※ルト姫好き注意 ルト姫好きは読まないでください




 不可解な消え方をした男に呆然としつつも、リンクはすぐさま思考を切り替えて平原を見渡した。城下町とは違い、こちらは変化がないように見える。そのことに胸を撫で下ろし、歩き始めた。
 どこに行くかは決めていない。ただ、ここから離れたかった。

 エポナに乗らず、自分の足で平原を歩くのは久しぶりだった。馬上から見る景色と自分の目線で見る景色は違う。初めて七年後の世界に来た時のことを思い出して、懐かしい気分になった。
 こんな変な状況じゃなければもっと楽しんでいたのだが、今のリンクにはそこまでの余裕はない。ここは現実なのか幻影なのか。十中八九幻影の中だろうと決め付けているリンクは、現実世界へ戻るための手がかりを探していた。
 どこか、現実世界と違ったところを探した方がいいかもしれない。
 ハイラル城下町はまさにそれだが、他にもある可能性がある。

 そう思い歩き続けて、リンクはロンロン牧場に辿り着いた。
 ロンロン牧場の入り口に足を踏み入れたリンクは、牧場内が異様な静けさに包まれていることに気付き、嫌な予感に辺りを注意深く観察した。
 今のリンクは剣や盾はおろか、道具さえ一つとして持っていない。何が起きてもすぐ逃げられるように、慎重に歩を進めた。
 タロン達が寝泊りしている家の扉の前に立ち、ノックする。返事はない。

「マロン……タロンさんも、いないのかな……」

 もう一度確認するようにノックをするが、先ほどと同じく返事はない。
 リンクは「失礼します」と一言断って扉を開いた。
 そして、牧場内に異様な静けさが漂っている理由が分かった。
 いつもなら家の中ににわとり数十匹がうるさいほど鳴いているのだが、扉の向こうには何もいない。扉を開けた先でいつも居眠りしているタロンすらいない。
 家の中は特別荒らされた形跡もなく、生き物だけが消えた、といった様子だった。

 リンクは無言で家の中に入る。天井に何かいないか確認し、家具の下、すきまなどを注意深く観察する。
 何かいるかもしれないと思ったが、それは杞憂だった。
 何もいない。誰もいない。
 生き物がいないだけでここまで寒々しく感じるものなのか。本来なら暖かいはずのロンロン牧場が、彼らのおかげだったことに気付いてリンクは屋外に出た。
 もう少し探索してみようと、馬が放牧されているはずの場所に行く。木の柵があるそこは当然のように何もいなかった。
 自分と一緒に旅をしているエポナもいない。ここで生まれ育ったエポナが、自分がいないことでここに戻ってきているかもしれないという期待は砕かれた。
 馬が放牧される広場の唯一の出入り口から広場をぐるりと見回す。
 何か変わったところはないかと探していると、リンクはそれを見つけた。

 リンクの記憶には無い、並んで横倒しになっている赤と緑の土管。
 岩壁に埋もれるその二つの土管にリンクは近付いた。中を覗いてみるも、どちらも真っ暗で先に何があるか見えない。途中で土に埋もれているのか、とも思ったが、二つの土管から微かに風が流れてきているので塞がっているわけではないだろう。
 リンクは考えた。普通に考えてみれば、岩壁に突き刺さった土管の向こう側は崖だ。ロンロン牧場は高台の上にある。馬を放牧する広場から土管を通れば、崖に繋がっているはずだ。

 だけど、とリンクはあの薄気味悪い男のことを思い出した。
 あれはダークリンクだろう。チェシャ猫だなんてふざけたことを言っていたが、おそらくそうだ。ダークリンクがいたハイラル城下町は、七年後の世界とは思えない程綺麗だった。あそこは崩壊した建物郡の間をリーデット達が徘徊していたはずなのに、それを微塵も感じさせない。
 その二つのことがあって、リンクはここが幻影の世界だと確信していた。
 幻影世界の中なら、現実世界では起こりえないことも起こるかもしれない。まったくの予想だったが、リンクはこの世界で現実の常識に囚われてはいけないのではないかと考えていた。

 リンクは思考の淵から顔を上げた。
 目の前には緑色の土管と赤色の土管がある。どちらに入るか、とリンクは再度土管の中を確認した。現実世界とは違う物は徹底的に調べないといけない。それがもしかしたら現実世界にへと戻る手がかりなのかもしれないから。
 顔を上げて、リンクは考えた。適当にどちらかを決めて入るしかないか。ではどちらに入ろう?
 緑色と赤色を見比べる。赤色は色的にあまり良いイメージがない。赤は身近にある命の色のイメージが強く、少し遠慮したかった。
 緑色は慣れ親しんだ色なのであまり抵抗は無い。自分が暮らしていた森の色。自分が纏う服の色。見るだけで安心する色だった。
 なら、入るのは緑色だな。すぐに決まった思考に、リンクは「よしっ」と自分に気合を入れるため声を出した。
 見える先が真っ暗だと怖いものだ。どこに繋がっているのか分からない。もしかしたら現実世界の常識に則って、崖かもしれない。それなら安心できるのだが。

