唯一の肉親である父が死んで、僕は一人で生きていかなければならなくなった。掃き溜めの街であるキスレブは、上から暴力行為などは禁止されているとはいえ、裏で色々やっている奴は多くいる。D区画では力のあるものが正義、が通る場所だ。僕は一応犯罪者では無いとはいえ、D区画の近くにいることには変わりなく、そのルールに巻き込まれている。ただでさえ子供は舐められるのに、非力な子供が一人で生きていくなんて到底無理な話だった。
他のところでは生きていけない奴らが集まる街。
荒くれ者が多いそんな街でも、子供を保護する孤児院のような場所はあった。
親を亡くし、あるいは捨てられた子供達。父が生きている時、同年代の遊び相手が必要だろうと何回か連れられていったことがある。
普通の人間とは少し違った子供や亜人、見た目はキレイな形をした人間の子。そいつらは普通の人里にいる子供と同じようにいきいきとしていた。
僕は、そいつらがあまり好きじゃなかった。
僕は根暗な性格をしている。僕は他の子供達よりも卑屈で、顔を輝かせて遊ぶそいつらに腹が立って仕方がなかった。僕の前でなにをそんなに楽しそうにしているんだ。
そう思ってしまう自分が嫌で、僕はそいつらの中に入るのが嫌だった。
僕は孤児院の世話にはならない。一人で生きていくには厳しいけれど、僕は一人で生きていく。僕が信頼しているのは、頼りにしていたのは父だけだ。その父が死んだ僕は、一人で生きていく。
僕は父の形見を胸に抱きしめて、そう強く思った。
僕が寝泊りしている宿。父が前料金を払って長期的に居座っている宿の一室に、形見の棍棒を置いていく。盗まれる可能性はあったが、使い古され売ってもそれほど価値のないものをわざわざ持っていく馬鹿もいないだろう。
宿の主人に父が死んで一人で寝泊りすることになったから、父の分の払った前料金を返して欲しいと頼んだ。宿の主人は鼻で笑って僕を追い返そうとした。
なら父が泊まる分だった前料金を、僕の滞在期間に上乗せして欲しいと言った。宿の主人は馬鹿を見る目で僕を睥睨し、話はこれで終わったという風に明後日の方向に身体を向けた。
父が生きていた頃は普通に対応していたクセに。悔しかったが僕はそれ以上何も言わずに外に出た。
煩雑な街中。工場から吐き出される煙に空気が濁り、粗末な木造店が立ち並ぶ道を黙々と歩く。頭上にはむき出しの鉄筋や、これまた粗末な橋が渡されていて時折人がそこを通っている。不純物の多い空気で濁ったように見える太陽の下、僕はろくに舗装されていない道を歩きながら考えた。
一人で生きていくと決心したが、弱い僕はこれから何をすればいいのか。
金は必要だ。父を殺し、食った下水道のモンスターも皆殺しにする。でも細い身体で力も無く、学もそれほど無い僕がどうやって金を稼ぐ。てっとり早いのは生前の父がやっていたようにモンスターを殺してはぎ取る。
僕は上の人間が出入りする施設の窓口に立って下水道の駆除の依頼を受けようとした。だがここでも子供だからという理由で門前払いされてしまった。僕は悔しさに唇を噛んだ。
店にかかったハシゴを上り、屋根伝いに下水道へと続く穴のところにまで行く。穴には中からモンスターが出てこないように厳重に蓋をされている。鍵をかけられ、さらに見張りが立っているそこに辿り着き、僕は見張りに下水道に入れてくれるよう頼んだ。
見張りは顔をしかめて断った。依頼を受けていない人間をわざわざ通さない。
それでも入れてもらえるよう何回か押し問答をする。そんなことをしていると、下水道のモンスターを討伐するためにきた男が見張りに話しかけた。
下水道のモンスターの討伐は上から依頼されることが多い。その男は依頼書代わりのドッグタグを見せ、見張りがそれを確認して下水道の鍵を開けた。
僕はその男に話しかけた。
「下水道に用がある。僕も連れて行って欲しい」
「なんだ? みすぼらしいガキが、それが人様にものを頼む態度か? オレがオマエみたいな足手まとい連れていくわけないだろ」
「モンスターが出たら僕を盾にしてくれていい。なんならそのまま置いていってくれても構わない。下水道に行くんだ、それぐらいの覚悟はある」
「足手まといって分かってながら連れてって、食われるガキを見殺しにしろってか。オレはそこまで根性捻じ曲がってねぇぞ」
「子供の願い事を叶えるぐらいの真っ当な精神があるってことだな。お願いします、僕を下水道に連れて行ってください」
「屁理屈こねやがる……。連れてくわけねぇだろ」
そう言って男が開いた蓋からハシゴを下りていった。
それを見送って、見張りが閉めようとするのを見計らって僕は蓋の中に飛び込んだ。
見張りの焦った声が聞こえたが、構わない。下まで距離のある穴の中、僕は途中でハシゴを掴んで勢いを一気に殺した。軽い僕の身体だ。肩が脱臼するといったことは無かった。
