※エディの一人称が俺ではなく僕





 善意の精神病院を表向きに、患者たちを使って非人道的なことが行われている施設の中、強化ガラス越しに見える光景を悲痛な思いで見ていた。
 私がいるのはモーフォジェニックエンジンのシステム管理をしている端末がずらりと並んでいる部屋だ。その前に白衣を着た数多くの人間が覗き込み数値の変化を眺め資料集めに没頭している。
 職員がいる部屋と装置のある部屋は一面の大きなガラスで隔てられ、装置にかけられる実験動物がこちらに危害を加えられないようになっていた。私は端末が置かれ職員がいる方、その安全地帯に身を置いて、身勝手にも実験動物――患者たちの痛みの声を嘆いていた。
 資料である患者はガラスの向こう側にいた。人を人と思わない防護服を着た男たちが嫌がる患者を引きずり球体の理解しがたい装置に貼り付け、抵抗する彼らに非道の鞭を振るう。私は医師たちと同じ白衣を着込んではいるが彼らのような権限はない。患者たちの精神安定を図るカウンセラー、人の修理屋でしかなくそれ以上にはなれなかった。
 
「ドクター! 1088室にいる患者をどうにかしてくれ!」

 苛立たしそうにドアから入ってきた同僚に振り向く。目元には疲れが滲み、自分を煩わせる患者にくそったれと罵言を吐いていた。

「何を聞いても妄想ばかり! あいつは今年で何歳だ!? あぁそうだよな、頭がイカれてる奴に年齢なんて関係ないよな、頭がおかしい奴は皆赤ん坊だ! 言葉がわからない!」
「大変だったみたいだな。あとは私に任せてくれ。君は今日で何日目だ? あまり睡眠を疎かにするなよ」
「俺の睡眠はあいつらに食われちまってるんだよ!」

 理性が疎かになり本能が大きく剥き出している同僚の怒りに苦笑して、彼が出てきた横スライド式のドアをくぐった。エンジンモニターから、無骨で不純物を混ぜ込んだ白い廊下に出た。床以外は波打ち、出来損ないの霜が固まったようにも見える。慣れないうちは方向感覚が狂う、視覚的に優しくない廊下を抜けて同僚が言っていた部屋へと向かった。

 やや歩いて着いた部屋は、長方形の部屋の真ん中をガラスで区切った対話室だった。この施設は患者から職員を守るための措置が多く取られ、こういった部屋がよくある。拘留場の面会室に似せた部屋の隅にはもちろん監視カメラがある。ドアの横に備え付けられたリーダーにカードキーを通し入室した。

「ドクター! 良かった、会いたかったよ。あぁ、この時間が何よりもの喜びだ。僕がどんな気持ちで待ちわびたことか、ドクターには分からないだろうね」

 ガラスの向こう側で歓迎してくれたのは私よりも大きい体躯の男だ。名はなんだったか、と知らないフリをして頭の中のページを捲り思い起こす。私の来訪に体で喜びを示すように、彼は椅子から立ち上がり大仰に手を広げていた。私は彼に向ってできるだけ穏やかに微笑んだ。

「やぁ、エディ。待ちわびるも何も昨日に会ったばかりじゃないか。そんなに私と会うのが楽しみだったのかい?」
「なんていうことだドクター。貴方は僕との時間はそこまで大事じゃないというのか。僕はドクターとの時間を一秒でも多く共有したいっていうのに」
「私も忙しくてね、時間よりも質が好きだ」
「ドクターは即物的だ」
「さぁ座って。私もそう多く時間を取れない。君が望んでいるように話をしようか」

 簡素なパイプ椅子に腰を下ろし、嬉しそうに笑う彼に着席を促す。彼は私の指示に大人しくしたがい、その様子に近くの台車に置いてあるカルテを手に取り見慣れたページに目を通して顔を上げる。

