まず一つ、俺は人の肉が好きだ。逃げる男を追って長物で殴りつけ、転倒したところを押さえ込む。仰向けになっている男の腹に座り込み、ギャーギャー騒ぎ俺を殴ろうとする腕を掴み、持っていたナイフで地面に縫い付ける。ギャーギャー声がさらに大きくなってとてもうるさかったが、この際どうでもいい。
 俺はもう一つ持っていたナイフで縫い付けた腕を筋に沿って裂いた。人の肉というのは思ったよりもスパッと切れないもので、腹筋に力を込めて裂いても途中で止まってしまう。ギコギコとナイフを上下させてやっとのことで肘までぱっくりさせたそこから、血が大量にあふれ出す。
 違う違う。俺は血が見たいのでは無くてですね、

「ぎゃああああああああああああああ!!!!!!!!」

 悲鳴が聞きたいわけでもなくてですね、

「ああああああああああ!!! 助けてくれ!!! いやだあああああああああ!!!」

 あの、あの、すみません、うるさいです。
 俺は困ってそいつの喉を切り裂いた。すごいんですよ、人間ってですね、頚動脈を切ったらマンガみたいに「ぷしっ」て音を立てて血が噴き出すんです。ですがマンガと違うところはですね、心臓の脈動と合わせて血潮の強弱があることなんです。

 それでもう一つ、俺は肉を切り裂く感覚が嫌いだ。俺の切り方が悪いというのもあるがナイフを突き刺す時なんて最高に最悪である。叫びたい衝動が腹の底から湧き上がって、よく分からない恐怖が迫りくる壁となって俺を潰そうとする。衝動的に頭を掻き毟って叫びたい。俺はどこにいる。俺は本当にここにいるのか!?

 喉を裂かれて血潮の脈動が弱くなっていく男に俺は黙々とナイフを突きおろす。
 俺は少々変態的だ。こうやって肉の塊に固執してしまってなかなか他の奴らのように上手く捌けない。捌くというのは人を解体するという意味ではなくて、人を殺す人数を上手く増やしていくということなのだが、俺は変態なのでそれが上手くない。
 俺はそれがとても不器用だと思うんです。おかしいな、昔はもっと上手く色々なことを捌いていたというのに、人殺しに関しては俺は固執しすぎる。いやいや違う、人に関しては、と訂正しよう。

 終末だ。俺はとても激しく絶望感が俺の中で暴れまわるのを感じていた。
 荒れ果てたかつての街。モノクマとかいうふざけたマスコットの頭をかぶってぎゃーぎゃー騒ぐ奴らが、モノクマ以外を殺している。見ていて滑稽ですが、大丈夫ですか?
 俺もモノクマなので人のことは言えないのだけども。
 ぁああぁああぁああぁああ、俺はナイフを振り下ろす手を止めて自分の本来の得物を手に取る。こんなことをしている場合じゃないんだ!
 焦燥感が俺を殺そうとしている。寝不足だから仕方ないのかもしれない。俺の今の神経はイカれていて目が血走っている。俺は今日で何日目か。

 まず一つ、俺の心には一人の人間が巣食っている。
 そいつは俺の昔からの友人で、そいつの近くにいて唯一生きている人間だ。昔からの友人はすぐ人を殺して仕方が無い奴だ。その殺人はそいつの意思ではなくそいつの周りの人間が死ぬ度にそいつはよく泣いていた。昔の話なんだけどな。今ではあいつは泣かずに笑うようになった。とても歪んだ笑顔で「楽しい!」と笑うあいつは俺に涙を誘う。
 俺、あいつ見てるとすげぇ泣けてくるんだよね。感受性が豊かってわけじゃないんだけどな。

