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13 深緋色のハッピーエンド



 公園には遊んでいる子どもが多くいるが、少しずつ聞こえ始める「バイバイ」という声。夕焼けは静かに迫っている。それでも夜が来るには少し早すぎるだろうと目の前を見て思った。

「くっろ!」

 まだあんまり息も整ってないもんだから、驚きで出た第一声がそれ。対照的に空が淡く青く、そこだけ重力間違っていそうな黒さ。まるで彼女の妹が表現するような、本当の心情をあらわしてんじゃないかって思えるほど。それから、懐かしいとも思った。思い浮かべるのはたった一年前の姿。

「おまっ、え、その髪……どうしたんだよ? あ、まって、そうじゃなくて」

「どうしたの?」

「……お前に、用が、あって」

 急に登場するもんだから、なにから話そうか全然考えられてねぇの。妹? この間の謝罪? 別れたくないって話? その上、いまだに荒い息では考えても上手く言葉にできそうにもなくて。こんなおれに気を利かせたなまえのほうが「お茶買ってくるからベンチで待ってて」と行ってしまった。槍バカのようにない自分の体力を恨めしく思う。
 後ろ姿を見つめながら揺れる、黒髪を追う。

 話の順序を組み立てながら、下げた視線の先を見て、一番はとりあえずこれだったことを思い出した。コンビニ袋へ入った安いシュークリーム。すぐに戻ってきたなまえに、お茶のボトルと引き換えにそれを渡し、受け取ったお茶を一気に飲み干した。カラカラに乾いた喉が潤ってから、しまったもっと大事に飲めば良かったと女々しいことを考えた。

「……あ、シュークリーム」

「この間の、詫びというか」

 良かったのに、と微笑む顔を見るどころか、頭の先からするりと伸びた毛先までをまじまじと見る。いっそまるで別人じゃん。

「さっきみのりに会った」

「ああ。今日検査に行くって言ってたね」

「あ、そういえば検査結果聞いてなかった……いや、でもあれはすごいSEだから心配はいらないだろ」

 隣りに座ったなまえが控えめに笑っている。二人の間を流れる空気は今までとなんら変わりないようで、隙間を通る風は冷たいようで。本当にこいつの壁をおれなんかが崩せんのか心配にさえなった。でも、できないことをできないままにするのは性分じゃない。
 深く息を吐きだしたのは溜息じゃない。真っ直ぐに見つめ返したなまえの目は赤く、少し腫れぼったくもあって、それに気づいてしまえば飲み込んだものが全部悲鳴になって出てきそうだ。
 罪悪感から、わめく前にと絞り出したのは「……この間のこと、悪かった」というなんとか謝罪らしい言葉。

「私も、ごめんね。きっと私が出水を怒らせたんだよね」

「……違うって」

 違う、そうじゃない。言うには複雑で、これ以上傷つけたいわけでもない。どっちかっていうと、今すぐにでもシュークリーム口に入れてやりたい。それでまたリスみたいに頬膨らませて嬉しそうに笑わせてやりたいだけ。その表情を思い浮かべれば、ふっと体の力は抜けた。

「今思えば、すっげぇくだらないことなんだけどさ。失恋ソングなんか歌うから、前の男のことまだ好きなのかと思って、妬いたっつーか……」

「え?」

「なまえもちょっとはおれのこと好きになってんじゃないのかなぁって思ってた矢先だったから、悔しくて」

「え、……うそ。出水は、気づいてたの!?」

「なにが?」

「す、っ…………な、なんでもない」

 突然慌てはじめる様子を見ながら会話の流れを思い返す。その動揺は元カレのことを知られたという焦りだと決めつけるにしては、こいつの顔はずいぶんと赤くなっていく。きっと夕日のせいじゃねーよな、これ。

「ばっかみたい……」

 そうつぶやいたなまえは「出水はやっぱりすごいなぁ」とあどけなく笑った。すごいことなんて一つもなく、むしろみっともない心の内を吐き出しているというのに。
 言いたいことがわからないでいるような、もしかして程度にはわかっているような。しかし、その答えを問いつめるより先に、なまえは立ち上がってスカートを翻しこちらを振り返った。同じように揺れる黒色に染まった髪を指先に絡めて。