「今日は何の話をしようかな」
「僕はドクターのことが知りたい」
「この前もそう言っていたね。あの時は私が喋りっぱなしだったろう? 今度は君の番だ」

 私の言葉に口の端を引き上げるエディー・グルースキンに、肚の底でザワつきが内を引っ掻く不快さを感じた。彼の幼少時は哀れに思うが、今の彼は不気味さが色濃く、私は彼の目に晒されるこの時間を嫌に思っていた。ガラス越しとはいえこの場に身を置くことに忌避を感じる居心地の悪さ。これほど人の脳に警鐘を鳴らせられる男はこの施設にも早々いない。
 そうは思っていても私はこの場所に勤める身の上。それに私は一般人であろうと犯罪者であろうと同じ個である人間だと信じていた。彼は犯罪者だが、特別視してはいけない。彼はただ笑っただけだ。それを厭う己の心相を恥じ、負の感情を呑み込むと「会話する」という仕事に準じた。


***


 私は最初、この施設の表の顔の方で働いていた。
 精神病院にも種類があるが、マウントマッシブ精神病院は社会での生活を難とする症状を持つ、現実と乖離し細い糸一本で現世と繋がっている人間達を扱う所だった。
 檻付の病院に運ばれる人間は、現実を受け止められず妄想の中に逃げ込み己の殻に閉じこもる、こちらに害を及ぼさずむしろ友好的な人間が大半を占めていた。
 まれに自身の不満を己の内で消化できず、肚に溜め込み血中から身体の隅々まで攻撃性を行きわたらせてしまった人間がいたが、それも私にとっては害の無い人間達と同じようなものだった。

 重度の患者が多い精神病院に於いて最も重要視されるのは職員の安全だ。生身の身体では破ることのできないガラス越しに彼らのことを聞くだけのことに、危険なものは無かった。
 彼らは特別ではない。社会に溶け込めず己の中に逃げ込むしかできなかった人間、ただそれだけのことで他は私と何一つ変わらない。彼らを特別として差別する人間達によって爪弾きにされた彼らは人に話を聞いてもらうということを悉くして貰えなかった。
 彼らの言葉に耳を傾ける私に、患者達は甘い水を見つけたように群がり熱心に己を語った。

 他の職員よりも彼らから多くを引き出せる、と自負していた。
 実際、他の職員はあまりにも手際が悪く、私は患者達にイラつく職員達を冷めた目で見ていた。患者達はただ親身に話を聞いて欲しいだけなのだ。それなのに無理矢理何かを引き出そうと舌を回す職員に溜息すら零れない。
 他の職員と私とでは根底が違う。患者達は特別ではない。私達と同じ人間なのだ。

 日々職務をこなしていた私は、その日見慣れぬ顔を目の前にした。素人目にも上等と分かる黒のスーツを着た男はこの精神病院の核に近い人間であるという。こちらの警戒を解こうとする柔和な笑顔が怪しく、私はその時訝しんだものだった。
 彼は勿体ぶるように意味の無い世辞を言い、私を褒め称えた。
 私は人に警戒されにくい、優しさを己にくれるであろうと予感させる面立ちをしているようで、押しに弱いお人好しに見えるらしい。折角の顔だ、それに合わせて立振る舞いも同じにと努めた私に、彼はまんまとそう受け取ってくれていた。

 元来そういったものに跳ねっ返りの気があるが、私は苦笑を浮かべて彼の賛辞を浴びる。そうして本題に入り、私は笑みを引っ込めた。彼はマウントマッシブ病院の裏の部分に私を勧誘しに来たのだった。それからは早かった。
 困惑する私に拒否権は無かったようで私は地へと引きずり込まれた。
 思ってもいない。表の様相を一辺に覆し否定する裏の顔は、この世の闇を凝縮した吐き気を催す場所だった。

 同意も無く無理矢理引き摺られた場所から逃げることは許されず、スーツの男に言い渡された命の危険を少しでも遠ざけようと、私はここで実験動物と成り果てた彼らの話を聞いていた。
 表の患者達よりも救いがたい、人を手にかけ罪を犯してしまった許されざる実験動物達は、それでも私の目には他とは何ら変わりない個である人間に見えた。
 私は表の時と同じように、いやそれ以上に彼らの心を救いたいとのめり込んでいった。

