私はあくまで友人として距離感を保ちたい。
「私が太刀川と付き合ってる? ありえないウケる」
相変わらずどこからの情報か知らないが、出水くんがお茶うけに出した話には机を叩いて爆笑してやった。隣で聞いていた太刀川もそんな噂話を特に気にする様子もなく、私が買ってきたお高いポテトチップスをもしゃもしゃと食べている。
こんな噂話、私も太刀川も高校の時からうんざりするほど聞かされてきたし尋ねられてもきた。今さら動揺なんてしないし、ボーダー隊員はここでの様子を知っているから、誰も信じるわけないと思っていた。
てっきり私たちをよく知る出水くんも爆笑するものだと思っていたのに、ちっとも笑いもせずなんなら少し困惑気味の表情で口の端にポテチのクズを付けた二十歳の男を見る。
「いやー……おれもにわかに信じがたかったんですが、その情報の出所が太刀川さん本人で、“なまえのことを愛してる”とかなんとか言ったって人が言ってたから」
「は? 太刀川そんなこと言ったの?」
「言ったな」
「「は!?」」
一つも迷う素振りなく肯定の言葉を吐き捨てた男。重なる声に「仲良いのな」と笑っている場合ではない。
「あんたなんてことを……!! 私たちは普通の友達でしょ!?」
「だって、みんなしつこいんだもん」
口を尖らせたところで可愛くないぞ。二十歳の顎髭野郎。今まで誰に何度「付き合ってるだろ」と聞かれても私たちはいつだって全否定してきた。それなのに、太刀川ときたら否定することを諦めたらしい。
苦笑いを浮かべる出水くんもこの男に言ってやる言葉が見つからないというふうに、睨む私から視線を逸らす。おいちょっとこっちむけ出水。あんたが持ってきた話題でしょ。なんとか言いなさいよ。
メテオラを投げるだけ投げて逃げるなんて卑怯じゃない? 逃げようとするその手を無理矢理掴んだ。
「ア〜……じゃあ、みょうじさんさ、いっそ太刀川さんと付き合ってみれば良いんじゃないスかね?」
「お、出水いいこと言うじゃん」
言葉が理解できないから目の前の男共は近界民に違いない。なんて言った? 太刀川と付き合え? 今それ盛大な地雷だからね、出水。よしよし、地雷はきれいに排除しよう。私は両手にスコーピオンを構えた。
私の中で太刀川との関係にルール決めをしたから、すっきりした気持ちでいたのに、どうしてまた混ぜ返すようなことを他人は言うのか。
その後、(主に太刀川の旋空が)半壊にした作戦室の片付けをさせられ、鬼怒田さんにもしこたま怒られたあと、やって来た国近ちゃんの「ふむふむなるほど〜。なら一度デートしてみたら良いのではないかね?」などという謎のアドバイスに、とても心が疲れた私は「うん、わかった」と冷静ではない返事をしていた。してしまっていた。冷静に考えたら、どうしてそうなるのか。どうして、なんで、誰が……などと考え始めたら結局冷静でなんていられなかった。
私はこの間からとってもおかしくないか?
かくして、太刀川隊により半ば強引にセッティングされたデートを、私と太刀川は決行することになってしまったわけで。
「どこ行く?」
「ねぇ、やっぱやめない? こんなのサムイよ」
私達は仲は良いが個人戦で狂気爛々に互いを斬り合う仲だ。斬ってやったことを感極まったりしても、手を繋いだり些細な距離に戸惑う間柄ではない。オシャレなカフェでケーキを奢らせる仲ではあっても、恋人よろしくデートする関係ではまったくないのに。
「だいたい、花柄スカートの子はどうしたのよ!?」
「はながら」
「こっ、このあいだ、太刀川に告ってた子いたでしょ」
太刀川がYESというところまで、この目でしかと見たんだからね。言い逃れはさせないぞ。しばらく考え込んだあと「好きな女じゃないし別れた」と言い放った。絶句。私、絶句。
「たちかわ……あんた、もうすこし女の子に」
「慶。今日はそう呼ぶ約束だろ」
「……私にそんな風に呼ばれて嬉しい?」
「彼女に呼ばれたら嬉しい。なまえ」
「やめて」
「なまえ」
人の顔色うかがうみたいにじっと見つめて呼ばないで欲しい。しかもここぞとばかりに連呼して、甘ったるい声で呼ぶ太刀川にぞくりと悪寒さえ走った。すっかり話は逸らされている。
今日は国近ちゃんからいくつかの設定をメールで送られてきていた。
『その一、彼氏と彼女であること。
その二、手を繋ぐこと。
その三、お互いを褒めること。』
たった三つのお約束とはいえ、守るにしては難易度が高いよね? こんな横暴なルールに従う必要はまったくない。まったくない。それなのにどうして太刀川はそれに従って、楽しそうにしているのか。