下に着いた時、先ほどの男が僕を見て怒りの表情をした。さっさと戻れという男の言葉を無視して、僕は男を睨みつける。
どれだけ怒鳴ってもついてくる僕に諦めた男は僕の存在を無視して早足に歩き始めた。僕は置いて行かれないように必死に後ろをついていった。
***
下水道に入る人間の後ろをついてまわる、そんな生活を続けて数日。下水道についての情報を得て、僕はようやく本腰を入れることにした。
僕はしわの寄った古ぼけた紙を引っ張りだした。後ろについて回った時に頭にたたき込んだ地形を紙にマッピングし、魔物が比較的出てきやすい箇所に丸をつけたお手製の地図。もう一枚紙を引っ張りだし、そちらには魔物の情報がしっかりと書き込まれていることを確認する。何回も読み直し、特に弱点となる部分を何度も復習する。
あと3日で宿屋から退去しなければならない。ろくにお金を稼いでいないので延長もできず、僕は焦っていた。
お金のことはちゃんと分かっていたはずなのに、復讐で頭がいっぱいになっていたみたいだ。自分の計画性の無さにがっかりする。
いざという時は孤児院に頼るしか、という考えが頭をよぎり、慌てて首を振る。あんなところに世話になったりするものか。世話になるぐらいなら魔物と刺し違えて死んだ方がマシだ。安っぽいプライドだと自覚しているが、それでも僕はそれだけは譲れなかった。
宿屋の一室から窓に目を向ける。日が支配する街が忙しなく機械を駆動させている音に、生産の代償として吐き出される煙。人の声が遠くに聞こえ、現実味のない感覚と滲む不安に全身がけだるかった。
***
連日窓口に立って粘っていたせいか、窓口の人間からため息と共に下水道立ち入りの許可証を貰った。小さな木の板を両手で受け取り、朝一番に来た甲斐があったと心が弾んだ。早速準備に取りかかろうと宿屋に戻り、寝泊まりしていした部屋から僕の荷物が一切無くなっていることに愕然とする。慌てて宿屋の受付であくびをしている主人に詰め寄ると、主人は弱者をいたぶる嫌らしい目で笑った。
「あぁ、お前の荷物か。引き払ったぜ」
「なんでだよ、あと2日あったはずだろ!」
「いや違うね。今日までだったんだよ、お前が部屋を借りれる日は。帳簿にもそう書かれてる。ほら、見るか?」
乱雑に放り投げられた紐閉じの紙束には、確かに僕と僕の父親の名前があった。宿泊の日程は確かに今日の日付だった。けどその日付は消した跡があり、それを隠そうともしない宿屋の主人に手が震える。
「こんなの詐欺だ! 消した跡があるじゃないか!」
「あぁ? お前言いがかりをつける気か? 金が無ぇからって難癖付けてここにいようだなんてずる賢い奴だな。それにお前、最近下水道に行く奴らにちょっかいかけて迷惑行為をしてるみたいだな。そんな奴ぁここにはいらねぇ。迷惑だ、さっさと出ていけ!」
「なら、せめて僕の荷物を返すのがスジだろう。まさか売り払ったんじゃないだろうな、クズが!」
「今まで泊めてもらった恩も忘れてクズ呼ばわりか。お前の荷物は捨てた。あんなのが売れるわけねぇだろ。せいぜい這い蹲って生きな。応援してるぜぇ」
にやにやと頬杖をつく宿屋の主人に憎しみの目を向ける。僕はせめてもの仕返しに帳簿をその顔に投げた。紙は空中で勢いを無くし虚しく床に落ちた。
宿屋を飛び出ると裏手のゴミ捨て場に急いだ。うず高く積まれたゴミに怯み、漂う悪臭に顔を歪める。下水道の臭いよりはマシだと自分に言い聞かせてゴミの山に手を突っ込んだ。
普通ゴミも生ゴミも一緒くたになったゴミの山から腐った食べ物の汁が飛び散り、危うく目に入りかけてひやっとする。激臭に目が刺激され涙が溢れる。ようやく探し当てた荷物は汁にまみれてほとんどが使い物にならなくなっていた。衣服は勿論、頑張って作成した地図も半分以上が溶けてしまっている。
父親の棍棒を苦労して引き抜き、付着した液体を衣類の無事な部分で拭き取る。ナイフも見つかったが、扱いが悪かったのか刃こぼれを起こしていた。
絶望的な気持ちだった。
***
萎えた気持ちに渇を入れて下水道の入り口まで来た。半分しか残っていない地図と刃こぼれを起こしたナイフを懐に、僕には重すぎる棍棒を引きずって、僕の姿を認めて「またか」と嫌な顔をする監視人に木札を見せる。
虚を突かれた監視人は少しの膠着の後しぶしぶと蓋を開けた。無理矢理押し入るのではなく、初めて受け入れられたことに感動したかったが、生憎そんな気分じゃない。
僕はゴミ置き場で拾った紐と棍棒をくくりつけて背負い、ハシゴを降りていった。
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