僕が人の形として顕現した時、傍にいたのは倶利ちゃんだった。審神者らしき男が僕を冷めた目で見ていて、「……これでいいか」と倶利ちゃんに吐き捨てた。倶利ちゃんはゆっくりと頷くと、僕の前に立って「光忠」と、なんとも言えない顔で名前を呼んだ。
「……すまない」
倶利ちゃんからこぼれたその言葉が、そのまま僕の記憶に刻まれている。
***
駄目になってしまった膳を洗いながら、僕はさっきまでのことを掘り起こしていた。この本丸の中で錬度が高く、怪我もあまりない蜻蛉切のこと。彼は、どこか諦めている本丸の刀達の中で唯一強い目を持っていた。
彼が大事にする五虎退くんは、彼の前で何度も折れている。何度も、何度も。折れるたびに審神者が五虎退くんを顕現し、その回数だけ何度も何度も。今、彼の傍にいるのは折れ曲がった短刀だ。自ら歩くことのできない出来損ない。……そう吐き捨てたのはあの審神者だ。
それでも蜻蛉切くんは、あの強い目を失うことはなかったというのに、……どうして今更。
「……どうして今更、だなんて、……ひどい言い草だよね」
当たり前だろう。心が折れるのは時間の問題だったんだ。現に僕だって、今折れようとしている。自らの手で刀を折ろうとする心を抑えて食器を洗う。
「光忠、その皿割れているぞ」
「え? あ、本当だ。ありがとう、倶利ちゃん」
「……考え事をするな」
「でも」
「考えても仕方がない」
「…………うん」
そうだ、倶利ちゃんの言うとおりだ。
僕は他のことを考えることにした。僕が顕現した時のことを。
前の僕は倶利ちゃんと長谷部くんと仲が良かったらしく、顕現した初日から僕に対して過保護なところがあった。いたるところに怪我をこしらえ、それでもなんでもない風にしていた長谷部くんは、錬度の低い僕に対して「強くなれ」と言い、肉の身体に慣れていない僕に刀の扱い方を教えてくれた。
倶利ちゃんは、僕が知っている本来の彼とは違い、僕のことをよく気にかけてくれた。その倶利ちゃんも怪我が多く、腕の龍が見えなくなるほど包帯を巻いていた。倶利ちゃんは隠そうとしていたが、その腕は動かすことができない。
人目も忍ばず床に転がっていた倶利ちゃんの寝込み時に、その腕に触れるとひどく冷たかったのを覚えている。
「食材はあるのか」
「長谷部くん? それが……」
「ないのか」
「……畑から取れる分が少し、かな」
「畑当番は誰だ?」
「僕だよ」
「もう一人は」
「……きみ?」
「馬鹿なことを言うな。俺の手は貸せない」
長谷部くんはそう言って自嘲した。
数の少ない食器を洗い終わり、遠征に出かけた人たちのことを考える。
彼らは諦めきれないのだ。親しい人をまた顕現してくれるかもしれないと諦めきれず、仲間を手入れしてくれるかもしれないと願って。
それに、……僕は。
「諦め、られないんだよね……」
僕の部屋に隠すように保管されていた、穏やかな審神者の顔を写した写真。一度だけ見たことのある険しい顔とは違う、今の僕は見たことのない表情。
何が彼を変えたのかは分からない。
元に戻ってほしいと、困ったような顔をして笑っている男の顔をこの目で見てみたいと、……僕は強く願ってしまった。
「何を言っている、光忠。あいつは」
「俺たちは主の命によって折られていった」
「…………」
「前のお前が、無理な出陣で折れて帰ってきた時の俺たちの気持ちが分からないか」
「……主命が第一だ。だが、あの審神者は主じゃない」
「……やめてくれ」
「何度目だ? 何度、お前を失えばいい?」
「主の器ではない男が、俺たちを扱っていいとでも? 笑わせる」
聞きたくない。それは二人の言葉じゃない。
僕は二人の方を振り返った。そこには誰もいなかった。
……あの二人は、折れてしまった。もうどこにもいない。