクセイの、俺の傍にいるのはレイヴンが適任なのだろう。
 
 ……その考えは、目の前にいるレイヴンを否定する考えなのかもしれない。
 今まで俺に対して接してきた態度は全て嘘だったのだと、目的があったからだったのだと、そう言ってしまっているものなんじゃないか。
 俺はよく分からなくなっていた。
 彼らが、ユーリ達がそういった手段を取るのかと言えば俺は全力で「否」と言う。けども、それ以外にレイヴンが俺の傍にいる理由が分からなかった。
 俺は、レイヴンがいないと駄目だなと思いつつも彼のことを信用していなかった。

「まぁまぁ、落ち着いてってば」
「…………」
「一つ訊きたいんだけど、ユーリ……青年たちのことは知ってる?」
「あ、あぁ……」
「それはどこまで? 青年たちが何かっていうのは知ってるんかねぇ」
「……何か? いや……レイヴンが、いるべき場所だということ……ぐらいで……」
「俺のいるべき場所って、なんだかなぁ……。まぁそうねぇ、俺がそれに対して言えることは一つだわな。俺は青少年たちのとこには戻らないし、いるべき場所っていうもんでもないわ」
「……は……」
「そうねぇ、俺は確かに青年たちと一緒にいたけども、俺はあんたを選んだから。若人たちも俺が戻ったところで扱いに困るだろうしね」
「…………何を言ってるんだ、レイヴン。それは……ちがうだろう……」
「なぁーにが違うのかねぇ。ん?」
「…………」

 何を、言っているんだろう。
 レイヴンの言葉は本当なんだろうか。
 おかしい、それはおかしい。だってレイヴンは主人公たちと一緒に旅をして最終的に星喰みを倒す。精霊を集めて、デュークと戦って、和解をしてそれで物語は終わる。
 おかしい。星喰みはまだ依然としているのに、レイヴンが彼らと一緒にいないのはおかしかった。
 俺はあまりのことに、肩を掴んでいたレイヴンの手を振り払って逆に彼に掴みかかった。

「レイヴン、戻れ」
「はぁ?」
「彼らのところに、戻れ。私はいい。君は違うだろう。何をしているんだ。私に時間を使うな。何をしているんだ、お前は」
「何をしてるって」
「違うだろう!! お前は!! こんなところにいるべきじゃないんだ!!」

 久しぶりに発した大声に、肩で息をする。
 レイヴンは驚いていた。間近で大声を出されたことに迷惑に思っているだろう。
 俺は、どうしようもない感情に掻き乱された。何をしているんだ、レイヴン。俺のせいか? いや、違う。嘘だろう。違う、違う、レイヴンはただ俺の監視をしている。それを監視対象者に勘付かれるのはまずい。だからそう言っただけだ。本当はユーリたちと連絡を取っているはずだ。だから違う。何を言ってるんだ、レイヴンは。

 レイヴンが言っていることがもし本当だとしたら、俺のせいでレイヴンの居場所が無くなった事になるじゃないか。

 視界がぼやける。
 違うだろう。嘘だ。
 ユーリ達は、ゲームの中で知っている彼らはレイヴンに言っていた。
 死にたがりの彼を、バクティオン神殿で死のうとしていた彼にユーリが言葉をぶつけて、それにレイヴンは応えた。それでユーリ達も、レイヴンが自分の命を軽々しく扱わないようにと『レイヴンの命は凛々の明星のものだ』と言った。
 その言葉が、レイヴンを繋ぎとめる言葉で、誓いのようなものだった。
 なのに、どうしてレイヴンはここにいるんだ。
 俺は信じて疑っていなかった。

 レイヴンがここから去って行くことを、信じて疑わなかった。

 彼がユーリ達のところに戻るものだと信じていた。
 だから、彼がいなくなる不安に怯えていたんだ。
 あぁ嘘だ嘘だ嘘だ。レイヴン、なんでお前こんなところにいるんだよ。
 嘘だとしても、その言葉はダメだろう。なんでだよ、レイヴン。
 レイヴン、なんで……。

「……俺、ここにいちゃ、まずいですかね」
「君は……彼らのところに……いるべきだ……」
「あー……と言いましても、……青年も見つかんないし……」
「…………見つからない?」
「……騎士団もギルドもやっこさんを探してはや数ヶ月ってところでね。……青少年たちはそれでもなんとか頑張ってるし、俺も手助けをしてるにはしてるんだけども……」
「……なら、尚更おまえがいるべきだろう……?」
「そう、なんだけどね……」
「彼らは……お前に、…………お前の、生きる理由だろう……」
「………………」
「なんでだよ、レイヴン……どうして……」

 分からない。レイヴンの考えてることが分からなかった。
 ユーリが見つかっていないということもそうだが、だからなんだって言うのだろう。
 レイヴンはこのまま星喰みが世界を食い荒らしてもいいのだろうか。それが嫌だから動いている彼らのことを見捨てて、こんなところで何をしているのか。
 彼らの気持ちはなんだったのだろう。
 それとも、俺が思っている通りに動いていない世界なんだろうか。
 なんだ、この夢は。酷い、あまりに酷い夢だった。

「……あー、アレクセイ」
「…………」
「冷えるし、戻ろう」
「…………」
「まぁ、その、ねぇ。俺だって少年少女たちを見捨てたわけじゃねぇのよ。あんたが思ってるような事はなぁーんも無いから、ほれ」
「…………レイヴン」
「ん?」

 あまりのことに項垂れていた俺は、顔を上げてレイヴンを見た。
 レイヴンは苦笑気味に俺のことを見ていた。なんでそんな顔をしているのか。
 俺には理解できなかった。
 レイヴンの胸、心臓がある位置に手を這わせる。俺の行動にレイヴンは身を跳ねさせた。
 俺の行動の意味を探るようにこちらを伺う彼に、煩わしさを感じた。
 肉体の部分と、魔導器の部分の境目。
 魔導器は人肌に温められそれほど冷たくは感じなかった。だが機械としての硬質さはあり、俺はその境目に爪を突き立てるようにする。
 縁をなぞり、こちらに引き寄せるように引っ掻いた。

「……アレクセイ?」
「…………君は、彼らのものだ」
「………………」
「だから、こんなところで時間を無駄に使うな」
「……あのねぇ、俺は物じゃないんですって」
「そうだ。君は人だ。だから君は、彼らの下にいるべきだろう」
「…………」
「私のことはいい。……放っておいてくれ」

 レイヴンの胸を押して身体を離す。
 二の腕を掴んでいた彼の手も外され、俺はふらりと家にへと歩き出した。
 俺は、アレクセイはやはり死ぬべきだったのだ。


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