 リンクは身を屈め、土管の中に入って行った。中腰になって進める程の大きさだ。
 どんどんと歩を進め、先に何があるか分からない恐怖に心を蝕まれながらも歩みを止めなかった。不思議なことに、土管の中は真っ暗であるにも関わらず視界は悪くない。リンクは後ろを振り返った。入り口部分から入る光が随分と遠くに見える。
 あの光が視界を手助けているとも思えない。自身が光源を持っているわけでもない。不可解に思いながらもリンクは進んだ。
 土管内は幅を狭め、今まで中腰で進めていたのに今は這いずるようにしないと無理だった。閉塞感に気が狂いそうになる。出口はまだ見えない。両側、上下の圧迫感に息が苦しくなってきた。額に汗が伝う。このまま進み続け、もし出口が無かったら?
 まるで自ら死地に赴いているような滲む恐怖を抑え付けて、それでも進んだ。

「……っ」

 体感時間的に大分進んでいるはずなのだが、まだ向こう側につかない。
 ロンロン牧場から崖までは、もう到達しているはずだ。なのにまだ着いていないとなると、やはりこの土管はどこか捻じ曲がった存在なのだろう。
 自分の周りしか見えない視界。ずりずりと自分を引きずる音しか無い空間で、リンクは唐突に酷い不安感に襲われた。
 ずりずりと引きずる音は自分が進んでいる音ではなく、誰かに引きずられている音なんじゃないか? ――いや、それは無い。だってそれの証明に腕が酷く重い。腕でほぼ全体重を担って進んでいるため、当たり前だろう。
 腕を止めて、それと同時に鳴り止む音に息を吐く。しばらくの間休憩を挟んで、リンクは腕を動かした。

 不安感、圧迫感と戦いながら進み続け、そしてようやく光が見えた。そのことにリンクは喜んだ。最後の頑張りだ、と腕に力を込める。赤の混じった外の光を見つめて、それを目指した。出口に近付くにつれ周りの圧迫感が無くなっていく。土管内が広くなってきていた。進む速度も上がり、とうとう入り口部分と同じように中腰で進める程の大きさになった。
 リンクは出口に駆け寄り、そして外に出た。

 喜び勇んで出た視界に、赤い赤い海が広がっていた。

「え……?」

 非現実的な世界だった。砂浜に押し寄せる赤色の波。ザザァ、ザザァと波の音をさせる海は、色を除けば普通の海だった。いや、海以外にも変なところがある。それは、赤い空だった。赤い海に赤い空。リンクはそれらを呆然と眺めたあと、ふつふつと込み上げてくる怒りに歯軋りした。
 悪趣味だ。この幻影世界を作った奴は酷く悪趣味な奴だ。
 馬鹿にされている気分だった。こんなのに自分が屈すると思っているのか。リンクは久しぶりに感じる怒りに胸が苦しくなって、服の上から胸を掻き毟った。
 そんな自分の行動に疑問を抱く。どうして僕はこんなに苛立っているのか。こんな焦燥感を抱いているのか。いつもとは違う自分の感情の動きに戸惑った。

「アリス、……か?」

 横から聞こえてきた声に驚いて勢いよくそちらを見た。
 赤い海と砂浜に不釣合いな青色。七年後の姿をしたルト姫が口元を覆い、信じられないといった風にリンクを見ていた。
 大きく開かれた目からは、今にも涙が零れ落ちそうだった。何かを恐れるように、嬉しさに喘ぐように、ルト姫は震える声で細く問いかける。

「アリス……、帰って来てくれたゾラ……?」
「ルト姫? い、いや、僕はアリスじゃない。リンクだよ」
「リンク? それは今のそちの名前ゾラか? ならわらわもそう呼ぶゾラ」
「今のって……僕はずっとこの名前で」
「あぁ! わらわ達のリンク! リンクは酷い男ゾラ! わらわとリンクは夫婦の契りを交わしたというのに、そなたというものはわらわを放っておいてどこぞに遊び呆けておった? ずって待っておったのじゃぞ!」
「い、いや……」
「なんゾラ! その歯切れの悪い返答は! わらわがどれだけ心配したか、知らぬであろう!? 待っている間ずっと寂しい思いを……、し、しておらん! わらわはリンクの心配なぞしておらんゾラ! 薄情者の心配なぞ、これっぽっちも……っ!!」

