沈黙が落ち、妙な空気が流れる。椅子に腰掛け、ぐずぐずと鼻をすする五虎退を慰める。燭台切は何やら落ち着かなそうにしていた。声をかけるかそのままにしておくか迷っていると、鼻頭を真っ赤にした五虎退が顔をあげた。
「蜻蛉切……さん」
「なんだ」
「僕、僕もいつか目を覚まさなく 、なるんでしょうか。僕はそれが、いつも怖いんです……」
「……」
「目を覚ますたびに、いつも蜻蛉切さんがいて安心するんです。みんな、起きてる時間が少なくなって、寂しくて、不安で……。でも、蜻蛉切さんがいるから、あぁよかったって思えます」
「そうか」
「だから、だから……ぼ、僕を、おいていかないで、くださ、……い……」
懇願。暗く沈んだ着物を小さな手が逃さぬとばかりに握りこんでいる。切実な願いを拒む理由も無い。間髪入れずにあぁと頷き、少し考えて悪かったと言葉を添えた。五虎退はほっとしたような、だがまだ疑わしげに私を見る。当然だろう。何度もあの部屋にこの子を残していったのだから。
「えぇと、蜻蛉切くん」
燭台切が控えめに声を発した。私はそちらに顔を向ける。
「その、声をかけても部屋の皆が起きなかったから引き上げたんだ。……そうだね、短刀たちが目を覚ましているところは、僕はあまり見たことが無い。今起きてるのは五虎退くんと乱くんぐらいじゃないかな」
「みだれ」
「そう。遠征部隊で出てるんだけど、……そういえば蜻蛉切くん。他の刀たちのことは覚えてる?」
「いや、知らない」
「そう……」
それじゃああの部屋にいる皆のことも知らないんだね、と燭台切が言った。私はそれに素直に頷く。五虎退が不思議そうに首を傾げて、次いで苦痛を伴う表情になった。
「と、蜻蛉切、さん……。どういうこと、ですか……。僕のこと、忘れちゃった……ふぇ」
五虎退の目に涙の膜が張り、私は無言で白い子の後頭部を手でそっと引き寄せた。衣服の胸の部分に顔を押し付け抱き直す。いきなりのことに戸惑いがみられたが、しばらくするともぞもぞと座りの良い位置を探し五虎退の腕がそろりと私の背にまわった。自ら強く抱きつき、私は白い子の背を袖丈で隠した。
「蜻蛉切くん、一応あの部屋にいる刀たちの銘、教えておいた方がいいよね」
「あぁ、頼む」
燭台切は調理台に頬杖をつき、遠くを見るように目を細めた。
「あそこにいるのは歌仙くんと同田貫くん、鯰尾くんに前田くん、愛染くん、今剣くん、薬研くん、厚くんに秋田くん、蛍丸くんに、……折れた太郎太刀さんもいるかな」
「折れて?」
「そう。まぁ彼は御神刀だから、穢れていないとはいえこの場所には永く居られなかったんだろうね。短刀たちの下にあるよ。彼は短刀たちの不安を取り除きたかったみたいだし、今でもその役割を果たそうとしてるんじゃないかな。勝手な想像だけどね」
「そうか」
「あぁそうだ。遠征部隊の方も言っておこうか。第二部隊長は青江くん、以下乱くんに骨喰くん。第三部隊長は次郎太刀さん、以下御手杵くん、加州くん、大和守くんってところかな」
「覚えきれないな」
「だろうね。特徴も教えておくよ」
そう言って燭台切は一振りずつ特徴を述べていく。聞いている限り、自由奔放に色が散りばめられているみたいだ。あの部屋にいた者の名前と姿を思い浮かべつつ、口中で何度も復唱する。
私の様子に、燭台切はふっと笑った。笑い慣れていないぎこちなさがある。
「無理して覚えなくてもいいよ。こういうのはいつか自然と身につくものだし」
「名を覚えるのは苦手だ。もう忘れてしまった」
「んん? それは困るなぁ、僕の銘は?」
「燭台切、か?」
「うん、そうだよ。それじゃあ君が抱きかかえてる短刀は?」
「五虎退」
