「ユーリ氏、私は大層暇である」
「あっそ。俺は忙しいから他当たれ」
昼休み。午前の授業が終わって解放感に満ち溢れたクラスメイト達が机を寄せ合って昼食をとっている。食堂に足を運んでいるクラスメイトも多く、まばらになった教室内でユーリは手元の紙束に目を通していた。
ユーリの傍には隣のクラスのエステルがにこにことしている。身体を捻って椅子の背もたれに顎を乗せ、私は後ろの二人を見ていた。窓際の席に座る二人の近くでカーテンが風で揺れ、ユーリの後頭部をふんわりと押す。紙の束がめくれ、片手でいちごオ・レを飲んでいたユーリがうっとおしそうに顔をしかめた。
「ユーリ氏が文章を必死に追いかけている姿って、いつ見ても奇妙な感じだね」
「頼まれたからな」
「めんどくさがらず人の頼みを聞くユーリか。うーん」
「お前は俺のことをなんだと思ってるんだよ」
「面倒事が嫌いなさぼり仲間」
「まぁそうなんだけどな」
「ユーリ、ダメですよ。授業はちゃんと受けないと!」
「分かった分かった。ったく、そういうのはフレンだけで十分だっつーの……」
残り少ない中身をずごごと音を鳴らして吸い上げ、空になったいちごオ・レを名残惜しげに机に置く。まるで専門用語が並んだ難しい本でも読んでいるように険しい顔をしたユーリが遅々と紙をめくった。
その紙束には物語が書かれている。エステルが書いたもので、彼女の気性を現した柔らかな文字がびっしりと埋まっている。普段本を読まないユーリからしたら大変な作業であろう。
エステル側の席に座っていた私は、その紙束に書かれた物語が気になって椅子を少し移動して首を伸ばした。私の行動にさらに眉を寄せたユーリが、私にも読みやすいように紙束を傾けてくれた。
「エステルは字が綺麗だね」
「え? そうですか?」
「うん。私は字の芯が乱れてぐちゃぐちゃだから。習字でも習ってたの?」
「はい。小さい頃ですけど、習ってましたよ」
「へー、今はしてないの」
「最近は筆の方ばっかりしています」
「そっか。そういえば習字って筆とかボールペンとか、色々あったね」
「ノールもこれを期に一緒にどうです?」
「んー……。エステルと一緒なら、まぁいいかなぁ……」
「わぁ、嬉しいです! では放課後、約束ですよ」
「え? 今日? あ〜しくった。……んー、エステルごめんだけど今日は用事があってですねぇ……」
「そうなんです? 残念です……」
「エステル、コイツはただ調子の良いこと言ってるだけだからあんま信用すんな」
「まぁ、確かにそうだね。エステル、私と約束だなんて破られるだけだから止めて置いた方がいいよ」
「ノール、自分で言うのはちょっとどうかと思います……」
「私との習字が嫌なんでしょうか……」と落ち込むエステルにきっちりと否定をしたあと、再度ユーリの手元に目を移す。彼女らしいほのぼのとした内容の物語に、つまらなさに焦点がずれる。あー、と無意味に声を出して、思い立った私は自身のショルダーバッグからお昼ご飯を引っ張り出した。午前中に食堂で買ったやきそばパンだ。パンを覆うラップを剥がして口に運ぶ。
「ユーリ、どうです?」
「あ〜……、コイツなんでこんな事してるんだ?」
「どこです? ……あっ、これはですね、街の人達のことを思っての行動です」
「こんなことするより、直接街の人間に手を貸した方がはやくねーか」
「素直な性格じゃありませんから」
「めんどくせぇなコイツ……」
度し難い、といった表情で苦しむユーリの横顔を眺めてやきそばパンを黙々と消化していく。エステルが書いてきた物語は人間の言葉を介する不思議生命体が主人公のものだ。
紙の隅っこに主人公の設定画なのか、線がいびつなかわいらしい猫のようなものが描かれている。どうせエステルが書くものだから、最終的にハッピーエンドだろう。
私としては少々、いやかなりパンチが足りないと思う。
「ねぇねぇエステル、コイツが生意気なのは今まで生きてきた中で辛酸を舐めてないからだよ。少し痛い目見せようぜ」
「だ、ダメです! あと生意気じゃなくて素直じゃないだけなんです!」
「じゃあちょっと底無し沼に足を突っ込ませて、生死の危機に陥らせてあと少しで死ぬってところで助ける、九死の一生展開を」
「もう、ダメですったら! これから人の優しさに触れて、少しずつ心を開いていくんですから!」
「そんなんじゃ刺激が足りない」
「いいんです!」
怒った時もかわいいエステルは「もー!」と眩しく怒っていた。これが女子力なのだろうか。私とは差がありすぎてこちらが「もー!」と言いたくなる眩しさである。
読み終わったのか、ユーリが紙束から顔を上げてエステルに返した。「どうでした?」と期待に満ちた目で見るエステルに、ユーリは紛らわすようにいちごオ・レを手にとってストローに口をつけた。残念、それは先ほど空になったよ。
「ん、まぁまぁだな」
「まぁまぁってなんですか〜。ちゃんとした感想を聞かせてください」
「んー、強いていうなら、……意味わかんなかったな」
「う……そうですか……」
目に見えて落ち込むエステル。ずごずごとうるさい音を鳴らしているユーリが頭を掻いた。困ってるな、と横目に確認をして私はエステルから紙の束を拝借した。ほぼナナメ読みで目を通し、次々とページをめくる。読了して口を開いた。
「ふわっとしてるかもね。もーちょっと言葉を足すのもいいかもしれないよ」
「言葉を足す、ですか?」
「うん。たとえば街にジャック・ザ・リッパーが現れて街の女性がヤツの凶刃にかかるとか」
「しません!」
「そう……残念だね……」
「お前、なんでそんな危険思考なんだよ。もっと平和に生きろよ」
「紙の上だからなんでもできるんだよ。むしろ紙の上でぐらい非日常を描かないと、退屈で仕方ない」
不満にむくれる私に呆れたユーリがビニール袋からパンを取り出した。今から昼食をとるらしい。エステルもそれにならって小さなお弁当箱を取り出す。私はもうやきそばパンを食べ終えていたので、野菜ジュースのパックにストローを突きさして吸い上げた。
ユーリが二つ目のいちごオ・レのパックをビニール袋から出したのを見て、今度は私が呆れて半目になった。
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