「これ、可愛い?」

「…………まぁ、変じゃない」

「前に黒髪の頃が良いって言ってたから。出水に可愛いって思ってもらいたくて染めたんだよ」

「へぇ」

「信じられない、よね?」

 そういうつもりではなかった。突然そんなことを言われて驚いたとか、照れたとか。確かに冗談だろって思った気持ちもある。それを見透かしたからこそなのか、眉を下げた。

「あのね。酷いことしたのも、言ったのも、出水を傷つけてきたのも私だから……別れるって言っちゃったし、これは、告白じゃないのだけど」

 耳へかけられた黒髪は未だ馴染まない。けれど、前と同じように凛としたなまえがそこにはいる。


「ねぇ、こんな、嘘つきな女だけど……出水のこと、好きって言ってもいい?」


 ベンチへ座ったままのおれを見下ろすなまえは困ったまま笑う。その言葉が嘘か本当か疑う余地なんてない。途中からそんな気がしてたのは自惚れじゃなかった。でも色んな壁が邪魔してたからわからなくて。
 おれも長く息を吐きだす。立ち上がって距離を狭めた。
 頭の天辺から毛先まで真っ黒になってしまった頭へ手を置いた。なまえはこうされることに恥ずかしがってはいたけど、嫌じゃないってことを知っている。そうこいつが言ったわけじゃないけど、あの時は確かに嬉しそうだと感じたから。

「なに言ってんだよ」

「うん、ごめん」

「謝んなくてもいーって」

「……じゃあ、今まで、ありがと」

 そうじゃなくてさ。かっこつけてるだけで、本当は今すぐ抱き締めておれも好きって言ってしまいたい。お前は嘘つきじゃないって否定してやりたい。

「私、バカだから“好き”って言われたら本気にしちゃうし、信じて疑わないから痛い目見るまで気付かないことがあってね。もう、あんな思いしたくなくて、虚勢張ってた……ごめんなさい」

 向けられたのは背中。後ろ姿はこの間までのなまえとはまるで別人のようにもみえて、これが本当の姿でもあるようにみえる。いや、本当とか嘘とかない。全部こいつだったんだから、どの姿も本当のなまえだ。
 弱い自分は誰だって隠したい。なまえはそれが不器用にも器用だっただけ。そういうやつだって、おれはわかったから、……もういい。大丈夫。嘘はいらない。

「今、おれもなまえを好きって言ったらどうすんの?」

「出水に、好きって言われたら……うれしい、な」

「――っとに! 好き。好き。めっちゃ好きだっつーの」

 次に見えたのは、氷の結晶が体温でゆっくりと溶けたみたいな微笑み。微笑みは融解して、瞬きで溶けた涙を落とす。泣き方まで不器用だなぁ。じわっとこっちにまで浸透してくる。
 少しは翻弄してやりたいのに、ちっとも敵わない。そんな表情一つ、仕草一つでこんなにも翻弄される自分がいる。こんな自分の表情見られたくないから両手で顔を覆う。正直、この前の“別れる”って言ったことに対しての腹癒せとか、今後の主導権をどっちが握るかとか、どうでもいい打算的なことも考えてたけど、そんなの全部意味ない。こいつにはおれのどんなフルアタックも敵わないだろうことはよくわかった。降参だ。
 夕方も終わり頃。髪の色も空の色に馴染み始める頃とはいえ、今ここで抱きしめるわけにもいかないから。だから。

「みのり、迎えに行くんだろ?」

「うん」

「じゃあ、ハイ」

 空いた手を差し出すと、大きな瞳が瞬きも忘れて手を注視する。今までのなまえらしくなくて、なんだかすっげーおかしかった。これじゃあなまえのほうが恋愛初心者みたいだ。

「イヤ? イヤならいいけど」

「っい! イヤじゃない!」

 おっかなびっくり伸びてくる手が途中で止まった。そんなことされたらじれったくなるだろ。待ちきれずにこちらから掴んで、握り直して、歩き出す。付き合ってハグだってキスだってしたのに、こうして手を繋ぐのは改めて考えると初めてだった。
 別に手を繋ぐぐらいなんてことないと思っていたのに、予想していた以上に緊張した。そうさせている原因は、なまえがまるで不慣れな様子で力加減を変えてみたり、指先で撫でられたりするからで。可愛すぎるから。マジで。いったんやめて。
 最初はおれに引っ張られるようにして歩いていたのに、気づけば横に並んでこちらをちらりと覗きこむ。

「なんだよ」

「すきだよ、出水」

「わかったって」

 照れくさくて敵わない。ずっと待ち望んでいた表情を向けられて、今度は見つめ返せないなんて情けなさすぎる。でも、向けられる満面の笑みはもう昔とは比べる必要なんてない、確かにおれに向けられたものだった。
 




END