美星

…知ってるか。綺麗な声で唄を歌う、彼奴が死んだそうだよ。


「へぇ、そうか。いや 私はな、彼奴に忍びは向かんと前々から思っていたのだ」

男は笑ってみせた。ははは、と豪快な笑い声をあげては、萎んだ風船のように脱力し、視線を足元の芝に落とす。

「…一つ、訊いてもいいか。彼奴は、どうやって死んだ」

探るような視線を払うように、もう一人の男は憮然として答えた。

「それは云えない。私も、忍びなのでね」

ああそうか、とまるで初めから判っていたかのような口振りで男は僅かに頷く。

「そうか、彼奴が…なぁ」

判っていた。そう言いつつ、夢現に男は呟く。染々と懐かしむように、その瞳は何処か遠い景色を映しているようだった。


「忘れろ、全ては過ぎたことだ」

他の輩は、その言葉を非情だと云うだろうが、それ以前に男は立派な忍びであった。それ故、男はまた一つ頷いた。


「ああそうだな、そうしよう。ところで…私はこれから何処へ行くと思う?」

男は訊いてくれとでも言いたげに、ちらりとその目を見た。それを察した男は、俄に溜め息を一つ吐き、何処に行くのかと然も怠惰そうに尋ねた。


「“忍術学園”さ」


数日前、男はその学園で教師を務める旧友に宛てた文を送っていた。そして、凡そ五年ぶりの再会をそこに約束していたのだった。

「だが、行くのは止めにしよう」

男は、懐から文を取り出し、びりびりと破り始めた。それを空に放ち、からりと笑う。

「どうだ、桜みたいだろう!」

季節は、秋になろうとしていた。男はそれを満足そうに眺め、勢いよく立ち上がる。


「さて、私は何処へ行こうかな」

男は、誰もが畏れるほどの実力を持ちながら、何処の城にも属さない、フリーの忍者として生きてゆく道を選んだ。

「お前、忍務は受けていないのか」

彼の一連の動作を黙って傍で眺めていた男が、はっとしたように訊ねる。

男は丸い目をきょとんとさせ、ああ、と手を打った後、ぼさぼさと伸びきった茶の髪を乱暴に掻いた。

「どうだったかなぁ、忘れちまった。まあ、此処を立ち去ればいい話だ」

忍びとして、それは赦されるのか。その言葉は、声に出さずに終わった。ああ、彼は昔からこういう男だったと、男も嫌という程知っていたからだ。

「好きにしろ、お前の人生だ」

その言葉を最後に、男は足早に歩き出す。腰まで伸びた黒髪が、ゆらゆらと左右に揺れた。

「じゃあなー!」

残された男は去り行く背に向かってぶんぶんと手を振った。きっともう、逢わないだろうね。彼がそう呟いた時には、その姿は疾うに見えなくなっていた。

「取り敢えず、私も歩こうか」

行く宛も、自らの手で無くした。彼処には、死んだ男との想い出が多すぎる。彼は、望まぬ形無き再会を酷く恐れた。

「取り敢えず、北に進もうか。一番星が、私を導いてくれるかもしれん」

一歩踏み出して、男は立ち止まる。

死んだ者の魂は、空に還り、星となる。そんな幼い夢物語を、彼は信じてはいなかった。星々は絶えず燃え、輝き続ける。そして軈ては力尽き、宇宙の塵となり消える。其処にあるのは死者の面影ではなく、きっと人の営みとはまた別の、紛れもない生の廻りである。

「…彼奴は、忍びになるべき人間では無かったのだ」

あれ程賢く、あれ程美しい顔立ちの彼が、何故闇夜の泥濘に埋もれる骸にならねばならぬ。


「いや、やはり南に行こうか。太陽の下に立てば、凍てついた心もいつかは溶けてくれるだろう」

一歩踏み出して、男は立ち止まる。

「彼奴は芸が達者だったからな。何処かの城の芸役者や舞踊で十分食っていけただろうに」

齢十七、まだ死ぬべきではなかった。死人が悔いを語ることは無いが、残された男はべらべらとそれは好き勝手に独りで未練を嘆く。
「じゃあ、やはり西へ行こうか。陽が沈むあの美しさを、一番近くで見られるかもしれん」

一歩踏み出して、男は立ち止まる。

「ああ、そうだ。私は彼奴の唄が一等好きだった」

陽が沈むまで続いた委員会活動。太陽の麓まで行ける筈だと、無我夢中で走ったのはあの頃が最後だったか。

疲れて動けなくなった後輩をおぶり、二人で肩を並べて歩く学園へ続くあの帰り道。


「なあ、唄を歌ってくれないか」

男の頼みに、はいと一つ返事が返ってきた後、心地好い歌声が響く。

「…ああ、本当にお前の唄は綺麗だな」

拍手を送ると、彼ははにかむ。その横顔が朱に染まったのは、夕陽の所為だったのだと、今となってはそうであって欲しい、と男は祈る。

「それなら、東へ進もうか。月明かりが、暗い夜道も照らしてくれるだろう」

一歩踏み出して、男は立ち止まる。一歩下がって再び石に腰かけ、そうして彼は、空を仰いだ。

「ああ、月が綺麗だ。こんな夜は、お前が恋しくなる」

男は、ぽつりと呟いて一筋涙を流した。それが正しい忍びの姿ではない。そう知りながらも、顔を隠そうとも、涙を拭おうともせずにただ空を仰いだ。

死んだ男が残した、過ぎ去った想い出話を彼是思い出しているうちに、厚い雲が月を覆い隠す。

「…そうか、お前もいってしまうのか」

男は何か一つの決心をしたように、すっくと立ち上がった。そうして男は、西へ向かって歩き出す。

「なに、今から歩いていれば明日の日没には間に合うかもしれん」

人影消えた、夜の闇。空に溶けた誰かの唄を忘れぬようにと、掠れた声で男は歌った。





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小平太と会話していたもう一人の男は仙蔵。小平太と学園で会う約束をしていたのが、忍術学園で教師をしている文次郎です。

忍術学園へ行かなかったのは、其処には滝夜叉丸との想い出が余りに多かったから。

タイトルは、美声とかけて。

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