シュヴァーンは二人を感情の篭っていない目で見ていた。腐臭漂う部屋の唯一の入り口に立ち、逃げ場を塞がれたユーリとレイヴンは咄嗟に得物に手を伸ばす。扉を背に立つ男は何をしでかすのか分からず、変な動きをするようであればすぐに対応できるように構えた。そんな二人をゆっくりと交互に見、シュヴァーンは重々しく口を開いた。

「見たのか?」
「……あぁ」
「そうか」

 淡々と紡がれる言葉には感情は一切乗っていない。レイヴンは変形弓に置いた手に力を込めた。頭の中で警報がけたたましく鳴っている。目をシュヴァーンの身体のあちこちに移動させ、何も持っていないか目視で確認し、丸腰に見える姿に逆に手を出しにくくなる。疑心暗鬼だ。丸腰に見えるが、それはレイヴン達を油断させるためのブラフかもしれない。殺気立つ二人を前にして腕を組み無防備な姿を晒しているシュヴァーンに、不安を燻られた。
 シュヴァーンが背を預けていた扉から離れ、その戸を見せ付けるようにギィギィと揺らした。何をしているのかと疑問に思う二人に、彼は薄く笑った。

「お前達は知らないだろうが、この扉は見た目に反して頑丈でエアルを通さなくてな。それに内側からは開けられないように最初から取っ手が付いていない。……俺がこの扉を閉めたら、お前達はここから出られなくなるだろうな」
「なら閉められる前に突破すりゃ良い話だな」

 シュヴァーンの言葉にユーリは鞘を振りかぶった。刀身を収めていた鞘は壁にぶつかり、部屋に音が反響する。レイヴンも同時に弓を変形させ戦闘態勢に入った。そんな二人にシュヴァーンはまた淡々と言葉を発する。

「人は、無意味に禁止されると暴きたくなるものだ。何が隠されているのか、隠されれば隠される程暴きたいという欲求は深くなる。それは誰にでもあることだ。だがな、こういう言葉がある。好奇心猫を殺す、とな。ありきたりな言葉だろうが、知らなくていいことに無闇に首を突っ込んで命を落とす人間は多い。……俺がどちらを選ぶか、分かるか?」
「ハッ、俺達を閉じ込めようってか。はったりかどうか知らねぇけど、アンタの言うことが本当だったら面倒だ。抵抗させてもらうぜ」

 ギィギィと揺らされる扉。ユーリは剣をシュヴァーンに向け唾を呑んだ。吐き気をこらえ扉を揺らす男を睨み付ける。背後から漂う甘ったるく鼻を刺す臭いが纏わりついてきて、今すぐにでも走って扉から外に出たかった。シュヴァーンの言った言葉が本当かは分からないが、もし本当だったらこの部屋に閉じ込められることになる。それだけは勘弁願いたかった。
 ユーリは、内心酷く焦っていた。初めてみる、おそらく人間の成れの果てに浮かぶ紫色の羽織り。脂を吸ってまだらに模様を描き、その上に乗っていた短刀は血を浴びたのか赤く錆びれていた。鞘口の部分には中の刃に付いた血が押し出された跡があった。
 ダストボックスの中にあったのものに、あの人間の成れの果てはもしかしたらレイヴンなんじゃないかと連想してしまったユーリは、胸が悪く額に脂汗が滲んだ。
 しばらくの間、ギィギィと錆びた蝶番の軋む音が部屋に煩わしくこもった。踏み込もうと足に力を込めた瞬間、シュヴァーンは大きくため息を吐いて扉から身を引いた。

「冗談だ。さっさとそれを置いて出てってくれ。俺にはもうそれしか残っていない。それすらも奪うというのなら、君たちの命を一つ残らず刈り取ってやろう」

 そう言ってユーリ達を睥睨したあと、扉を限界まで開けてシュヴァーンは二人に背を向けて行ってしまった。ユーリとレイヴンは呆気に取られ、次いで安堵に肩の力を抜いた。お互いに目配せをし、ユーリは自分の手に握られた錆びれた短刀に目を落とす。

「……それ、早いとこ戻しちまいな」
「あぁ……」
「先に扉を確保しとくから」
「……分かったよ……」

 ユーリはダストボックスの前まで来て、しばし迷ってから蓋の上に置いた。振り返るとレイヴンがさきほどのシュヴァーンと同じように扉に背を預けてユーリを目で促す。部屋から出ると線香の束を持ったシュヴァーンが火を点けていた。点いたのを確認するとそれをレイヴンに向けて放り投げ、危なげに受け取る。束を燃やしてるので煙と匂いが酷かった。

