まるで監獄のようだ、と思った。俺は目の前にある鉄製の扉を見ていた。その扉には血の跡がある。誰かが引っ掻いたような跡もある。取っ手に手をかけて、開けようとしたが開かない。施錠できる穴も無いため、この扉はもう開かないのだろうと思う。
けど俺はこの扉が開くのを諦めきれなかった。いつか、いつの日か開いて、そうしてやっと生きると決意した弟と話をしようと思っていた。
その扉は開かない。監獄のような場所。白い部屋が何個も続く場所の終着点。その扉の先が俺の帰る場所で、生きる世界。
開いてくれたらいいのに。
何回も何回も取っ手に手をかけて、何時間も扉の前にいるが開かない。この扉はもう役目を終えてしまったから。
まぁ、いい。時間はある。気が遠くなるほどあるはずだから、気長に待とう。俺がここを出るまでに弟が生きていてくれたらいいけど、と考えて目を伏せた。
***
ふっと思い出す。
聖核に俺と弟が押し潰された後、俺達二人はここに来た。
異質な白い部屋。少しの家具が乱雑に置かれて、中身が無いそれらに違和感を覚えた。誰かが何か目的を持って置いたという感じではなく、ただ『ある』だけ、といった変な感覚。
床に倒れこみ気を失っている弟を起こして、ここがどこか二人で探索をすることにした。
話し合いの途中、俺は弟と目を合わせることができなかった。何年もまともに話をしていなかったので何を話したらいいか分からず、俺は気まずさにさっさと部屋から出て行く。
そんな俺に弟は何か言いたそうだったが、無視した。
フラッシュバックする。
この監獄を調べて、俺と弟は絶望した。
ここから出られるのは一人だけだったので、俺は弟の首を絞めた。
生きたかったから、弟に死んでもらうことにした。
俺は言った。「今度は俺が生きる番だ」と。
俺も弟も、この十年間確かに死んでいた。弟が生きる決意をして嬉しかったけど、同時に俺は妬ましかったんだろう。
生きたい、生きている、俺は生きている。そう思っていたはずなのに、生きることを決めた弟を見てそれは嘘だったんだと気付いた。
俺も死者だった。生きる者を呪う怨霊だ。だから弟の首を絞めた。
めまいがする。
弟は、生きたいと言った俺を見て諦めたような顔をした。ただ首を絞められて、生きることを手放した。俺はそれに感謝した。
それでいい。それでいい。笑って、手に力を込めた。
***
頭を抱える。頭の中を突如駆け巡った映像に胸糞悪くなる。
俺が弟の首を絞めるだなんて、そんなことをするはずがない。
俺は弟が大事だ。弟さえいればそれでいい。弟さえいればいいだなんて、自分でも妄執染みていると思うが、俺は片割れさえ幸せだったらいいのだ。
誰かを大切に思うのは、楽だ。自分の気持ちを他人に預けるのは、一つのことだけを考えるのは、分かりやすくて簡単だから。
一番身近にいた、一緒にいる機会が多かった弟がその役目を負わされただけだ。
扉から離れて俺は監獄をまた調べることにした。
もしかしたら何か見落としがあるかもしれない。この扉を開く手立てがあるかもしれない。無いとは分かっているが、それでも諦めきれない。
弟に会いたい。会って、話をしたい。十年の埋め合わせをして、またもう一度やりなおしたい。
鉄製の扉と反対方向にある白い扉に手をかけて開く。その向こうにはまた白い部屋があった。置いてある物は違うが、この場所は基本的に同じ造りの部屋が何個もつながり、何個も分かれている。
読めない文字が書かれた本が乱雑に散らばった白い部屋には、俺が通ってきた扉を合わせて四つの扉がある。真正面に一つ。左右に二つ。正方形の部屋で、とても分かりやすい造りだ。
落ちてある本を拾う。一ページずつ開いて文字を追うが、やはり読めない。
変な文字だ。やわらかい単純な文字、角ばった単純な文字、一つの文字のはずだがやたらと線が重なりあってる文字、少なくとも二つの言語が使われている。
やわらかい文字は角ばった文字と似ている。本当にそうかは分からないが、この二つは一つの言語としてまとめてもいいだろう。この形はパターンがある。これだけなら俺でも解読はできるだろう。
問題は線の多い文字だ。これはパターンがほとんど無い。似ているな、と思える物は多いが同じ文字ではないだろうと思える物が多すぎる。この文字さえなければ良かったのに。
憎々しく思いながら本を閉じる。
