学校に興味はなかった。仲の良い友人はいる。でも友人と遊びたいとか、勉強が楽しいやりたいことがあるとか、そういうタイプの人間ではなかった。何もない日常に面白みどころか苦楽さえ見いだせない、かといって“存在意義”なんてものを考える頭ではなかったから、ただなんとなく生きている。
だから日常を砕き割ったネイバーという存在に、大声では言えないが感謝してないこともない。今となってはその頃なにを考えて生きていたかさえ思い出せもしないが、亀裂の入った日常に思うのは「楽しくなってきた」と。
「あんたボーダー隊員なのか?」
「そうだけど」
「今日暇か!? 個人戦しようぜ!」
初めて話しかけたのは高校も二年に上がってからのこと。迅から俺と同じクラスの奴がボーダーに入ったと聞いて、次の日には喜び勇んで個人戦へ誘った。まだみょうじの苗字も名前も知らない頃。
「私まだC級だから、ごめん」
「関係ねーだろ」
階級云々よりも、片っ端から戦って強い奴を見つけたかった。師匠の忍田さんにも訓練できない時は色んな奴と戦って経験を積めと言われている。この時はまだボーダー隊員が少なかったから、まさに片っ端から。
しつこく誘ってんのに放課後になっても、嫌だとごねる女を無理やり本部へ引っ張っていき何戦か戦ったあと、負けたことを悔しがる女からようやく名前をきいた。それぐらい人には興味ないが、戦うことはこの世の何より楽しかった。
「太刀川、個人戦しよ」
みょうじは負けず嫌いな性格らしくそれからも何度も戦った。いわゆる“切磋琢磨”ってやつ。忍田さんがそう言ってた。
ボーダーに女の戦闘員は当時まだ少なかったから、自然とみょうじも俺や迅たちとつるむようになって、すぐに打ち解けた。持ち前の明るく大雑把な性格はあいつが女だってことを時々忘れさせる。気安く話しかけられて個人戦もできて時々勉強も見てもらえるから、そりゃすぐにクラスの誰よりも仲良くなって当然だった。
「百本勝負にしようぜ」
「バカ。そんなにトリオンもたないわよ」
「負け越してるもんな。良いぜ、お前が勝てたらやめても」
「は? 負けないし。九十九本よ。白黒ははっきりつけましょう」
負けん気だけは人一倍強いんだよなぁ。そこがこいつの面白いとこなんだけど。
九十九本だとどうして白黒はっきりするのか理由を聞いたあと、本気でその数戦って勝った。なるほど。十と百は引き分けがあるのか。まあ、十でも百でも引き分けねぇけどな。一つ多くみょうじに勝てばいいだけ。
この頃はまだお互いに勝ったり負けたりを繰り返しながら一年を過ごし、気付けば高校最後の年になっていた。
「ねぇ、慶ってみょうじさんと本当に付き合ってないの?」
腰の上で喘ぐ女が突然ぽつりと呟いた言葉はこの女からだけでなく、色々な人から最近よく聞かれる言葉だった。
「気になる?」
首を振っているのか揺れているだけか。艶をまとった視線で答えを促されるのは鬱陶しかった。付き合っていようといまいと今この行為には関係ないことだよな? 例えばみょうじは俺との戦闘中に「隣のクラスの子とセフレ?」なんて聞いてこない。真剣にやりあってる最中に余計なこと考えるなんて失礼だろ。
「付き合ってない。いま、んなこと考えてる余裕があるのか?」
でも女の興奮材料にぐらいはなるのだろうから、その辺は上手く使う。うつ伏せへ寝かせ腰を持ち上げさせると、女は甘ったるく名前を呼んでいっそう声を高くした。
目の前のこれを“女”と認識できるのは華奢な体で筋肉なんて微塵も付いてない、バムスターを前に座り込んで怯えた目を向けるだろうから。守るべき対象であって共闘し背中を任せられる奴ではない。
儚くて、脆そうで、壊れそうで壊れない。そんな女を自分の手中で乱すことは、戦闘には及ばずながらもそう悪いものでもなくて、来るなら大いに歓迎した。
好きと言うから付き合って、でも俺の気持ちが盛り上がるまで長く続いた試もなく。恋人ってそういうものなんだろうと自然と思い込み始めた頃には、今度は「遊びでもいい」という女まで出てくるのだから、都合よく甘えさせてもらった。
比べてみょうじは、息切れしながら生身で筋トレしたり走ったり竹刀振ったり、日々鍛錬に勤しんでいた。今も必死に俺を足に乗せて腹筋を繰り返している。
「そんなにやったら腹筋割れるぞー」
「いーの! 肉体の感覚があれば換装体でもスムーズに動かせるようになるの!」
レイジさんに刷り込まれたらしいが俺にはよくわからない。そんなもんイメージと感覚だろ?
みょうじも華奢は華奢だが柔らかさからは遠ざかる。胸も尻も抱きたいと思う女に比べてあるかないかわからない。
いつだったか、みょうじが先生に頼まれた教材を持って廊下を歩いていたことがあった。重そうではあるがまぁ持てなくはないだろうという程度。この間遊んだナオちゃんなら持てないだろうが、みょうじなら大丈夫だろうと見過ごしたぐらいだ。
その話を迅にしたら「持ってあげとけばよかったのに」と頭を抱えられた。その時は迅がそう言った理由なんてわかるはずもなく、例え持とうとしても「太刀川に借りを作りたくない」って言われるに決まってると思っていた。
つまり俺の中で、みょうじなまえは分類上女に近いだけの存在であって、俺の中で女扱いしなくていい背中を任せられるタイプの存在。
「はー、休憩」
「あと何セット俺は付き合わされるんだ?」
「あと二セット」
「ハァ? いい加減飯食いてー」
「言っとくけど、太刀川には私に付き合う義務があります」
「ぎむ」
「あんたがどこそこ色気だか食い気だかを振りまいているせいで、今日も知らない先輩に呼び出されたんだから」
そういえば今日の昼休み教室にいなかった。いつもなら教室でパン齧ってるはずが五限が始まるまで戻ってきていなかった気がする。少し前にも、「太刀川くんと付き合ってるのか」って同級生の子に呼び出されたと言っていたし、どうやら今回もそうだったようだ。
最近その手の噂が広がっている。ただの友達だと否定しても否定しても消えない噂。なぜかみょうじのことは“仲が良い友人”って理由だけじゃダメらしい。彼女にも満たない存在の女どもが、女にも満たないみょうじに嫉妬する意味不明さについていけない。距離が近いと言われても、キスするほど近くもないのに。
みょうじは膨れっ面でまた腹筋を始める用意をした。
「そんなわけだから腹筋の五セットぐらい付き合いなさい」
「へいへい」
よくわからない理屈だ。どのみちみょうじが終わらないと食堂に行かないのだから、暇を持て余すよりは付き合ってやってもいい。こちらも渋々といった表情で三回目の百をカウントしてやった。
「25……26……今日なに食うかなぁ」
「牛丼」
「太るぞ」
「別にダイエットでやってるわけじゃない」
「ああ、そうか」
「ふはっ! ちょっと、真面目な顔してボケないでよ」
みょうじが体を起こし、足を押えている俺の目と鼻の先で笑う。……まあ、キスできない距離ではないかもしれない。