 モクモク街から火の手が上がっていて俺はふらりと立ち上がって走り出す。つーぎーはー! どいつだー! わはは俺は今無敵だからさっさとかかってこぉーい! あれあれ、今俺の周りであれが鳴ってる。無敵BGM。なんて愉快だ!
 俺は笑っていた! 訳も分からず笑っていた! この身体に芽生えた絶望がすくすく育って俺を突き破っていつか殺す! あぁそうだ俺を殺してくれ!
 こんな姿、あいつが喜ぶはずがないじゃないか。だってあいついっつも希望希望うるさいからな。今の俺は絶望だから、あいつが嫌いな絶望だから俺はあいつに嫌われるのだろうか。
 まぁいい、俺はなぎなたを逃げる背中に振り下ろした。


***


「凪斗……お前、その腕……」
「……あぁ、なんだ君か。近寄らないでくれないかな。あーあ、君も本当に馬鹿だよね、ボクの嫌いな絶望なんかに染まっちゃって、君も彼女が好きなの? へー、そうなんだ。ガッカリだよ、ボクは絶望を手に取っちゃった奴になんて興味無いからさっさとどっかに」
「お前だって、大事そうにしているじゃないか……」
「は? 何が?」
「その腕、女の物だろう? 俺はその腕に見覚えがある。それは……」
「あぁこれ? これはね、確かに君が思い描いている人間の物だけどね、ボクは大事だからそうしたんじゃないよ。ボクはボクが嫌いな物を体現する奴のことを忘れないためにそうしただけなんだよ。大事なんかじゃない」
「凪斗……」
「うるさいな。これ以上君と話しをしていたくないよ、虫唾が走る」
「……お前、腕が無くなっちゃったんだなぁ……」
「…………」
「腕が、お前の、……無くなっちゃったんだなぁ……」
「……ね、ねぇ、……君、なんで泣いてるの?」


***


 俺は壁際で腕を組んで沈黙していた。一回目の学級裁判が終わり、次の日の昼。
 ホテルのロビーで黙り込む俺は、凪斗を朝から見かけないことにおかしいと感じていた。あいつが行きそうなところを頭の中で検索してみるが、凪斗はきまぐれでおかしなところにハマりこんでいたりするから俺なんかが予想できるはずがなかった。
 あいつは本当におかしいやつだからな。
 食堂に行く奴らの挨拶を目礼で返し、俺は朝からずっと考えていた。

「朝からずっといるけど、何をしているんだお前」
「日向か……凪斗を知らないか」
「狛枝? いや、知らない」
「そうか……朝から見ていないんだ。見かけたら教えてくれ」
「なぁ……一つ、聞きたいんだけど」
「なんだ?」
「お前、狛枝があんな性格だって知ってたのか?」
「……あぁ、知っていた」

 俺と向き合っていた日向創の顔が歪む。その顔の意味は怒りだ。俺は目を細めて日向を眺めていた。それは、俺がよく見る顔だった。

「知ってて狛枝を放って置いたのか」
「……少し、日向との認識がズレている」
「何がだ!?」
「俺は凪斗がああいう性格だということを知っていた。が、アイツがあんなことをするとは思っていなかった」
「はぁ!?」
「……なぁ、凪斗はどこにいるんだろうな。俺はアイツがまた何かやらかさないか心配なんだ」
「…………」
「俺はアイツに、これ以上歪んで欲しくないんだ……凪斗を見つけたら、教えてくれ、日向。頼む……」

 深々と頭を下げると、日向は口惜しそうに「……分かったよ」と吐き捨てた。ゆっくりと頭を上げて、食堂への階段を上がっている日向の背中を見送る。
 俺はまた壁にもたれる。目を閉じて昔からの友人を待つ。アイツは昔はよく泣いた。今は笑う。……俺は悲しかった。


***


 左右田が言った。「あんな危ない奴、野放しにしておけるか!」と、怯える人間の心理をそのまま言い放った。俺は静かに目を伏せる。そして皆に一声かけて、食堂にいる人間の目を一つ残らず俺に向かったのを確認して、頭を下げた。

「なら、俺も拘束してくれ」
「は? 何言っちゃってんのこのキザ野郎。お友達がぐるぐる巻きだからって自分もそうなりたいとか思っちゃったクチ? わー! 変態のお友達は変態なんだね! 知ってる、そういうのって類友って言うんだよー!」