 知っているとも。
 この裏の部分に身を置く私の不当な評価を。
 私は自身に割り振られた心の牢獄、簡素な造りをした自室でカルテを捲り、遣り切れなさに目頭を押さえた。私以外の音を発するものが無い部屋で、白衣を纏い実験動物達を嘲りながら話す職員達の声が響いたような気がした。
 そう、それは錯覚だ。分かっている。
 患者に困った職員に呼ばれて彼らの横を通り過ぎる私を声が追い、職員達は嘲る対象を私に変えた。対象に聞かれぬよう配慮された密やかな声は、負を滲ませ色汚く塗り固められた喜色に満ちている。
 患者に没頭する私のことを、彼らは男好きだと評し嘲っている。
 その事実に、込み上げる怒気を少しでも発散しようと大きく息を吐いた。

 彼らがそう評する背景には、私にへと向けられた患者達の感謝がある。職員達が使い潰そうとうする患者達は心を持った一人の人間だ。少しでも病んだ心を救おうと言葉をかけ、掬い上げる私に患者達は笑顔を見せる。
 困ったことに実験途中、あるいは心理テストの際ガラス無しの対面時、解放された患者達の幾数人かが時折隙を見ては私の手に触れ、害意を見せない手のひらから感謝の意を伝えて来た。その度に面喰いながらも気恥ずかしさに困る私に、職員達は心を失った下世話で頭の悪いレッテルを貼る。

 孤独に苦しむ彼らは人の温もりを求め、私に助けをと手を伸ばす。私がその手を取らない訳が無い。言葉での理解だけでは不安だと、自身のことではあるが処理できない己の内が、癒される最も手っ取り早い手段である手を、振り払うことなど決してできはしない。
 私は患者たちの心が少しでも癒されるようにと願っている。
 蛆虫のような職員達は唾棄すべき存在だった。
 悪魔に魂を売った下種共はどこまで行っても下卑ている。


***


 私がいつものように患者とガラス越しに会話をしていると、突然それは起こった。
 耳朶を激しく叩くサイレンが部屋中に響き、視界は赤く明滅する。光源である赤いランプがぐるぐると回り、先ほどと比べて明度を落とした部屋を何度も舐める。あまりに突然のことに驚いて立ち上がり、一体何が起こったのかと見回した。
 通常時では決して起動しない警報が鳴り響き、その事象の意味することに気付いた私は、理解したくもない事態に閉口する。

 何か、非常に恐ろしいことが起こったのだ。
 途端に理解した私は血の気が引く思いでガラス越しの患者を振り返った。頭髪を剃られた患者は私よりも動揺していた。何が起こっているのか分からないが、恐ろしいことだけは直感して声も無く狂っている。
 まずい、と思った。彼は妄想の中に生きる人間だ。現実の全ての出来事に過敏な彼が、こんないきなりの変化についていけるはずもない。
 私はガラスに張り付き、患者に声をかけた。

「君、君っ! 大丈夫だ! 何も恐ろしいことは無い! これはただの警報だ、君を追いつめるものじゃない!」
「あ、あぁああ、来たんだ。来たんだ! お、俺の中からあいつが漏れたんだ! 出てきたんだ! あいつはきっと俺を殺しに! あ、ぁああぁあっ!!」
「私の話を聞きなさい! 私の言葉に間違いは無い、よぉく聞いて。これは君には関係ないものだ。君からこぼれたものじゃない。君の夢の中に出てくる黒いものはどこにもいない。だから安心して、大丈夫だ、だいじょう……」

 ガラスの向こうで頭を抱えて恐怖に震える彼に、なるべく穏やかに言葉をかけている私の背後でドアが音を立ててスライドした。サイレンの中でもはっきり聞こえる音に振り返り、そこから職員が血相を変えて駆け込んで来るのが分かった。
 職員はドアを慌てて閉め、ロックをかけようとするが、まるで化け物を見たように踊る指先のせいで上手くできないようだった。

