ガツガツと、肉を食む。並んだ獰猛な歯は赤に塗れ滴り落ちる。ガツガツと、ただ無心に食べている。口の端から零れ落ちるのは人の指で、それをただ眺めていることしかできなかった。一匹増え、また一匹と。魚の肥しになる身体。痛みにぐるりと目が瞼の下に逃げ、涙がしどとと滂沱する。
 はやくゆめからさめてくれ。
 痛いのは嫌だった。夢の中は痛みで溢れていた。嫌なものばかりがあり、何度も何度も死を体験する。
 はやくゆめからさめてくれ。
 さもなくば、殺してくれ。
 もうゆめをみないように、だれか。


***

 かひゅっ。
 音が聞こえた。その音は自身の喉から漏れたものであり、息苦しさに喘ぐ誰かのものだった。びくびくと眼球が震える。起きなければ、起きないとまたあの痛みが、あの赤い夢をまた、そんなのはいやだ。
 吐き気と頭痛に悶えながら手を伸ばし、足掻く。水に溺れる者のように、体が重く息苦しい。きょうふに逃れたいと願う一心で痙攣する瞼をこじ開けた。

 目に飛び込んで来たのは白けた世界だ。
 どこかの場所。区切られた場所の中に物が置いてあり、俺はそれを何かだと認識することができない。
 酷く重い身体を片手で支えて横に転がる。
 ――浮遊感があった。

 どたん、と音を立てて落ちる。
 床と接した部分の半身が痛みを主張する。俺は呻きながらもなんとか身を起こした。
 座り込んでびくびく震える瞼をなんとかこじ開けて顔を上げる。
 くらりと眩暈がした。そのまま眠りにつきたい欲をなんとか抑え、俺は意識して大きく呼吸をした。
 横にある何かに身体を預けて呼吸を繰り返していると、ようやくここがどこか分かるようになってきた。

 ここは、部屋の中だ。
 木造でこじんまりとしている。小さいわりに家具は多く、それが却って俺に視覚情報をあまり拾わせないでいてくれている。
 物が少ないとどうしてもそれだけに注目してしまい、気になってしまうのだ。
 物が多ければ意識が分散されてまともに動く事ができる。
 この家に来た当初は彼の計らいで物が少ない部屋にいたのだが、家具や物に意識が集中するあまり部屋から出られなくなった俺に気付き、彼の部屋と替えてもらった。 
 自分でもどうしてそうなってしまっているのか分からずに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 彼は、俺をあの城から連れ出してここに連れて来た彼は俺の謝罪に笑って「いーよいーよ」と言ってくれたが、俺は彼のその態度がよく分からなかった。

 彼――レイヴンは、どうしてこんなに俺を気遣ってくれるのだろうか。
 俺がもしアレクセイの見た目をしていなければ彼は勿論俺の事なんて気に掛けなかっただろう。面識の無い他人に何かをする人間ではない。
 だが、アレクセイの身体を乗っ取ってしまっている俺に対するレイヴンの対応は、俺の予想の斜め上を行く。
 彼は、レイヴンは、『ゲームで知っているレイヴン』は、アレクセイに対してこんな反応をするだろうか?

 起きて早々、ぼんやりと思考をする。
 頭を少しでも動かして血の巡りを良くさせる。
 その思考は霞がかかっていて鈍いが、何も考えないよりかは遥かにマシだろう。
 一度、何も考えたくなくてぼんやりとしていたらレイヴンに酷く心配をかけさせてしまった。目の前でレイヴンが手を打ち鳴らすまで、彼の接近に気付かず彼の声にも反応できなかった。
 だから、考える。
 なんでもいいから、考える。
 ……起きた時に考えるのはいつも彼の事で、毎回疑問が沸きあがり、最終的に結論は出ずに問いは終わる。

 今回も、彼の俺に対する扱いが優しすぎる事に疑問を抱き、分からないまま顔を上げてふらふらと立ち上がった。
 あぁ、本当に、眩暈がひどい。
 横のベッドに手をついて立ち上がり、俺はサイドテーブルに置かれていた眼鏡を取って掛ける。色はついていないが目に入る光を絞ってくれる眼鏡を掛けると、幾分か楽になる。そのままふらふらと扉に近寄った。
 部屋のカーテンを突き抜けて光が見えるところから、今はお昼に近い時間帯だろうか。
 慣れない長い指に四苦八苦しつつ、扉を開けて部屋の外に出る。

