誰得。レッドラムとほのぼの食人予定。残酷表現注意。
父親が死んだ。僕がそれを知ったのは、仲良くも無い亜人から伝えられた黄昏時だった。
僕はぽかんとネズミ顔の亜人を見上げていた。ネズミ顔の亜人は気の毒そうな顔をしたが、もう用事は終わったとそそくさとどこかに行ってしまった。
廃棄ガスや煙が空気を汚す街中で、僕は一人呆然と立ち尽くす。
亜人たちが多く住むキスレブで、僕と父は二人で細々と暮らしていた。稼ぎ頭の父は亜人ではないが、普通の人里で住むには身体的異常に対する差別の目で無理だと、僕を連れてここに移住した。
父は見た目が奇妙な人だった。短い胴体に異様に長い手足。顔はなんとか普通だろうが、骨格がどことなくおかしい、そんな人だった。
僕は父の長い腕の先についている大きい手のひらと、そこからさらに伸びる節くれ立った指が好きだった。僕は父ほど顕著ではないが、父の手のひらと指が僕にとても似ている。見た目が全然違う僕と父が親子関係であるという、唯一の証拠だった。
どんどんと暗くなっていく街中で、僕は自分の手のひらをじっと見ていた。
父が死んだ。僕はそれが信じられなかった。顔の骨格がおかしいからか、笑うといびつに歪む父の笑顔が頭の中で再生される。それがもう記憶の中だけのものになってしまっただなんて、そんなの信じたくなかった。
僕はネズミ顔の亜人から詳しく聞こうと捜しだした。何も考えられなくて、危ない夜の街をふらふらと歩き続けた。キスレブは荒くれ者が多い街だ。まだ子供で、力もそれほど無い未熟な身体の僕が夜の街を歩くだなんて、カツアゲしてくださいと言っているようなものだ。
下手したら殺されるかもしれない。それでも僕はネズミ顔の亜人から早く父のことを聞きたくて、宿屋や酒場を探した。
***
僕は結局、ネズミ顔の亜人を見つけられなかった。
その代わり宿屋で会った知った顔に父のことを教えられた。人の死に関する情報は、生き残り願望の強い奴らの間ではすぐ回る。
父は下水道で惨殺死体として発見されたらしい。下水道のモンスターに肉を貪られ、骨までかじられ、下水道に残っていたのは大量の血液と残りカスだけ。
そのことを教えてくれた亜人は、ネズミ顔の亜人と同じように気の毒そうな顔で僕を憐れんでいた。僕は教えられた事実に、何も考えることができなかった。
僕の父は見た目に反して腕が立った。長い腕に持った棍棒で凶悪な獣を殴り殺し、大型のナイフで皮を剥いでそれを売ったり、肉を分断して食料にしたり。
どんな獣やモンスターにも立ち向かい殺してきた父の最期がそれだなんて、あまりにもおかしい。人間と違って頭の悪い獣風情に僕の父が食い殺されるだなんて、あってはならないことだ。
僕は父と同じ節くれだった長い指を握りこんだ。
知った顔の亜人は、僕にもう一つ教えてくれた。
「もし君が下水道に行くというなら、私は強く止めるよ。下水道には飢えたモンスターや追い剥ぎしかいないからね。悪いことは言わないから、君は普通に暮らしな。君の父親だって、君の平穏を望んでいるだろうからね」
掃き溜めのキスレブに、人の心配をする余裕のある奴なんていない。この知った顔の亜人は、僕を憐れんで蔑んでいるからその言葉を吐いたんだろう。強者から弱者への言葉は、優越感に満たされている。心配顔の面の下の真実なんて、僕に分かるはずがなかった。
僕は頷いて、知った顔の亜人に別れを告げた。
***
深夜。僕は父親が殺されたという下水道に来ていた。見張りの人間はこの時間帯まで立っていないようで、しかも鍵をかけ忘れたのかいつもは入れない下水道に楽に入ることができた。
掃き溜めの街の下水道にはモンスターが多く住み着いている。それを定期的に駆除して、上から金を貰って僕ら親子は生活をしていた。堅実に働いて金を稼ぐよりも手っ取り早く、ろくに金を稼げない僕を食わせるために死の危険があるこの仕事を選んだ父。
僕は枯れ木のような父の背中を思い出しながら、小ぶりのナイフを強く握りこんだ。
壁際に人が歩けるほどの細い道。道同士を繋ぐ頼りない橋が下水道内にいくつもある。橋の下では壁から吐き出される水が川となって流れている。流れる水から立ち上る汚水の臭いに僕はくらくらとした。耳には絶えず水の音がして、長時間ここにいると鼻も耳もやられそうだ。
なんのための装置なのか、ごうんごうんと音を立てながら二枚の羽を持った大きな風車が川の上で回っている。元々人が通るようなところでは無いから、道の上にまで羽がぐるぐる回っていて、タイミングよく通らないと硬質的な羽に当たって怪我をするだろう。
僕は慎重に下水道を進んだ。
僕の父は言っていた。下水道には汚水の中に身を隠し、獲物を狙うモンスターもいるんだと。僕は水の中に何もいないか注意深く観察し、下水道の臭いにえづきながら歩き続けた。
僕は、父が死んだなんて思っていなかった。僕の父は強い。迫害された村からキスレブに移動する際、父は僕を背にして守ってくれた。棍棒でモンスターも人間もなぶり殺し、血を浴びて僕にいびつに笑う父の姿。長い手足で執拗に肉を叩く父に感じたあの恐怖。
僕の中の父は絶対だった。力の限り強く打ち振るう姿は、僕の中にひどく鮮明に刻み付けられていた。
僕の父は強い。死ぬはずない。父さん、どこ。僕を置いていかないで。
僕は弱い。モンスターに出会ったら、僕はこんな小さなナイフで応戦するしかない。果物ナイフよりも少し大きい程度のナイフで、一体どこまで抵抗できる?