フラッシュバックする。
横に弟がいて、俺が開いた本を覗き込んでうんざりした顔をする。
「何この文字。読めねぇわ」と声が聞こえた。それに俺も同感だと頷いて、本を置いた。そして次の部屋へ。
本を床に置く。目頭を軽く揉んで俺は歩き出した。
適当に扉を開いて次の部屋へ行く。今度の白い部屋はソファだとか椅子だとか、机に水差し、どこか見たことのある物が置いてあるところだった。
ここは何回も調べた。次に行こう。適当に扉を開いていって、閉めて、探索する。どこかにあの扉を開く鍵とかないものだろうか? あぁ、でも鍵穴が無かったな。
生き物がいない、こんなに変な空間なんだから、今まで無かった鍵穴が突然出現してもいいだろうに。そうだ、そんなこともあるかもしれない。
俺は踵を返して鉄製の扉の元へと行った。だがそこに変化はない。誰かが掻き毟った跡と血の跡だけを刻んだ扉があるだけ。
ため息を吐く。いつになったらここから出られるのか。
まぁ、いい。時間はある。無限に。好きなだけ調べられるから、その間に何か見つかるだろう。
そう思って調べ続けて、何も成果を得られず、疲れた俺は鉄製の扉に背を預けて座り込んだ。
シミ一つない白い天井を見上げて考える。俺はこの十年間何をしてきたのか。どうしてもっと必死になってアレクセイ様を止めなかったのか。レイヴンともっと話し合わなかったのか。
諦めていたのだろう。どうせ何も変わりはしないと。アレクセイ様もレイヴンも、俺の言葉に耳を貸しはしないと。周りをよく見ていたつもりだったが、それもきっと勘違いだ。俺は何も見ていなかった。弟と同じだった。
皮肉だ。口の端をわずかに歪めて笑った。面白くないな。
目を閉じる。少し寝よう。起きたらまた調べて、ここから出る方法を探そう。次に目を開けたとき、目の前に俺の生きた世界があることを願って、息を吐いた。
***
どうでもいいことだと思っていたが、それは考えることを放棄しただけだ。
本当は何一つどうでもいいことなんて無い。全てに意味がある。ただ取捨選択するだけだ。
俺は弟を無視して歩き始めた。弟が何か言いたそうにしていたが、どうでもいいことだ。
部屋を一つ一つ調べて、全て同じ造りだということが分かった。ただ一つ、俺と弟が目を覚ました場所だけが少し違っていた。鉄製の扉の存在だ。
俺はそれが重要なことだと思い、元の場所に戻る。バツの悪そうな顔をした弟がそこにいて、俺は息を詰めた。
「シュヴァーン、何か収穫あった?」
「全部同じ造りの部屋が続いているのは分かった。ただ、外に出られるところはなかったな。そっちはどうだ?」
「右に同じ〜」
そうか、と呟いて鉄製の扉に目を向ける。もしかしたらそこが外なのかもしれない。
レイヴンもそう思ったのか扉に手をかけて開こうとした。カチャッと音を立ててそこは開いた。
二人で扉の先を見ると、真っ黒な空間がそこにあり、俺と弟は同時に顔を見合わせた。
「なにこれ」
「分からん」
真っ暗な空間はまるで波打っているようで、薄気味悪くなった俺は弟が握っている取っ手を奪って閉める。とりあえず、他のところを探そうか。
早く戻らないと。アレクセイ様がどうなったのかも気になる。この場所はどういうところなのか少し考え込んで、こちらを見るレイヴンに気付いてそちらを見た。
「どうした」
「シュヴァーン。俺様達、多分死んだよなぁ?」
「……今俺の前にいるお前は生きている」
「いやそうなんだけどね。ここ、絶対おかしいって。生き物がいる気配がまったくしない。変だわ」
「口を動かす前に足を動かせ。ここから出るために辺りを調べるぞ」
「あぁ〜もう、大将かっつーの。シュヴァーン、絶対大将の影響受けてるって。かったくるしーでやんのー」
「ならお前はドン・ホワイトホースに似たんだろうな」
「うえっ。俺様あんな豪快なじいさんになりたくねぇわ」
やだやだ、と本当に嫌そうにする弟に苦笑する。
弟は驚いた顔をして、そして同じように笑った。なんだか、妙な感じだ。俺達は十年間まともに話をしなかったが、それでも今普通に喋れている。
ここを調べるついでに、弟と話をするのもいいかもしれない。俺は少しだけこの場所に感謝した。
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