4.5 桃花はナポリに内緒にしたい
出水に紹介された彼女は、学校で評判の悪女だった。見た目はいいが、男タラシだとか不倫だ援交だ浮気だ尻軽だと、とにかく酷い噂しかない女。誰に聞いても「噂で聞いたんだけど」から始まる。
出水から付き合い始めたと話を聞いた時、やべえ女にたぶらかされているんじゃないのかと他の友人たちと不安で問い詰めた。だって出水、その女と付き合うのが初めての彼女って言ってるし。それに出水はオレがいまの彼女と付き合うまで、なんだかんだ心配してくれていた。その恩は返したいじゃん?
「みょうじはそんな奴じゃない」
いくら周囲がその女はやめとけと言っても当の本人はこれの一点張り。本人が否定しようが噂の全部が真実でなかろうが、みょうじさんには何人か付き合った形跡があって、その元彼氏たちはみょうじさんのことを良いようには言っていない。それがその女の本質なんじゃねーのかって。
あんまりみょうじさんのことを悪く言いすぎて、すっげぇ殺気の出水に胸倉掴まれたからそれ以来は言わないようにしている。ひとまず出水が嬉しそうに携帯いじってたり、昼休みにいなかったりするのを見守った。まぁ、順調そうならいいか。
一ヶ月近く経っても出水に悪い変化はないし、上手くいっているみたいで周りも落ち着いた。なんというか、二人には付き合っている気配があんまりにも少ないからって点もある。
ボーダー任務があるから仕方がないのかもしれないが、一緒に帰るとかも聞かないし、昼休みにたまーに密会しているらしいが、どこで密会してんのかも知らない。出水から別れたと聞かないからつまり上手くいっているのだろうという解釈。
そんなある日、出水に紹介してもらうより少し前。オレは初めてみょうじなまえとエンカウントする。
体育の授業でサッカーをしていた時。シュートを決めるその瞬間近くで門発生の警報音が鳴り、思わず空ぶって滑り転げた。門誘導にエラーが起きたのか、突発的な緊急事態か。どちらにせよ滅多ないことだから驚いたことには間違いなくて。にしても、めちゃくちゃはずい。ダサい。ひとまず、避難しなくてもすぐに今日の防衛部隊が現場を収拾したらしい。
膝を小学生みたいにずるむけになるほどの怪我をしてしまい、オレは足を引きずりながらなんとか保健室へ向かった。
今日出水がいなくて良かったぜー。見られてたらひどいからかいを受けたに違いない。
保健室の扉を開けようとした時、「ヒュッ」と空を切るような音と嗚咽が何度も聞こえる。保健室の先生が精一杯なだめている声も。
「大丈夫よ。落ち着いて。ボーダーがすぐに駆け付けたし、何もなかったみたいだから」
ここへ来るまでに、門誘導がエラーを起こしたと携帯端末に内部連絡がきていた。それが原因でゲートが開いて警報音が鳴ったし、オレは格好悪くも怪我するし。
考えられるとしたら、ネイバーとかに抵抗がある人が保健室の向こうでなんかやばいのだろう。
……もしかして入っちゃまずい?
でも、自分の膝から垂れ落ちる血も酷いもので、申し訳ないと思いながらも扉を開けた。
「失礼シマース」
控えめに言ったのに、二人分の視線がこちらを向く。女子生徒が青ざめた顔して床へ座り込み苦しそうに喘いでいる姿が目に入って、申し訳なさは増す。でもその顔には見覚えがあった。といっても一方的に顔を知っているだけ。
「ああ! 米屋くん。あなた確かボーダーだったわよね? さっきの警報のこと何か聞いてる?」
「あー、ちょっとシステムがトラブって。でもすぐに隊員が駆け付けて市民には重軽傷者もでなかったみたいっすよ」
「ね。ボーダーの彼が言うんだから大丈夫よ、みょうじさん」
やっぱりみょうじさんだよな。出水の彼女の。
先生が必死になだめているが、彼女は呼吸のコントロールを失っているから聞こえてはいないだろう。みょうじさんについて様々な噂は聞いてきたが、近界民への拒否反応があるとは知らなかった。
しかしこのままでは今にも倒れそうで、見兼ねて手を出した。
「パニくんなよ。大丈夫だから。出水が駆け付けて街の倒壊もないし怪我人もいねーってさ」
みょうじさんに視線を合わせるように屈んで手を出せば強い力で払い飛ばされた。瞳孔の開いた目がオレを睨んでいるが、必死に酸素を取り込んでいた唇は震えながら“いずみ”と動く。
「あんたの彼氏だろ」
吸う息がほんの少しだけ長く息が吐出されたのを確認し、心の中で出水と自分の彼女に「ごめん!」と謝ってから、みょうじさんの腰を抱えた。みょうじさんもあとでセクハラとかスカートがとか言わねーでね。