「何が起こってるんだ!?」
「っ!? な、なんだドクターか! 驚かせるな! 患者達が皆外に出てる! は、早く立て籠もらないと」

 ドアの横で荒い息を吐く職員は言うことを聞かない己の手に罵言を吐いた。尋常じゃない彼の顔から脂汗が勢いよく流れ落ち、警報の赤に彩られた横顔は分かる程に真っ青だ。
 患者達の脱走。職員の言葉に声を無くす。
 やがて赤色が止まり非常事態を報せる音だけがまだ続く中、ようやっと端末に強制的に閉じる命令を打ち込めたのか、職員の顔が歓喜の色に染まった。

「よ、よしっ」

 ドアがスライドした。
 職員の安堵の貼りついた顔がドアの外に向けられる。
 そこにはガラスの向こうにいる患者と同じ服装をした男がいた。部屋を眼球だけでぐるりと見回し、近くにいた職員を見つけるとその顔面に手を伸ばした。
 ヒッ、とか細い声を漏らし後退する職員の顔を無骨な手が捉え、職員が逃げようとした方向とは真逆に勢いよく引っ張られる。スキンヘッドの男の方に引き寄せられた職員を、拳に握り込まれた手が襲う。容赦の無い拳は恨みのこもった物だ。
 鍛えていない職員の身体は前屈みになり、口から声にもならぬ息が吐きだされる。男の拳は一発だけでは収まらず、職員の身体を何度も何度も打ち付けた。

「あ、あぁあぁァアァあッ!!!」

 拳を奮うだけでは飽き足らず、職員の顔を捉えていた指が眼窩にめり込んで行く。身体を仰け反らせて抗う職員を許さない男の指は止まらなかった。私はそれを茫然と眺めていた。
 職員の横顔に、涙のように伝う赤い筋が信じられず、今目の前で起こっている凶行に身体が震える。ずるずると、たまらず腰を抜かす私を意に返さず男の拳がさらに振るわれた。職員の絶叫に混じる肉を打つ生々しい音。肉を打たれるたびに絶叫が途絶えまた声が上げられる。

 一体、何が起こっているのか分からなかった。
 目に突っ込まれた指がこねくり回され、肉を掻き出そうとしている。激痛に身体を跳ねさせる職員を拳が黙らせ、私は彼の命が尽きるまでその凄惨な光景をただただ見ていた。
 やがて職員が息絶え、だらりと力を無くした身体が床に落とされる。
 私の目の前で人を殺した男は、肩を上下させてゆっくりと私を見た。

「あ、…………」

 殺される、と思った。
 私は背の壁に縋った。身を縮こませ、これ以上後退しようの無い壁に背中を押し付けて、光源を跳ね返す眼を恐怖に見返した。職員を殺した男は緩慢な動きで口を開いた。

「あぁ、あんた、……ドクターか」
「…………あ、ぅ……」
「すまない、怖がらせたな。……俺はあんたに危害は加えない。他の奴らもそうなんじゃないか……?」
「……え?」
「他の奴らも今までの恨みを晴らしている。俺はこれで二人目だが……、まだ足りないな。俺たちの痛みはこれぐらいじゃ済まない。ドクター、あんたに恨みはない。見逃すよ」
「……他の、患者たちも?」
「あぁ、そうだ……。あんたは逃げればいい」

 彼はそう言ってのろのろと職員の顔から指を引き抜く。赤い糸を引く手に顔を背け、私は嘆いた。
 胸の前で十字を切り、何度か深呼吸をして顔を上げた。
 男は脱力した職員の腕を引っ張って外へと運び出そうとしていた。

