霧のような雨が降る。まだ鳥たちも目覚めの鳴き声をあげない早朝。舗装された地面から離れて草木の覆い茂る獣道を荒らすように、街外れを歩いた。澄んだ空気と一緒に、水滴を纏いながら見上げた空は暗くて重っ苦しい。
「また来たの?あんたも、飽きないねえ」
気だるそうな声色に、仰いだ頭を、ゆっくりと戻して、ああ、今日はいつもより早く着いたんだと途端に肩から力が抜けた。街も、広野も、地平線も見えない。ひどく不確かな視界を遮ったのは、小さな火種。
「お互いさま」
人を小馬鹿にするような笑みを浮かべているであろうそちらへ吐き捨てるように呟けば、渇いた喉が水分を欲する掠れた声に嫌悪感がした。
「あはは、それはそれは!」
君は緩やかな歓迎よりも殺気の方がお好みだったみたいだと楽しそうに笑う。ああ、また、だ。不貞腐れたような女に男が冗談と軽く手を揺らせば、紙巻の燃えカスがひらひらと散らばって。次第に目が慣れると、辺りがぼんやりと白くなり、いつの間にか雨が止んでいるのだと気がついた。
男の目が、まるで猫のように弧を描いて、白の中で揺れている。
「あなたなら、私の首なんて、すぐに跳ねられるのに。…とっくの昔に跳ねられるのに。」
こうやっていつも、いつもいつもいつも。眠れない夜をさ迷えば決まったようにここへ辿り着く。それは可笑しいけれど、それが不自然と思えるくらいには、ここは穏やかだ。挑発するようなその目が、前を向いたまま男は、指に挟んだそれを口元に寄せて、笑みをひとつ、落とす。彼女は言葉の続きを促すでもなく、ただただ白みがかった靄の先を、見つめて、息を吸い込む。湿り気を含んだ透き通る空気に混じって、神経を緩ませる甘い刺激が鼻を擽る。見慣れない煙草だ。
「ん?ああ、これね貰い物ー」
いつもとは違う、男が纏うそのニオイに僅かながらに興味を示した女は、地に座り込んだまま樹木の根本に背を預ける男の傍らに腰を下ろすとそれから紙巻を奪って、口にくわえた。
「へえ…掻っ払ったんじゃなくて?」
「いやだなあ、人聞き悪い」
吸い込んだそれは肺を緩やかに満たして。笑いながら息を吐けば、毒草のように脳を麻痺させる煙が朝靄と交わり、空気中と同化した。すでに周りは、水蒸気なのか煙なのかもわからないほどに白く揺らめき、漂うそれが視界をぼやけさせては惑わせる。
「…ねえ、今でもできるの」
脈絡のない言葉をなぞるように、今すぐにでも眼球だけがボトンと落ちてしまいそうなその、脆く揺らめく女の真っ黒な瞳へと視線を合わせた。
彼女がくわえた煙草を揺らしながら口角を上げて、首元を一直線に切り落とす動作を真似て見せたものだから、ついつい、その胴体の周りに、あさく、浅く張り巡らせた刃物のように鋭い鋼線を、強く手繰り寄せて、全てをばらばらに引きちぎってみたくなった。ああ、本当にたまらない。だけれど今はまだかな、なんて辺りに飛び散れば、彼女の血は、朝露に溶け込み、きっと綺麗だろうけれど。
にこりと笑みを浮かべて、男は煙を吐き出す。指を女のうなじに絡ませ、まるで愛撫するかのように動かせば、揺れる肩。彼女の白い首にいつの間にか巻かれた彼のそれにより、いとも容易く、呆気なく、緩く食い込んだ凶器が、肌を裂いた。
眉を潜めながらもどこか満ち足りたように身を委ねる姿を視界が捉えれば、ずくりずくりと熱く燻る、嗜虐心が体内を蠢いて口角をつり上がらせる。力を入れれば、どうだろうか。でも、そんなことをしたら君は寂しくて泣いてしまうかな…クスクス、クスクス。いとおしく、喉にある縫合済みの傷口に舌を這わせて。
「また、おいでよ。明日もおいで」
僕の瞳は、それはそれは、楽しそうに嬉しそうに、安堵の表情を浮かべた彼女を見ていたことだろう。大丈夫、心配なんてしなくても、君の最後の男は、俺であるのだから。汚れていても、冷たくても、醜くても、安心して。きっと、とびきりな時間になる。予約は、ひとり。オーダーはとっくに済んでいるよ。ああ、でも残念なことに、まだまだ手放す気なんて毛先ほどもないのだけれど。ごめんね。だってこんなに楽しいのに、勿体無いじゃないか。なあ…クスクス、クス、クス。
「最後に、犯されるのが、心臓だなんて、さあ、贅沢だよねえ」
"そこ"に、寂しさや愛しさがあるのかなんて、知りもしないし、知りたくもない。

Inside of the amnion of solitude.
孤独の羊膜の内部で

amniotic




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