僕の父は強いが、それに反比例して僕は弱かった。
僕は父を探して下水道の中を歩き回った。奇跡的なことに、モンスターに出会うことはなかった。小さなネズミが足元を駆けずり回り、ネズミ顔の亜人を思い出した僕はむしゃくしゃして小さなネズミを踏み潰した。ぐちゃりと小さな体から内臓を吐き出すネズミに、僕は気持ち悪いと思った。
見つからない。下水道の中を随分と歩き回っているのに、僕の父が見つからない。僕はなんでこんなところにいるんだ。僕の父は死んでない。あのネズミ顔の亜人が僕にあんなことを言わなければ、父は死ぬはずがなかったんだ。アイツが僕に父の死を言わなければ、僕は父の死を知らなかった。僕の中で父は生きていたんだ。
父の死を告げたあの亜人と同じ顔をしたものが憎くてたまらない。鮮やかな赤で彩られた肉に向かって、足を何回も振り下ろす。汚い音をさせるそれに、僕は泣きそうになった。
靴についた血を床にこすりつけて僕は進んだ。
ごうんごうんとうるさい風車の音。汚水の中に潜んでいるかもしれないモンスターを警戒し続けた僕は、いつ襲われるか分からない不安に神経を削られ疲れてきていた。
ひどい臭いに鼻がイかれ、鼓膜に響く水の音に頭がぼーっとしてくる。もうそろそろ引き返さないと危険だと思った僕は、角を曲がって何も無かったら帰ることにした。
道の上を回る風車の羽をくぐり角を覗く。僕はそこでやっと探しものを見つけた。
直線の道の真ん中。そこに変色した大量の血液があった。近くに見慣れた棍棒も落ちていて、僕はふらふらとそこに近付いた。道の上、壁に、肉を打ちつけたような跡があって僕はぼーっとそれらを眺める。
強い力で壁に叩きつけられたのか、血の飛び方が激しい。壁や床に脳漿らしきものがこびりついていて、僕は父を憐れに思った。こんな殺され方をするなんて、なんて酷いんだろう。
僕は父が死んだ獣を棍棒でなぶっている光景を思い出した。
死んでいるのになんでそんなに執拗に肉を叩くのかと父に問えば、叩いて肉をやわらかくした方が美味い、と父は言った。
父を殺したやつは、獣を棍棒でなぶる父と同じことをしたのだろう。父の肉は美味かったのだろうか。やわらかく、食みやすく、骨までかじって、美味しかったのだろうか。
乾いた血に塗れた棍棒を拾い上げる。持ち手が細く、重心が前に偏っている棍棒は、僕の身体では重すぎた。父の血や肉に塗れた父の形見。
ぼんやりと棍棒を眺めていた僕は、足元に何かがあるのに気付いた。
僕の足元にあったのは、骨に肉がついた、モンスター共の食べ残しだった。僕はそれも拾い上げて、節くれだった指で握りこんだ。表面が乾いた肉から血が押し出され、僕の手のひらを染める。僕の心はやりきれなさと悲しみに満ちていた。内側で暴れる感情に苦しくなって、少しでも外に出そうと震える吐息が情けない。
行き所の無い感情が憎しみに変わるのは早かった。僕は父を殺したやつを殺そうと誓った。
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