2021/05/24
: more
「俺、結婚しようと思う」
「え、なん、えぇ、……だ、誰と?」
俺のために命を捧げることも厭いはしないであろう双子の兄が神妙な面持ちでそんなことを告げた。兄に宛がわれた一軒家で深夜の頃合いだった。部屋に灯りはついているが外の喧騒も無く、俺と兄以外の音を立てるものが無い空間で兄の重々しい声が深夜の静けさに消えていく。
シュヴァーンと俺が双子であることは隠されている。
なので俺と兄が会えるとすれば人目のない場所しかなく必然的にこんな時間帯になるのだが、毎回毎回兄は俺と会えることを楽しみにし微かな笑みを浮かべて近況報告をし合うのがこの時間帯の通例だ。
寝耳に水だった。
何度でも言うが兄は俺にためになら命を捧げるだろうと確信できる人だった。
浮いた話も無く俺以外の人間は正直どうでもいいとか本人に言うレベルの奴だった。
どれだけ俺のことが大好きなんだよいい年して恥ずかしくないのか、と常々思ってはいるがそれが別に嫌なものではないので対処に困ってはいた。
そんな兄が結婚をするだと?
相手は誰だろうか。というより俺以外の人間に興味を示すのかこの男は、と語弊を生むようなことを考える。
兄は、シュヴァーンは前かがみで膝に両腕を置き項垂れている。
その姿は人生に絶望している男そのものであり、結婚という華やかな言葉からかけ離れたものだった。
もしかして兄は望まぬ結婚を強いられているのではないか、と思い至った。
どうなのだろう、まずは兄からの言葉を聞かなければ。
シュヴァーンは長い沈黙の後、生気の抜けた顔で言った。
「……誰がいいと思う?」
「いや知らねぇわ」
「……俺の好みって、なんだろうな……」
「それも知らねぇし俺に聞くなって。何、どうしたのよ。見合い話でも持ち込まれた?」
「いや……」
兄は緩くかぶりを振って否定した。
なら何故結婚の話になったのか。
とりあえず明確な相手がいるのではないということが分かりホッとした。
……ホッとした? なんで?
いやいややめておこう。ここを掘り下げると泥沼にはまりそうだ。
「で、なんで結婚の話になってんのよ」
「実は、……俺は周りから女に興味が無い奴だと思われているらしくてな……」
「うんうん」
「俺のことを好いてくれている女性から声をかけられることはよくあるんだ。何回か食事に行ったりとはしているんだが、どうも違うなと思い正式な交際等は毎回断っていてな」
「ほーん、まぁ関係が続くのって面倒だしねぇ」
「そうしたら噂が立った」
「女性に興味が無いってやつ?」
「アレクセイと関係を持っているのではないかと」
「そっちかぁーーーー!!!!」
いきなり話の展開のスピードを上げやがって!
いや女性に興味が無いという話から男好きやらなんやらの話題が出てくるだろうとは思っていた。思ってはいたがよりによってアレクセイときたか!
確かに仕事の関係で関わることが多いのだしそういった話が出てきてもおかしくはないのだけども!
よりによってあの人かぁ……と気分が底辺にまで落ち込む。
なるほど、兄が感じている絶望感というのはこれだろうな。俺でももしドンと関係持ってるんじゃねアイツとか噂が立ってたらつらすぎて女に逃げるわ。
「あ〜……それってお前が女に興味が無いって思われてるからそうなってんでしょ。なら手頃な女にでも声をかけて「女好きです」アピールしてみたら?」
「それも考えたんだが、貴族が多い中下手に手を出すとな……」
「まぁ評議会の人間に弱みを見せることにもなるかねぇ」
「それに今更女好きをアピールしても逆に怪しすぎて……」
「あぁ……確かにね……火消しのために動いてると思われちゃうわな……」
「それで結婚しようと思って……」
「話が突拍子すぎんのよねぇ〜。そこんとこ分かって言ってる?」
「だがそれ以外の道が無い……」
「追い詰められてんねぇ」
この世の絶望を詰め込んだような声色で言う兄に、まぁその気持ちわかるわぁと共感する。俺もドンは無理。
だからといって早計に結婚に走る兄も兄だが。
若い頃は兄も俺と同じく女遊びをしていることから女性嫌悪があったり潔癖だったりというのは無い。俺と比べればその女遊びも控えめなものだったが、健全な男性ではある。
ちょっと俺に執着しすぎてるかなというのは否めないし、アレクセイもシュヴァーンの俺に対する態度に口をきゅっと閉じてどう言ったらいいか分からない…といった表情をすることが多かった。
それは許してくれ。なんでも卒なくこなす万能型の兄の隣にいてくれる人間が少なすぎたというだけの話なんだ。俺と兄は双子で切ろうにも切れぬ関係だからこんなことになってしまったんだ。
兄にもっと近くにいてくれるような人がいればなぁと思わないでもないが、まぁそれはそれで想像がつかないので置いておこう。
「ちなみに付き合うとしたらどんな人がいいのよ」
「改めて聞かれると難しいな。……そうだな、……性悪がいい」
「はーいアウトーーー!! いやなんで性悪!? なんでそっちに走んの!? 性悪になんの魅力感じてんのよお前は!」
「いや、性悪だと俺に対して挑んでくるだろ」
「そうか? いや待てシュヴァーン、お前の中の性悪のイメージがなんか多分ちょっと違うと思う」
「強気で性悪で俺に対して生意気な人が良い……」
「言葉を選ばなさ過ぎだしどうしたシュヴァーン! お前そういう趣味だったわけ!? 俺ショックなんだけど!」
「そういう趣味とはなんだ! 俺がドМだと言いたいのか!」
「そうだよ! やめろよ弟大好きなドМな双子の兄とか俺生きてけねーよ! 好み変えろ!」
「お前のことは大事だがドМというのは否定するぞ。俺はただ俺に対していつでも挑戦してくる人が良いだけだ!」
「それならそうって言えよ! さっきの言い方じゃいじめられたいだけの人間じゃねぇかよ!」
「それはお前の考えすぎなだけだと思うがすまん!!」
「一言多いけど素直!!」
お互いにヒートアップしてしまった。
というか本当にコイツ大丈夫か? いじめられたい系兄じゃないよな?