 西園寺が笑顔で両手を広げ、馬鹿を馬鹿だと罵る。その馬鹿は俺で、俺は確かに馬鹿だった。

「ちょっと日寄子ちゃん! 言い過ぎだって……。ねぇ、アンタそれ本気で言ってるの?」
「もちろんだ。凪斗が縛られて転がされているのなら、俺もそうしてくれ」
「うっわー! 気持ち悪い! ねぇねぇ前から怪しいって思ってたけどホモなの? 二人はホモなの? おホモダチなの? 二人で変態プレイ楽しんじゃおうってことなの? きーもーちーわーるーいー! やだやだあんな奴とホモってるなんてありえない! あ、でも類友だからありえないこともしちゃうんだ。気持ち悪いねー!」
「ひゃー! 日寄子ちゃんの毒舌が冴え渡ってるっすー! こりゃーノックアウトっすね!」

 小泉、西園寺、澪田が騒いでいる。他の人間も困惑していて、俺はそれを見てさらに頭を下げた。

「頼む」
「熱烈っすね!」
「おいおいおい……、お前なんであんな奴をかばうんだよ……友達だろうからって、アイツは人殺しを……」
「君達は」

 身体にまとわりつくのは倦怠感だ。それほど大きくなかった俺の声で、なぜか食堂が静かになった。ゆっくりと顔をあげて、一人ひとりの顔をのろりのろりと見回す。
 俺の心を覆うのは寂寥だ。俺はよく分からないこの感情が嫌いだった。昔見た光景が目の前で人差し指を一本、俺の前に突き立てる。子供のそいつは暗くにっかり笑って、俺の眼前から自分の口元に自分の指を引き寄せる。「一つ」と言ってどうでもいいことを話すそいつは、汚い部屋で泣きじゃくる子供たちの中で唯一笑っていた。他の子供は絶望に泣いていた。これから起こる、これからされることに怯えて泣いていた。

 俺は覚悟していたから、そういうものなのだと、決して心を折ってやるものかと決意していたから泣かなかった。内心怖かった。俺は母親に、俗に言う『そういうところ』に放り込まれたものだから、怖くて仕方なかったが、しょうがないことだとも覚悟していた。
 「一つ」と、隣の家に住んでいたそいつは笑った。俺はそいつに向かって人差し指を立てた。俺は言った。そいつの目を強く見返して「俺についてこい」と、そいつの目の前で人差し指を折った。
 目を丸くしているそいつが俺についてくると確信があった。背を向けて鉄格子に歩み寄り、その瞬間汚い部屋が爆発に巻き込まれて他の子供が大勢死に、俺とそいつは生き残った。俺はその時のあいつの顔を思い出していた。

「君達は、目の前で泣いている子供がいたら、あやすだろうか」
「……はぁ?」
「俺は同情して、そいつを慰める。可哀想だろう? どこを探しても誰もいないと泣く子供を放っておくなんて、俺にはできない」
「……よくわかんないけどぉ、それってアイツのことぉ? ……赤ちゃんプレイもしちゃうのー? 気持ち悪い通り越して怖いかもー」

 身を引く西園寺を一瞥し、困惑する人間たちを再度見回す。俺は頭を下げた。

「……頼む」


***


「……やぁ」
「よぉ」
「来るかなって思ってたけど、縛られて来るなんてちょっと予想外かも」
「それ以外にどう来ると思ったんだ」
「うーん、そうだね。食事係とか」
「……そうか、その手があったな」
「…………考えが無さすぎるね」
「そうだな。俺にもうちょっと頭があればお前を止められたかもしれないな」
「止める? ボクを? さすがの君でも自惚れすぎだね」
「そうか、自惚れたか」
「うん」
「自惚れたのか、俺は」
「うん」
「自惚れていないと思うぞ」
「……うん、そうだね」
「よし、勝ったな。俺は勝ったぞ、凪斗」
「うーん、勝敗条件がよく分からないけど……うん、まぁ、ありがとう」
「完全勝利だな」