「それで腐臭もある程度抑えられる。香が燃え尽きるまでここにいたらいい」

 淡々と告げ、シュヴァーンは鉄製の扉の横に座り込んだ。目を閉じ俯くその姿がひどく疲れているように見え、ユーリはわざと大きく踏み鳴らして近寄った。

「なぁ、シュヴァーン。聞きたいことがあるんだけどよ」
「……なんだ」
「あんた、なんでこんなところにいるんだ」

 ユーリはシュヴァーンを見下ろして詰問する。絶対に答えてもらう、という強い意思が宿った言葉に、けれどもシュヴァーンは顔も上げずに沈黙を選んだ。
 その態度に、先ほどのシュヴァーンの行動も相まってイライラとユーリは腕を組んだ。あんな部屋に閉じ込められそうになった不安、鼻につく香の香り、積み重なって怒りを助長させていく。

「じゃあもう一つ聞く。なんで俺達にこの扉を開けさせようとするんだ。あんたが開ければいいだろ」
「君たちも知っているだろう。この扉は開かない」
「あんたが開けようとしてる所は見たことがないな。本当は開ける方法を知ってるんじゃないか? 扉の奥の何かを俺達にけしかけようと、俺達に扉を開けさせようとしてるんじゃないか」
「……違う」
「違う? 信じられねぇな。あんたの今までの行動といいさっきのことといい、それにあのボックスの中に入っているものを見て、あんたを信じる気は失せた。話せ、あんたが知ってること全部。一体ここはなんなんだよ!」
「……そんなものっ!!」

 血を吐くように苦しく絞り出す怒号。ユーリは驚きに身を固めた。その声の発生源は、壁に背を凭れ項垂れるシュヴァーンからのものだ。ユーリ達が彼と会話をする時、彼は一貫として抑揚のない、機械的な喋り方だった。感情を多分に含んだ叫びに、ユーリもレイヴンも黙った。
 シュヴァーンは幽鬼のようにふらりと立ち上がる。長い髪で横顔を隠しながら、丸めた背中を壁につけ、小刻みに震える手で顔面を覆う。

「……っ、そんなもの……俺が、知りたい……っ」

 声の色は、悲しみだった。喉が痙攣し、何かを呑み込むように、はくはくと呼吸音が響く。ユーリは、彼が泣いているのではないかと思った。

「俺はここから、ここから出たい……こんなところにいたくない……俺は、どうして……」
 
 何度も何度も「どうして」を繰り返すシュヴァーンに、ユーリとレイヴンはどう声をかけたらいいか分からずに立ち尽くす。やがて、シュヴァーンの目がユーリに向けられた。手は顔面を押さえたまま、指の間から覗く目が苦しさに歪んでいる。意外だったのは、彼が泣いていないことだった。空気を求めて何度も痙攣する喉が、唐突に止んだ。
 顔面を覆う手がだらりと力を失い、目から光が消え失せる。全てを諦めた低い声がぽつりと呟いた。

「帰りたい」
「…………」
「俺は、帰りたいんだ。ただ、帰りたいだけなんだ。……この扉の奥は、俺の居場所だ。俺は……レイヴンに謝らないとならない。レイヴンに……」
「おっさんに、か……?」
「レイヴンに置いて行かれてしまった。俺は、ただ元の場所に戻りたいだけなんだ」

 レイヴンの顔色がサッと青ざめる。
 その言葉はレイヴンに、バクティオン神殿に遺していった者のことを否応なく思い出させた。己と瓜二つの姿をした男は、「レイヴンに置いて行かれてしまった」と言った。そうだ、レイヴンは彼をあの神殿に置いてきた。日の当たらない忘れ去られた石造りの囲いにこそ、求めていた墓標が似合う。
 崩れた瓦礫の一つ一つが、誰かの、かつての仲間たちの墓標だ。その中にかつての己が埋没し、安息に眠るのだと勝手に思っていた。
 だがあの神殿の成れの果ては、所詮仲間たちが眠る場所ではない。

 レイヴンはシュヴァーンの言葉に酷く混乱していた。
 シュヴァーンは俺を恨んでいるのか。己から分離した男は憎しみの目をこちらに向けるのだろうか。置いて行かれた、という言葉。それは仮初の心臓を得て、望んでいない二度目の生を一歩歩んだ時にレイヴン自身がかつての仲間を想って言った言葉だ。
 シュヴァーンは俺を憎んでいる。レイヴンはその場から動けずに立ち尽くした。
 ユーリは後ろのレイヴンのことを気にかけつつ、目の前で嘆く男に警戒を怠ることはなかった。

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