 今までの思いが決壊したのか、ボロボロと大粒の涙を流すルト姫にリンクは慌てた。
 突き動かされるようにルト姫に駆け寄り、顔を覆って泣くルト姫の肩を抱く。彼女はリンクの胸に顔を押し付け、さめざめと泣いた。今にも大声で泣き叫びそうだったが、それは彼女の品格が許さないのか声を押し殺す。大きく揺れる肩に手を置いて、リンクは意味の分からなさに混乱していた。
 いつも気丈なルト姫が泣いているところなど初めて見た。リンクはなんて言葉をかけていいか分からずに押し黙った。

「アリス……、アリス……! もう、わらわ達を置いていくなゾラ……! こんな気持ち、もう二度と味わいたくない……! アリス、アリス……」
「…………ルト姫」
「アリスは嘘吐きじゃ。わらわはアリスのことなぞ、もう信用せん!」
「…………」
「困るであろう? そうであろう? な、ならば、約束をするゾラ! 今度こそ約束を破らないと約束をして、そしてもう一つ約束をするゾラ!」
「る、ルト姫……」
「や、約束できないゾラか!? またわらわ達を置いていって、知らぬ顔をするのか……? この、薄情者め、薄情者、アリスのアホ……っ!」
「な、泣かないでくださいルト姫。謝ります、置いていかないから、約束しますからもう泣かないで……。ルト姫が泣くと、僕の心が痛いです……」

 苦しそうに言うリンクに、ルト姫はようやく顔を上げた。涙の筋がいくつも彼女の顔にあり、ひっくと嗚咽をあげながらリンクの言葉を信じていいものかと疑わしそうにしている。

「そちの言葉は、まことゾラか?」
「う、うん」
「わらわは、信じるぞ」
「うん」
「わらわ達のアリスは嘘吐きゾラ。……その嘘吐きは、あいつらのせいゾラ。許さない、許さない。わらわ達が、……いや、わらわがアリスを守るゾラ」
「ルト姫?」
「アリスは安心してわらわと一緒にいるゾラ。渡さない。あの猫になんかに、アリスを……」
「ね、猫!?」

 その単語にリンクは仰け反る。最近聞いた猫という言葉に、あの怪しい男しか思い浮かばなかった。ルト姫はそんなリンクの反応に、いたずらが成功したことに喜ぶ子供のように、悪どくかわいらしく笑った。

「アリスは猫が嫌いなのじゃな」
「猫自体は好きだけど……その、最近変な男が……」
「アリス、そやつを信じてはいけないゾラよ」
「信じるも何も、あんな怪しい奴やだよ」
「……ふふっ。……あの猫もいい気味じゃ。アリスに嫌われてそのまま死んでしまえば良いのにな?」
「えっ?」

 呆然とルト姫を見る。リンクは今の言葉が聞き間違いなのではないかと思った。
 ルト姫が、誰かに対して死ねばいいという言葉を吐いたのが信じられなかった。彼女は呆然とするリンクの目の前で子供のように笑っていた。リンクの目をじっと見つめ、心の底からそう思っているように、言葉を吐いた。

「そうじゃ。アリスも猫が嫌いなのであろう? ならあの赤い海に沈めてやろう。猫は赤い海を歩けるが、沈むといかに猫であろうと浮かんではこれん。どうじゃ? いい考えであろう?」
「…………」
「あの猫、図々しいゾラ。わらわとアリスの仲を引き裂いて、笑ってアリスを奪おうとしておる。猫を信じてはいけないゾラ。あやつはアリスを食べる。アリスの肉は美味いからと、食べようとしているゾラ。……アリスを食べるのはわらわゾラよ」
「…………えっ?」
「そうじゃ! そうじゃ! アリス! わらわは夫婦ゾラ! アリスはもう約束を破らないと誓ったな? もう一度誓え! さぁアリス! わらわを食べてたもう! わらわもアリスを食べるゾラ! そうすればいつまでも一緒ゾラ。それでもうアリスは嘘を吐かなくていいゾラ! なんていい考え! アリス! アリス! わらわのアリス! さぁ!」

 リンクの両腕を掴み、恍惚の笑みで迫るルト姫をリンクは思わず振り払った。
 片腕の拘束は逃れたが、もう片方はいまだに掴まれたままだ。振り払われたルト姫は、信じられないといった顔をしたあと、……表情が抜け落ちた。
 無感動にリンクを見る目に、リンクの身体に怖気が走った。それは、ルト姫の姿かたちを借りた何かが正体を現したのかと思う程、ルト姫とかけ離れていた。姿はそのまま、彼女は勢いよくリンクに身を寄せた。鼻と鼻がくっつきそうな距離で、彼女の無感動な、血のような真っ赤な目がリンクの目を覗き込んで、言った。

「わらわを食え」

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