 俺は深く頷いた。凪斗は後ろ手に縛られ脚も拘束された状態で苦笑した。床に転がっているが、コートのおかげで床の冷たさを防げているのではないか。
 壁にもたれて俺は凪斗にたわいもない話を振った。ぽつぽつと会話がされる。

「君さ、昔からボクを気にかけてくれるけど、どうして?」
「寂しいだろう」
「……ボクが?」
「俺もだ」
「……そっかぁ。それって共依存って言うんだよ、知ってた?」
「西園寺にはおホモダチと言われた」
「ぐふっ! ……ホモ? ボクと君が? 光栄だね! 君とそんな深い仲になれるだなんて、ゴミクズであるボクが超高校級とそんな仲だなんて! なんっって希望なんだ!」
「よし、これから俺達はおホモダチだな」
「うぐっ……ねぇ、それすっごく面白いからやめてくれない? うっ、ぷくく……、ボクと君が……おホモ……ぶふぉぁっ! くくくくっ……」
「だらしねぇな」
「ぐふぁっ!!」

 床の上で身悶える凪斗。俺は自信満々な笑みを浮かべて、それを見た凪斗がさらに悶えた。それでいいと、思った。


***


 俺は棺桶にすがりついた。
 目から涙がとめどなく溢れる。覚えているはずのないものを覚えていた俺は、絶望に身を切り裂かれそうな思いに声を出す。死は、自分でもたらす死は、親しい者への最大の裏切りだと誰かが言った。なら凪斗は裏切り者だ。お前が救いたかった裏切り者と同じで、お前自身も裏切り者だ。

「あ、あぁぁぁあぁああ……」

 鼻水をすすりながら棺桶を開く。死んだように眠る凪斗の腕は、ゲームの中では普通だったのに、女物の腕がついていた。青白い顔、何日も食事していない、死人の顔だった。

「うら、うらぎりものぉ……っ!」

 絶望が身体を盛大に殴りつける。死ね、死ね、と叩きつける。だが俺は知っている。人は絶望単体では死なない。致死量の絶望を盛ったとしても人は死なない。人が死ぬ時は、いつだって他者の接触が必要だった。他者を拒み自らの手で殺したって、自分ですら他人なのだ。人は自分を完全に理解しているだなんてありえない。他人よりも自分をよく知っているというだけで、一ミリたりとも自分というのはおかしいことなのだ。
 凪斗の頬を撫で、涙腺が崩壊した俺は「あぁぁああぁあ」と震える指を何度も往復させる。寂しいものだ。俺は本当にここにいるのだろうか。凪斗が死んだ時俺は絶望したが、ゲームの世界から飛び出してもしかしたらと期待してもいて、目の前の冷たさを触れて理解してまた絶望に叩き落された。

 俺と一緒に目覚めたカムクラがふらりふらりと近寄るのが視界の端で見えた。
 俺は悲しかった。凪斗を取り囲む環境が冷たくて、悲しかった。あの汚い部屋で目の輝きを鈍らせ笑う子供が、人差し指を立てて俺に何か言った時、とても寂しくて、俺はその感情の虜になった。俺は自身を何も感じない、子供らしからぬ子供だと思っていた。それをこいつは『寂しい』で縛った。感情だ。俺はその感情にすがって、それを植えつけた人間を必死に掴んでいた。

「めを、さましてくれぇ……たのむ、たのむ……なぎと、たのむ、……おれについてこい、おまえ、…………おまえ、このっ! 裏切り者! 裏切りもの! ……うらぎり、……」

 子供が、無邪気を表面に装う子供が俺の後ろをついてまわる。俺はそれがとても心地よかった。俺はこいつが何を感じていようと、何を考えていようと、何をしようと、こいつが必要だと思うのならすべて必要だと許容していた。
 いい、いい、それでいい。……それでいい、なら、このままでもいいのだろう。

「あなたは」

 声がして顔を上げる。カムクラがぼんやりと俺を見ていた。
 俺は何も言わず、顔を俯けた。

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