「十分じゃないか。今はそれぐらいでいい。君なら彼らも邪険に扱わないだろうし、どうせすぐ覚えるよ」
柔らかく笑む燭台切の言葉は、優しく包み込まれた自虐と非難が伺える。
言外に、嫌われている自分とは違って私は他の者と関わることができるのだから、と言いたいのだろう。それが無意識か意識してかは分からないが、この男はなんとも物悲しい。ふと疑問に思う。燭台切は私以外の者と話をすることはあるのだろうか。
「燭台切、訊きたいのだが」
「ん、なにかな?」
「私以外に話す者はいるのか」
「……あ、あのね、君。ホントなんていうか、図々し、いや、あの、あぁもう!!」
「いないのか」
「い、いたけど!! 今はいない!! ちょっと今の僕、かっこ悪すぎやしないか!? あぁ〜、悪かったね僕はどうせ嫌われてるし話相手なんていない寂しい刀だよなんで僕にこんなことを言わせるのかなぁ!!」
「……悪かった」
どうやら燭台切の触れてはいけない部分に触れてしまったようだ。羞恥に顔を歪め、憎々しげに睨まれる。図星を指摘した私への憎しみより恥ずかしさが勝っているのか、燭台切はあぁとかうぅとか唸りながら調理台に突っ伏した。
「僕だって嫌われたくて嫌われてるんじゃないんだからさぁ。僕だって、僕だって皆と話をしたいよこんな陰気なところに好んで孤立なんてしたいわけないじゃないか……」
「燭台切」
「なにっ!?」
燭台切は突っ伏したまま語気荒く返答する。失礼な言い方をした私の言葉など無視すればいいだろうに、律儀なことだと思う。
「燭台切」
「だから、なにっ!?」
「私はあまりここのことを、何より基本的なことを知らない。これからも色々と教えてくれると助かる。話相手になってくれ」
「……それは、僕への憐れみか」
「どうだろう。だが、あなたと話をしていて愉快だと思う」
「笑いものというわけか」
「それは違うと言い切れる。私は言葉の扱いが不得手なのだろうな。悪意で物を言っているわけじゃないことは理解して欲しい」
「……はぁ」
ごろりと燭台切の頭が横を向く。上目遣いに私を見、もう一度ため息を吐く。
「さっきのは純粋な疑問だった、というわけか」
「そうだな」
「あぁそう」
燭台切は考え込み、今度は長い息を吐いた。疲れからくるものだろうか。のそりと身体を起こし、先ほどの頬杖をついた体勢に戻る。非難の目が激しい。
「いいよ別に。僕なんかでよければいつでもどうぞ。でもどうせ他の刀たちと話しているうちに、僕よりもそっちの方がいいと思うだろうけどね」
「そうか。これからもよろしく頼む」
「君、君さぁ……。いや、もう、いいか。どうでも……」
長ーい長ーい息を吐く燭台切。
卑屈な物言いだが、思ったよりも性根は暗くないようだ。私の失礼な言葉を許す素振りを見せ、今は呆れたといった顔をしている。
彼は嫌われているらしいが、何故他の者は彼のことをちゃんと見ないのだろうか。他の燭台切が何かやらかしたらしいが、そのことを知らない私は彼を嫌う理由が無い。他の燭台切がしたことを聞いてしまえば、私も彼を嫌うことになるのだろうか。それは嫌だな、と感情が物を言った。停滞していたものが少し動いたような、奇妙な感覚がしたような気がした。
それに、と思う。このよく分からない状況下、友好的に話をしてくれる燭台切とは仲良くしておきたい。打算もあるが、なにより彼を放っておくのは心情的に無理だった。どうしても気になってしまう。久しぶりに感じるような、奇妙な感覚だった。私は、私にも人の心は残っていたのか。妙だ妙だ、と意識が違和感を訴える。
大人しい五虎退の背をゆっくりと撫でていると、遠くで門が動く音が聞こえた。