お昼休みが終わって午後の授業の時間帯。私はサボることにした。
エステルによって強制的に授業を受けるハメになったユーリを生贄に教室を後にした私は、本来なら五時限目の静かな廊下を歩いていた。
授業のある教室をできるだけ避けてのルートだが、もし先生に見つかっても保健室に行くと言えば大抵見逃してくれる。誰かに見つかるということがそれほど重要なことではなく、気負うことなく無駄に広い校内を練り歩いた。
開いてる廊下の窓から涼しげな風が滑り込んでくる。夏の暑さを残した日差しが差し込み、私は暑さと寒さを同時に感じるというこの時期独特の気候に腕をさすった。動きやすいようにと履いてきたキュロットから伸びる脚が寒い。
窓の外を見るとグラウンドに体操服に身を包む生徒達が集まっていた。お昼ご飯の後の体育とは、ご苦労様である。
明星学園は一学年にワンフロアを使っており、私は二年生の階である三階から、意味もなく歩いてどんどんと下の階に下りていった。上履きのぺたぺたという音だけが響く。特に目的もなく歩く私は、何か面白いものは無いかと首を巡らせた。一つの教室を通り過ぎようとした時、扉が音を立てて開いた。
「おっ?」
「あー……? あっ、レイヴンせんせーだ」
扉の開けた人間は物理教師のレイヴン先生だった。手入れをまったくしてないであろうボサボサの髪を後ろで引っ詰め、無精ヒゲを生やした顔は、その人のだらしなさを語っていた。派手な色の服の上から白衣を羽織り、かろうじて教諭としての貫禄を保っているような、そんな人だ。
レイヴン先生はため息を吐いて自分の首の後ろに手を這わした。
「なぁに、サボり?」
「そー……いえいえ、体調が悪いので保健室に向かおうと思ってたところなんですよ」
「今保健室にキュモールがいるけど」
「あー、ははは、まぁちょっと保健室は止めて他に休めるところで休みます」
「そんな見え透いた嘘を見逃す俺様だと思って?」
「あ、はい」
「わー、妙な信頼感得てるー」
「信頼感というよりもレイヴン先生なら見逃すだろうという確信です」
「信用されたものねぇ〜」
「信用というよりもめんどくさいから見逃すだろうという確信です」
「言うねぇ、アルタリ君?」
レイヴン先生が首の後ろを掻いて思案するように右斜め上に視線を流す。このままその場に立ち尽くすのも面倒なので、私は片手をあげて「じゃ」と軽く挨拶をして廊下を歩き出した。「え、ちょっと!?」とレイヴン先生が私を追いかけて横に並んだ。
「なんですかレイヴン先生」
「よく校舎内歩いてるの見るけど、出席日数計算ちゃんとしてる?」
「それはもうバッチリですよ」
「なんでか、そうやって堂々とサボる子ってそこらへん抜け目ねぇわよねぇ。青年は違うみたいだけど」
「青年ってユーリのことですか? あれはフレンタイマーっていう便利機能がありますからねぇ」
「フレンタイマーって……あぁでもそうだねぇ、そんな感じだわな」
静かな廊下に私と先生の声だけが響く。レイヴン先生の履くスリッパの音が反響し、酷く耳に障った。
「学園から出て遊びにでも行くの?」
「いや、それは今から決めようかなーっと」
「俺の若い頃はよく街に繰り出して遊んだものだけどね」
「授業をサボって、女の人と一緒に、ですよね」
「あっ、わーかーるー? 先生のイケメンオーラがそれを分からせちまうのね……。あぁ、なんて罪なんだ、俺は……」
「はいはい」
「そんな冷たい反応されちゃ先生泣いちゃうっ! もーちょっとこう、ノッてくれないと」
「んー……そんな元気ないです」
「そっかぁー」
苦笑するレイヴン先生。意味もなく廊下を歩いている私は、階段を上がって上に行くことにした。変わらず横をついて歩く先生に顔を向ける。頭の後ろで手を組んでるレイヴン先生と目が合って、疑問に首を傾げた。
「ところでレイヴン先生、どこまでついてくるんですか?」
「あれ、先生邪魔だったりする?」
「別に。話し相手にはなります」
「そー。ならいいじゃないのー」
「いいですけど、レイヴン先生授業はどうしたんですか?」
「フリーだから暇でね」
「へぇ」
気の無い返事をして、それから沈黙が続く。ゆっくりと歩を進める中、私の頭の中では色々な考えが渦巻いていた。レイヴン先生はサボり仲間であるダミュロンと似てるな、当たり前か兄弟だもんな、とぼんやり考えたり、そういえば最近ダミュロンの付き合い悪いな、とかどうでもいいことを見上げた秋空に溶かす。
「レイヴン先生、ここまで引っ付いてくるなら一言ぐらい「授業に出なさい」とか言ってみたらどうですか」
「え〜」
「え〜じゃないですよ。仮にもこの学校の教師でしょう」
「こんな広い学校だとね、お嬢ちゃんみたいなサボリ魔がいっぱいいるのよ。みーんな他の教師に口酸っぱく言われてるんだし、たまには俺みたいなのがいてもいいんじゃない? と先生は思うのよね」
「あー、先生の弟さんとかそーですもんね」
「ダミュダミュは最近頑張ってるぜ」
「そう、ダミュダミュ頑張ってるの」
「うむうむ。若き春の風に吹かれていてね、その子によく見られようとちゃんと授業に出てんの」
「へー、ダミュダミュそんなことになってるの」
「でも相手方にはツレがいてね、そりゃもー片思いよ」
「ほうほう、面白いことになってるんですねぇ。今度それでからかおう」
「出所は先生って言わないでね」
「もちろんですとも」
四階まで上がって屋上の階段を上がろうとしたらレイヴン先生が「そーいえば俺校長室に用があるんだったわ」と言ってあごヒゲを撫でた。数段あがった体勢で肩越しに手をあげる。「じゃあ、さようなら」「じゃーねー。風邪ひくなよー」と緩い別れの挨拶を交わして足の動きを再開した。後ろでパタパタとスリッパの音が遠ざかっていく。
屋上の扉を開くと空気の塊が待ってましたとばかりに狭い穴へと大挙した。細める視界の中、木製のベンチに腰掛ける長い髪の男性を見つけて珍しさに虚を突かれる。風の音とグラウンドの生徒達の元気な声が高く響く屋上。世の女性方がほぅと感嘆する白い髪が風に好き勝手にいじられている光景は、どこか現実離れしていた。その場所だけ切り取った白昼夢のように彼の背中は静かに存在している。非日常を体現する背をしばし眺めて、我に返った私は思考を開始する。
あれは確か、神出鬼没の年齢不詳男、デュークではありませんでしたっけ。なんでこんな時間帯にこんなところに、と疑問を抱きつつ木製のベンチへと向かった。
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