 部屋を出てすぐに、廊下が横に伸びていた。
 俺の私室として宛がわれたそこは、二階部分にある。
 左手に伸びる廊下には、もう一つの部屋の扉があり、すぐに突き当たりだ。
 右手には下に下りる階段があり、俺はそちらに足を向ける。
 なだらかとは言い難い角度の階段に取り付けられた手摺りに手を這わせ、ゆっくりと下りていく。今の俺の体調からして、焦ると階段から転げ落ちてしまう。
 反応が出来ず受け身も十分に取れないであろう状態では得策ではない。

 一段一段足場を確かめるように下りていく。
 ようやく下に到達した頃には身体に巡る血の流れが良くなったのか、微かに身体の重さが軽減されていた。
 階段を下りた先はダイニングだ。部屋の真ん中にテーブルと椅子が数脚が置かれている。壁には棚や生活用品を入れている戸棚、外から戻ってきた時に一時的に荷物を置く場所やらがある。
 小物は全てそういった収納場所に入れられているおかげでこざっぱりとしている。
 ここに来た当初は家具自体も少なく人の住む空間といった雰囲気ではなかったが、今では生活感が出て安心できる空間になっていた。
 光を取り入れる小窓が天井近くに何個かあり、外を臨む事ができる窓もあり部屋の中は明るい。煩わしい音もなく、ただ静かにそこにある空間は時間の流れが穏やかだ。急かされることが無いというのは、良い。
 部屋全体を視界に収めて、脅威が何一つ無い事に息を吐く。

 ……まだ、くらくらする。
 テーブルに近寄り、椅子をひいて座る。
 腰を落ち着けてゆっくりと肺から空気を全て追い出した。
 目を閉じてズキズキ痛む頭を宥め、和やかな時間をまどろむ。
 意識して何回か呼吸を繰り返し、このままでは寝てしまうなと思い目を開いた。

 目の前に、誰かの手がひらひらと揺れていた。
 俺は驚いてその手のもとを辿って行く。
 顔を真横に向けると、レイヴンがいた。
 ……いつの間に。

「その反応だと俺に気付いてなかった感じ? 言っとくけど、俺ずっとここに座ってたからね?」
「……気付か、なかった」
「えぇ〜。やっぱ俺のことを服で判断してない? もっと派手にしてた方がいいのかねぇ」
「いや、そのままで、……いい……」
「そう? それじゃあいいか。おはようさん、大将」
「…………あぁ。おはよう」

 朝の挨拶を交わす。
 今でもなんだか変な感じがした。
 家の中でそういった挨拶をする習慣が無かった俺はその言葉にいつも戸惑う。
 外に出て人に出会えば礼儀として言う事はあったが、言う必要の無い私的な閉じた空間内でその言葉を口にするのはほとんど無かった。
 だが、まぁ、嫌な感じはしない。
 むず痒く思い、少し思考が乱れるが、……穏やかであると思う。

 レイヴンは小さく笑って手元の本に目を戻す。
 今のレイヴンの恰好は、俺が知っている『ゲーム』の中の彼とは随分と違っていた。
 俺が記憶しているのは紫色の上着を羽織り、下にはピンクのシャツとなかなか奇抜な色合いだ。髪の毛を上で括り、一度見たら目に焼き付く恰好である彼だったが、ここに来てからはその格好をしているところをあまり見ない。
 今は印象に残らない、なんの変哲もない長袖を着て動きやすいズボンを履いた格好だ。髪の毛も下の方で括っている。
 俺が知っている『ゲームのレイヴン』とは違う。
 私生活感が出ている彼の格好に不思議に思うが、それはあまり口にしない方が良いと、ここに来てからの経験上学んでいた。

 彼は、俺が普段の『レイヴン』と違う恰好を指摘すると微妙な顔をする。
 いつもの髪型では無いこと、いつもの服装では無いこと、いつもの『レイヴン』と違うのではと思ったことを言うのは駄目だ。
 恐らくだが、彼は『アレクセイが』『レイヴンの事を』言うのが嫌なのだろう。