「――っ!?」
「先生、ベッドでいー?」
「え、ええそうね!」
暴れる力も弱くて、重くもないからなんとか担げた。先行する先生がちょっと待ってと慌ててカーテンを開けベッドの用意をする。肩口で聞こえる呼吸音は少しずつペースが下がっていった。
「……今日あったこと、は、わすれて…………おねがい」
掠れた涙声が耳に届く時にはベッドへ転がした後。
みょうじさんの言うあったこと、ってのは“会ったこと”なのか“おこったこと”なのか。しかも“言わないで”でもなく“忘れて”なのがまた理解できない。こうなってたことを出水が知ったところで悪くは思わないだろう。嫉妬する可能性はあるが、近界民嫌いって話なら、むしろいっそう討伐任務に励むんじゃね? 男って単純だから。
それとも、誰にも知られたくない一面だったのか。例え彼氏の出水であっても。
その出来事を忘れたわけではないけど、弱った姿を知られたくないって気持ちならわからないでもないから黙っていた。出水がみょうじさんから何か聞いて言ってくれば話もしたけど。
その二日後に、出水と歩いていたら廊下で偶然移動授業に向かっていたみょうじさんと出会う。
「初めまして。米屋くん」
笑顔の圧力っていうの? ピリッとするようなやつ。
その時改めて女って恐ェ〜って思ったよね。あの日の取乱した弱々しいみょうじさんはいない。「出水のお友達でしょ? 呼び捨てでいいよ」なんて気軽そうな口調だが、ちょっとギャルっぽい可愛い女子って感じで、でもどこか踏み込めなさそうな雰囲気の女がそこにはいた。少なくとも自分の彼女とは違う種類。
純粋で屈託なく笑ってる出水を横目で見ちゃうと、やっぱりなんか騙されてんじゃねーかって心配しちゃうじゃん?
みょうじとの二回目エンカウントから二週間とちょっとが経ったぐらいに追悼式で出会った。
「この前やたらと追悼式の日の担当地区替わってくれって言ってたのはこういう理由だったのかよ」
意地悪げに口の端が上がっているって自覚がある。携帯の画面に映るみょうじは出水にとって憎らしげに表情を歪めさせるほどの価値があるらしい。いや、それは最初からわかっていたな。わかっているからこうして意地悪く太刀川隊の隊室で堂々と携帯の画面を見せつけている。
「お、これが噂の出水の彼女?」
「おい! 太刀川さんに見せるのやめろよ槍バカ!!」
「いいじゃんいいじゃん。可愛いっしょ?」
バカと何度罵られても面白いからやめません。たまには出水を弄りたいんですオレ。
ノリノリでオレの画面を覗き込む太刀川さんがよく見やすいように携帯をまるごと渡してあげた。学年の中でも可愛いほうの部類に入るみょうじをしげしげと眺めた太刀川さんも「可愛いじゃん」と納得するものだから、彼氏でもないのに「でっしょー」と答えたら当の彼氏から頭を叩かれる。オレの心が傷ついた! なんつって。
「へーほー。おー、おー……おお?」
「どうかしたんすか?」
それまでオレと同じようにニヤニヤしながら見ていた太刀川さんが、突然食い入るように画面を見る。みょうじの顔を指先で拡大したり、縮小してみたり。
「なーんか、見たことあるような」
「うわ、そんなこと言って紹介しろとか言わないでくださいよ!?」
「えぇ? 会ったら思い出すかもしんないだろ」
「どうせ街で見かけた可愛い子と似てただけっすよ」
「「かわいいこ」」
わかるよ。顔は可愛いよなみょうじ。彼女だし余計にそう思ってんだろうな。
滅多ない出水の動揺が面白くてたまらないが、さっきからなんでオレばっか殴るんだよ。換装体でも多少は当たってることわかるんだからな。
青ざめたと思ったら赤くなったり、忙しそうにしている出水は恋してるんだってわかりやすい。初心な出水が心配で、みょうじにお節介なことを聞いてしまったが、こんな不器用な友人を応援したい一心だったわけよオレも。許せよな。ボーダーでバカだ天才だと言われているこいつが、人間らしくて安心したって感じ。
やられた分をやり返すため、出水の肩に手を回して羽交い締めにした。
「自分の彼女が一番可愛いんだよな、出水は」
「よし、紹介しろ出水。今からここへ連れて来い。うちのシューターを射止めた可愛い女というのを見定めてやろう」
「いーやーだぁー!」
幸せになれなんて格好いいことは言えないけど、二人がもう少し上手くいけばいい。今のまんまじゃ、付き合ってんのに出水の片思いみたいだもんなーとオレは思うわけ。