私の手を勝手に繋ぎ、「先に映画行く? 買い物行く?」と大きなショッピングモールの中を誘導し始めた。今さら太刀川と手を繋ぐなんて特にする意識もないと思っていたのに、私より大きな手であること、戦闘体と違って直に感じる体温があることなど、当たり前ではあるけれど少しだけ新鮮に感じないこともなかった。でもそれは恋人だという設定が前提条件。
(ちょっと握り方強い)
私をふりかえる太刀川は、大学の授業を聞いている時の気怠そうな表情でも、戦闘中の刃物みたいな表情でもなく、本当に彼女とデートする大学生って感じ。とてもA級一位でボーダーの担い手には見えない。ただの男子。
もしかして、ユキちゃんや花柄の子も太刀川からこんな表情を向けられていたのかな。
流行のSF映画観て、モール内のカフェでパスタランチとデザート食べて、二人で互いの服を見てまわって。彼氏彼女設定が馴染んでくる頃には「この服どう?」「うん、可愛いな」なんてやりとりまでしてしまった。
可愛いなんて、太刀川も彼女に言うんだね。ちょっとだけドキッとしてしまったよ。
「うわぁ……私完全にデート堪能してしまってたわ」
「あっという間だったな」
時間はすでに夕刻。この後太刀川は防衛任務が入っていると言う。そんな日にこんな疲れるようなことしなくてもよかったのに。
今日一日で自然に繋ぐようになってしまった手。気恥ずかしさよりも、手を繋いだだけで表情をやわらげる太刀川が可愛くて繋いでしまっている。
どうやら私のアパートまで、このまま送ってくれる気らしい。家までの帰路を二人で歩くなか、ここ最近大学で話していなかったぶん他愛もない会話は止まなくて。笑いあう空気は戦闘中のマッドな雰囲気とも、休憩室で談笑している時とも違って、どちらかというと心地いい温かさ。嫌じゃないと思うのは、私にとって太刀川は気の合う友達だから。
「楽しかったか?」
「うん、まあね。もともと一緒にいるのは楽しいし」
だからかもしれない。家の玄関の前。別れ際に太刀川が聞いてきた質問に素直に答えてしまったのは。
微笑むように笑う彼の表情にむず痒さを感じてしまうんだ。
「でも、私となんてつまんなかったでしょ……け、慶は」
呼び慣れない言い方にはどもってしまうし、なんだかすごく勇気がいった。それに言った後はすごく今日の役になりきれていたような気もした。呼ばなくても良かったのに、と気恥ずかしさのある後悔は呼んでしまったあと。
上や下、別になんてことない通路の柵なんかに視線を行ったり来たりさせていれば、返事をしない彼が一歩ずつ距離を縮めるものだから、玄関扉に背をつけさせられていた。何が起こるのかわからないほどピュアではないから、これはマズイと見上げたことのほうがもっとマズかった。なんで私逃げなかったのだろう。
体はピクリとも動かなくて、目を細めた真剣な顔がすぐ目の前――
鼻先が擦れ合い、唇に感じた熱は彼の手でも頬でもなければ額でもない。同じもの。モールを出る前に塗り直したリップをさらっていくようなキスに、胸の奥深くから溢れる感情に……戸惑った。
「……っ!!」
小気味よい音が通路を木霊する。私の手はジンジンと痛むような熱いような。
「うお、やっぱ生身は痛え」
「バッカ!!」
精一杯の罵りは手のひらを握りしめて再び放つ。けれど今度は当たることもなく、今日一日なんだかんだで握っていた手に包まれた。こちらの拗れた想いを絆してくるような温かさ。
「なまえとだから楽しかった」
この男まったく悪びれている様子もなく変わらない。今日の個人戦楽しかったな程度の口ぶりなのに、つかまれた手を振り払うこともできない。
「なんで、なんでこんな突然……今までそんな関係じゃなかったじゃん。今までどおりで、いようよ。だめなの?」
大学では適当につるんで一緒に課題したり飲みに行ったり、ボーダーでは共闘したり対戦したり……その関係を崩してしまったら、私たちはどうなってしまうの? 今までみたいにそばで笑っていられなくなったら、なんて考えちゃうのは私だけ?
太刀川から離された、私の手。その手は宙ぶらりんとなり行き場もなく、拳の中に熱を閉じ込めたまま離せない。
「今まで通りじゃ嫌だ。俺はお前と“そんな関係”になりたい」
なによそれ。そんな関係ってなんなの?
決定的な言葉はないくせに曖昧の指す先は一つしかない。私は逃げるように玄関の中へ入り込んで鍵を閉めた。扉を閉める間際、太刀川が笑っていたような気がする。
あんなやつ好きじゃない。バカでバカでバカだし変態だし突拍子もなさすきるし。そういう、好きじゃない。違う。絶対に違うよ。
唇に残った感触が甘い微熱を下げさせない。これが下がるまでは太刀川のことまた避けなきゃじゃん。だから、……いやなのに