 そうだな。
 アレクセイの傍にいたのはシュヴァーンだ。
 アレクセイという人間が、レイヴンに触れるのは嫌なのだろう。
 ……そう思いたい。
 仲間だとか友人だとか、そういった近しいものになれない俺が触れるのを嫌がっているのかと思うとつらいのだ。それなら全てアレクセイのせいにしてしまえば楽だ。
 自分のその思考に反吐が出るが、そうしないとやってられない。
 違う、俺が嫌われてるわけじゃない。アレクセイが嫌われてるだけだ。
 ……あぁもう、本当に。

 思考が暗い方に行ってしまう。
 これではダメだと思い、俺はレイヴンに目を向けた。
 彼は一体何を読んでいるのだろうか。

「……何を、読んでいるんだ?」
「んー。この前一緒に畑作ったじゃない。それに植えるものをどうしようかと思ってね」
「何か、いいものはあったか」
「俺もこういったものはあんましだから、初心者向けのをちょろっと。芋とか」
「いも」
「葉っぱとか」
「はっぱ……?」

 なんの葉っぱだろうか。
 お手軽に作れる葉のものが何か全く分からない俺は、レイヴンが何を作りたいのかの検討もつかなかった。
 芋だったらさつまいもかじゃがいもかな、と思いそれなら色々と使えるだろうなと納得する。
 農業とか家庭菜園とかそういったものに触れたことが無かった俺の乏しい知識内では、二十日大根が失敗しづらく短期間で採れるという事しか知らない。

「二十日大根、とかはどうだ」
「なにそれ」
「……無いのか?」
「あー……どうだろ」

 それらしきものを探すためにぺらぺらと本をめくるレイヴン。
 無いのだろうか。俺が生きた場所ではこの名称はほぼ誰でも知っているものだと思う。たぶん、おそらく。それをレイヴンが知らないということは一般的ではないのだろう。もしかしてアレは現代で品種改良をしたモノだったのだろうか。
 それならあちらで独自に開発したものとして在るのだから、こちらに無いのも分かる。そうなんだろうか。どうだろう。
 そわそわとした気持ちで待っていると「あ、これか」とレイヴンが声を出した。
 良かった。一応はあったらしい。

「へぇ〜。これ二十日でできんのねぇ。見た目、大根というよりかはカブだけど」
「そうなのか……?」
「ほらこれこれ」

 そう言って本をこちらに寄せて指をさす。
 絵付きで描かれていたのは丸っとした赤色の野菜だった。
 ラディッシュと書かれている文字に衝撃を受ける。
 俺が思っていたのと全然違った。家庭菜園で出来るものだから、こう、ミニマムサイズの大根とかを想像していた。
 あのちょっとオシャレな見た目をしているあの野菜が二十日大根だっただなんて、俺は本当に何も知らなかったんだなと実感する。
 ……赤色か。夢の事を思い出すのであまり好きじゃないな。

「これは、やめておこう」
「ん? なんで?」
「赤いからだ」
「……あー……そーねぇ。そう言うんならやめとこうか」
「あぁ」

 赤色はあまり見たくない。
 せっかく夢の中ではないのに、赤色を見てしまうとここは本当に現実なのかと混乱してしまう。今の状態も現実味が乏しいが、あの中よりかは随分とマシだ。
 レイヴンの目的が何かは分からないが、ここは彼によって整えられ穏やかな時間が流れている。恐怖も何も無い。時々、彼に対して猜疑心が顔を出すがそれも耐えられる。……目を背ければいいだけなのだから。
 俺は彼の手の中にある本の頁に指を引っ掛ける。そのまま捲って描かれている絵を眺めた。
 どれがいいのか全く分からない。一つ息を吐いて諦めた。
 身を引いて顔を正面に戻す。少し疲れたので目を瞑って情報を遮断した。
 隣から頁を捲る音が聞こえ、それ以外は聞こえない。

