はるへ
卒業を控えた春。遙と凛は岩鳶S・Cへ続く道を並んで走った。少しずつ変わっていく風の香りに、田舎の子供は敏感だ。
(…今日の風、なんだかいつもと違う)
睦月橋に差し掛かる手前、遙は全身に染み渡るまだ冷たいそれに目を細めながら考える。
「今日の風、なんかいつもと違うなぁ」
一瞬、心を見透かされたようで遙は焦った。もちろん、凛には気づかれないように。
彼のそういうところが嫌い、というか理解できないのだ。わざわざ言わなくてもいいようなことまで彼は声に出す。恐らく同意や否定が欲しい訳でもないのに。言葉とはそんなに安いものだったか、と凛に会ってから遙は時々考える。
「ハル」
ちらりと視線だけ凛の方にやると、彼はずっと遠くを見詰めていた。遙はそのまま走りに集中する。すると、今度は遙の顔を覗き込むようにして凛が言うのだ。
「ハルー!」
返事をするのも面倒だったが、これ以上しつこく呼ばれるのも御免だった。
「なんだよ」
すると凛は大袈裟に両手を広げ、細い眉を下げた。その姿は下手な役者のようだ。
「ああ、わりぃ!“春”だよ、は・る!」
彼のふざけた仕草、口調から、遙をからかっているのは明らかだった。ただでさえ女みたいな名前とあだ名が嫌いな遙にとって、これ程苛つく仕打ちはない。
「おーい、ハル!」
ハルと、春。嫌々返事をすればお前じゃないよと笑い、無視をすれば聞いてんのか、とやはり笑われる。
「ハール、ハルー?なんだよノリ悪いなぁ」
ノリが悪いも何も、こんな寒いギャグに付き合う方が馬鹿げてる、と遙は心の中で毒づく。これ以上このお調子者に付き纏われるのは面倒だった。遙は無言のままスピードを上げる。凛はおっ、と声を漏らし、同じようにペースをあげた。遙としては煩わしいちょっかいを振り払う目的だったのだが、凛は徒競走が始まったかのように嬉しそうに目を輝かせた。
そしてまた、二人は肩を並べて走る。遙は凛が追い付いてからもスピードを落とさない。まるで本当に競争するかのように。凛の闘争心に応えるかのように。
赤髪を風に靡かせ、凛は考える。
(春風って、なんだかハルみたいだなぁ)
互いの鼓動、息遣いさえ聞こえそうな程近い距離。二人の心臓はバクバクと早いリズムを刻んだ。
(冷たいのに、なんか…優しくて)
去年、妹が麦わら帽子を風に飛ばされて泣いていたのを思い出す。ずっと海の向こうまで飛ばされてしまって、泳いで取りにいけなかったのが悔しかったのを今でも覚えている。
春風は、みんなの帽子を拐わない。だから好きだ。
「何笑ってんだ、置いてくぞ」
「あっ、待てよ…ハル!」
少しずつ温かくなってゆき、軈て桜の花が綻ぶ。そんな春が好きだ。
まだ冷たい春の風が、赤い髪を掬った。春風は、彼の帽子を拐わない。泥に塗れた指先に触れたのは、小さなクッキーの缶。取り出したトロフィーを片手に、キャップを深く被り直して彼は歩き出す。
春風は、みんなの帽子を拐わない。だから好きだ。
少しずつ温かくなってゆき、軈て桜の花が綻ぶ。そんな春が好きだった。
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