「な、何を……?」
「これだけでは済まない、これだけでは……」

 きつく恨みの火を灯す目がギラつき、私に目もくれず死体を引きずっていく。
 彼が出て行った部屋で、腰を抜かす私の聴覚が戻って来たのか、外から騒がしい声と足音が聞こえることに気が付いた。ドアは開いたままだ。そこから聞こえる悲鳴と怒号、悲鳴、走る足音、断末魔、雄叫びが雑多に混じり合っていた。
 あまりの出来事に放心している私は、この世の終わりのような慌しさに焦燥感が胸を荒らし、何回も喉を嚥下させた。床についた手をわずかに丸め、冷たい温度に正気が戻って来る。

「……っ、…………あ、あぁ……逃げない、と……。逃げ、ないと……」

 自分に言い聞かせるように何度も呟き、震える身体をなんとか起こして立ち上がる。部屋の外を駆けていた音が、時折部屋を覗き込んでは何か納得した顔で獲物を求めて立ち去る。血に飢えた彼らが部屋を覗くたびに私は死を覚悟するが、彼らは一向にその牙を私に穿とうとはしなかった。
 ふらふらとドアの縁に手をかけ外を確認する。ふとガラス越しにいた患者のことを思い出し振り返るが、妄想の中の住人に怯えていた彼はいつの間にかいなくなっていた。私は心置きなく廊下に歩を進めた。

 廊下には職員達の亡骸が多く転がっていた。
 死んでも尚許さぬと酷く荒らされた亡骸は、どれも目を覆うばかりの凄惨さだった。
 部屋の中の凶行を凌駕する物もあり、一体患者たちはどういった方法でこんなことが出来てしまったのかと、あまりの事態に熱を持つ頭で嘆いた。
 死体など今まで見たことが無かった。
 あるのは、葬式の時の眠ったように整えられた遺体だけだ。
 間違っても血を流し顔を抉られ四肢のどれかが欠損しているものではない。それらが多く廊下に転がっている様は地獄だ。悪魔に魂を売った人間共は悪魔に裏切られ、恐怖と苦痛の中処刑されてしまった。

 覚束ない足取りで歩いていると、角から勢いよく現れた患者に押し倒された。背中を派手に打ち付けて息が詰まる。彼の手に握られた、手まで血に塗れたナイフが振り上げられる。恐怖と混乱に喘ぎ、何度も確信した死を再度覚悟した。
 だがナイフが振り下ろされることは無く、患者は慌てたように私から飛び退いて、数秒うろたえたあとどこかへと走り去って行った。

「あッ、ぅゲホッ、ケホッ……ぅ……」

 立ち上がり、痛む身体を推しながら歩みを進めようとした。だが突如背中に冷水を垂らされたような不快感に跳ねるように振り返った。
 あぁ、なんということだ。私はその時見てはいけないものを見てしまった。
 今私がいる廊下に居てはいけないものがここに居てしまったのだ。
 あれこそがこの吐き気を催す実験の集大成。幾人、数多の犠牲の上で成り立つ地獄の核だ。
 せめてここで振り返らなければ、私はその事実を知ることは無く、私の心に気休めでも平穏があっただろう。

 視認の誤差かと思える黒いモヤが人の形を模り、一直線に伸びる廊下を悠々とこちらへと進んできている。私はその黒いモヤが極微粒子であるナノマシンであることを知っている。私は下卑た研究者では無いが、その横で神に祈る敬虔な信者のように嘆きながらも見ていたのだ。
 私の身体を恐怖が完全に支配した。弾かれたように黒いモヤから逃走した。途中躓きかけても、途中患者たちに打ち倒されそうになっても、恐怖が支配した身体はいつもの私とは違って力強く床を蹴っていた。

 私はこんなところで死にたくない。
 地獄の泥に塗れてあがき、底なし沼に突っ込んでしまった足が煩わしい。もしかして私は足だけと思っているが、それは胴の部分まで浸かっているのかもしれない。
 患者たちが職員に凶刃を振り上げ、内の物を引きずり出し愉悦に歪んだ顔が心苦しい。
 私は自分の命が惜しいと同時に、彼ら患者たちの心が完全に後戻りできなくなってしまったことが悔しくて仕方がなかった。
 研究者である職員の跡を引き継ぎ、患者たちが地獄の後釜で蠢いていた。

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