 静かだ。
 こう静かだと寝てしまいそうだな。
 目を薄く開いて眠らないように努める。
 何回か瞬きをしているとレイヴンが「そうだ」と声を出した。

「何か飲み物でもいる?」
「……欲しい」

 席を立つレイヴンを軽く見上げて答えると、彼はへらりと笑って隣の部屋に移動した。隣は台所として使っているのだが、そこに扉は無く仕切るように提げられた暖簾だけだ。
 前に一度、レイヴンは向こう側から出てくる時に「大将やってる〜?」と言ったのが似合いすぎて少し笑ってしまった記憶が真新しい。
 隣から飲み物を何にするかと問う声が聴こえて、俺はそれに適当に返す。なんでもいい。
 彼が用意するものは心地良い。俺への気遣いに溢れているそれらは、彼が選ぶ限り俺の害になりはしない。
 ………………。

 なんでもいい、と彼に答えてから後悔した。
 俺は彼の好意に甘えすぎてはいないか。
 彼の気遣いを当然のものとして、際限なく求める。
 それはきっと彼の負担になるだろう。
 ただでさえ役立たずの俺が、何もせずダラダラと日々を無為に過ごして働かずに椅子に座っているのはいかがなものか。
 そうは言っても眩暈が酷いんだ。頭痛もする。吐き気も軽くだがある。それは言い訳だ。分かっている。そんなことは分かっている。
 けどこの状態でどうすればいいんだ。ちゃんと睡眠が取れればいいのだが、それもままならない。俺だって、俺だってこの状態は苦しい。なんとかしたい。けどどうしようも無いんだ。それも言い訳だ。今のこの現実から目を逸らしたくて喚いているだけだ。

 うるさいなぁ。
 そうは言っても俺は今アレクセイを乗っ取っている。あのアレクセイがこんな無様な姿を晒していていいのか。
 きっと彼が、レイヴンが求めているのはアレクセイなんだ。
 元のアレクセイに戻って欲しいから、彼はここに俺を連れて来たんだろう。
 分かってる。そんなことは十分すぎるほどわかっている。 

 後悔と罪悪感、自己嫌悪、言葉にできない負の感情が腹で渦巻く。……吐きそうだ。
 目を瞑って呼吸をする。考えても仕方が無いことだ。この感情から全力で顔を背ける。意味が無い。考えても無駄だ。
 ごめん。早くここに、本来いるべきの人をここに呼んで、レイヴンが求めているだろう彼を、早くここに、……ごめん、レイヴン。
 そうしていると、コト、とテーブルに何かを置く音がした。

「ほい、おまたせ。熱いから気を付けてね」
「……あぁ。……ありがとう」
「どーいたしまして」

 うるさいなぁ。頭の中でまだ喚いている。
 自己嫌悪が、俺を責める声が甲高く喚いている。
 無視しろ。いつも通りだ。いつも通りの事が喚いて喚いて笑っている。
 目を開いて置かれた物を見る。あぁ湯呑か。中に入ってるのはお茶かな。あたたかいのかなぁ。手を伸ばす。せっかく彼が用意してくれたんだ。よく分からないが、彼は俺によくしてくれる。目的は分からない。当然のことだが、アレクセイのことを取り戻そうとしてだろう。
 なら俺はアレクセイらしく、彼らしく、言葉遣いも態度も、あぁ俺はアレクセイじゃない。彼のようになれない。ごめん、ごめんなぁレイヴン。アンタが求めてる彼はあの場所で眠っているんだ。憎らしいほど穏やかに眠っているよ。俺は眠れないっていうのに、アイツはあそこで俺の猫と一緒に寝ているんだ。羨ましいと思うだろう。だが俺の大事だったものは死んで詰められている。死と一緒に眠っている彼を憐れに思うだろうか。馬鹿らしい、馬鹿らしい、指を動かして彼が用意してくれたものに手を伸ばして指を動かす。
 声が俺を笑う。
 アレクセイらしい振る舞いができない俺に投げかけられる。『そうやって憐れな振舞いをして、れいヴんになぐさめてもらいたいの?』