次から兄を見る目がおかしくなってしまいそうだ。
深く息を吐いて話を元に戻す。
「んで、実際のところ結婚ってできそうなわけ?」
「……いや……」
「なら現実逃避も大概にして現実的な解決策を考えた方がいいんじゃないの」
「今日のお前はいやに突き放すな。俺が結婚をするのがそんなに嫌か?」
「嫌に決まってんだろ。付き合う女性に性悪がいいとか言う兄弟が選ぶ相手とか怖すぎるわ」
「正論だな。俺もお前が結婚するとなったら心の底から祝えるか分からん」
「いやいやいや違う違う話逸れてるし俺が言ってることとお前が言ってること絶対に中身がちょっと違うから」
「本質はきっと一緒だろ」
「なんなのよーこの兄貴はー! ハーッ! 超疲れるー!」
兄のあまりの自信満々な言葉に脱力した。ソファーの背凭れに勢いを付けてもたれ、真剣に考えることをやめた。
なんなんだほんと。結婚をするとか言い出したから焦ったが結局は噂から逃れたいだけの現実逃避の話だった。
自分が結婚をするというのも想像がつかないが、兄が結婚をするというのはもっと想像がつかない。もし結婚をしたとしても俺への理解がある人間じゃないと無理とか言いそうな奴だ。
お相手の女性もこれじゃあ可哀相だ。
シュヴァーンに兄弟がいるということも驚くだろうが、しかも双子で終いにはブラコンと来た。こんな物件相当心の広いまさしく菩薩のような女性じゃないと無理だろう。
シュヴァーンは俺と言い合ってすっきりしたのか先程までの陰鬱な雰囲気はなりを潜め、俺に対してお茶を出す元気が出たようだ。
席を立ち温かな湯気のたつ緑茶を俺の前に置いた。背の低いテーブルの上に置かれたそれを一瞥し、天井を再度仰ぐ。
「噂なんて気にしないでいいんじゃないの」
「まぁそうだな。口さがない人間の口に戸は立てられないな」
「……」
「だが……アレクセイとか……俺、もうアレクセイに近寄らないでおこうかな……」
「職務上無理でしょ」
「可能な限り避けようと思う」
「心配した大将が逆に寄ってくるって」
「あの人そういうところは遠慮が無いからな」
「皆の前で心配なんてされてみろ、噂の補強をすることになるぜ」
「今まで通り普通に過ごした方が無難か……」
「そうそう、何事も普通よ、普通」
シュヴァーンは大きく息を吐いて自分の緑茶を啜る。
俺もようやく出されたものに口を付けた。おっ、いい茶葉じゃねぇの。
「……お前が女だったらなぁ……」
「んぐぶっ!! あ゛っづぁぁっ!!!」
「やめろ、汚い」
「ぐふっ、ゴホッゴホッ……! 飲んでる時にやめろ!!」
「弟よ、常日頃から警戒を怠ってはいけないぞ」
「お前にか!? あぁそりゃそうだろうね怠った俺が悪ぅござんした! あっつぅ……!」
「着替えは俺のを使っていいぞ」
「な、なんか嫌……なんでなんだろうな……俺、ほんと……、もう……なんなんだろうな……」
噴き出した茶が衣服にかかり濡れてしまった。
兄は口の端を持ち上げて俺の失態を面白おかしく眺めていた。
何回か悪態を吐く俺に、兄は目を細めて息を吐くような声で言う。
「俺はお前さえいればそれでいい」
「……そんなこと言ってるから好みが捻じ曲がるんじゃない?」
「そうかもな」
兄のこの執着というのは、兄の傍に誰もいないからだろう。
友人と呼べるものは俺も兄もいない。昔から続くものは、俺たちはある日を境に途切れてしまったから。
お互いしか自分たちの昔を証明してくれる人間がいないのだ。
だからといって兄のように「お前さえいれば」という言葉を使うのには抵抗がある。その言葉に対して深い共感は抱くのは勿論あるのだが、それはまた何かを失うのが怖いから出てくる言葉だ。
俺も同じなのだから、兄のようにその感情を肯定できればいいのだが。
俺と兄は少し違うようだ。
当たり前のことなのだろうけど。
……いくら違ってもいいから性悪女とお付き合いだけは絶対にしてくれるなよ、と心底思う。兄から衣類を借りるために立ち上がった。