「ッ、うるさいっ!!!」

 そんなわけがない。
 ちがう、ちがう。うぅと唸って手の平で顔を覆う。
 彼はよく分からないが俺によくしてくれる。
 目的も何も分からないが、ここで生活をしている。分からない。全部が分からない。
 どうして俺はこんなところにいるんだろう。どうしてレイヴンはここにいるんだろう。だっておかしいだろう。レイヴンは、『ゲームの中のレイヴン』はユーリ達と一緒に旅をするはずなんだ。おかしいだろう。外に出てみろ。目を逸らさずにちゃんと見ろ。空に浮かんでいるものを見たか。見ておかしいと思っただろ。星喰みが空にあるのに、レイヴンがここにいるのはおかしいと理解しているはずだろう。
 おかしいんだ。全部が全部おかしい。
 なんで俺はアレクセイなんだよ。眠れず、眠れば赤い夢を見て、それで何もできずに食われるだけ。俺は誰だ。誰だ。俺は俺だろ。夢の中で俺は食われる。お前なんていらないと言うように食われて死ぬ。何度でも同じ事の繰り返しだ。
 俺はいらない存在なんだろう。そうだ、そうなんだ。……それが酷く悲しい。ずっと、悲しいんだ。苦しくて仕方がない。俺は誰にも求められず、唯一だったあの子も袋に詰められてどこかに行った。ぐるぐると声が俺を笑って、――俺は近くにレイヴンがいることを思い出した。

 一気に視界が拓ける。
 ゆっくりと顔から手のひらを剥がして、ズレた眼鏡を元の位置に戻す。
 テーブルに置かれていた湯呑は無くなっていた。
 どこに行ったのだろうと目で探すと、横から手が差し出された。その手には、彼が用意してくれたお茶があった。

「ほい、熱いから気を付けてね」
「……あぁ、……ありがとう」
「どーいたしまして」
「……それと」
「ん?」
「……すまない」
「いいっていいって」

 レイヴンを見ることができない。
 俺はテーブルに置かれたお茶に指を添える。
 この手は未だに慣れない。武骨で長い指。ちゃんと掴めているだろうか。震えそうになる手になんとか気を付けながら、ゆっくりと持ち上げて口をつけた。
 ……レイヴンは嘘を吐く。熱いと言いつつ、俺が倒しても良いようにと温度調節がされている。それは、俺のための嘘だ。
 
 ちびちびとお茶を飲みながら、俺は考える。
 レイヴンはどうしてここにいるんだろう。
 あの城から連れ出され、長期間荷馬車に揺られて辿り着いた場所。どこかの森の奥、日当たりの良いこの場所に訪れる者はいない。動物すらも、鳥の鳴き声も早々聴こえはしない。そんな場所で小屋の中を整えて、畑なんて作って、これじゃあここにずっと暮らすみたいじゃないか。
 分からない。あの紫色の羽織を脱いで普通の格好をしているレイヴンの真意が分からない。
 訊いてもいいのだろうか。訊いて、もし彼がここからいなくなってしまったらどうしよう。
 俺は彼が傍からいなくなるのに耐えられない。みっともなく縋って「どこにも行かないでくれ」と叫んでしまいそうだ。
 けど、それは、アレクセイなら絶対にしないだろう。
 だから俺は何も言わない。言わないが、不安が胸中にぐるぐると渦巻く。

 お前はいつか俺を見捨ててどこかに行くんだろう?

 知っている。分かっている。
 レイヴンは、俺が知っている『レイヴン』はユーリ達と旅をするはずだから。
 いつか彼らがレイヴンを迎えに来るだろう。
 そうしたら俺は、どこにも行けない、どこにも居場所が無い俺は。
 ……その時は、

「で、大将。今日はいけそう? いけそうだったら手伝ってほしいんだけど」

 レイヴンの声にちらりと窺うと、彼は頬杖をついてこっちを見ていた。
 その顔は普段通りだ。
 俺は少し考えて、引き攣りながらも笑みを作った。

「……あぁ。いけそうだ」

 無理にでも動いた方がいい。
 主張する頭痛も、吐き気も、鉛のように重たい身体も、この際どうでもいい。
 何も考えずに動けば眠ることもない。役立たずの俺がこれ以上休んでいてはいけない。
 それに、……いつか来る終わりのためにも、こんな現実味のない夢のような、『ゲームの中の登場人物』と何かをできることを楽しんでおかないと。
 どちらの夢も、死ねば覚めるはずだ。
 そう思うと、だいぶ楽になった。
 俺は気合を入れてレイヴンに顔を向けた。
 今度は無理なく笑えた。

「行こうか、レイヴン」

 彼は、俺がそう言うと苦笑した。
 ……その表情の意味も考えないでおこう。
 俺は転ばないように気を付けながら席を立った。



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