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番外編 2019/7/7B.D.

※2019.7.7 当真お誕生日
※本編7話目以降の話




「ぶぇっくしゅん!」

 何発も連続するくしゃみの末、片手に何かの瓶のようなものを持って現れた姿に思わず笑ってしまった。
 ちょうどお昼ご飯を食べようと、用意したパスタをテーブルに置き手を合わせたタイミング。驚いているあいだに目の前へ黒いモヤのようなものが現れ、そこから勇は出てきた。身長が百八十センチもある男が部屋に立っているだけで途端に狭さが増したなぁ。

「勇、大丈夫?」

「だぁー……なんだなんだ、どうなってんだよ」

 ひとまずテーブルに置いてあったティッシュを箱ごと渡すと鼻をかむ。食堂でお昼のラーメンを食べようとしていたら胡椒の蓋が外れて盛大にぶちまけてしまったらしい。なるほど手に持っているのは胡椒が入っていた瓶か。胡椒の粉塵と共に突然勇が消えて、周りにいた人はさぞかし驚いたことだろう。

「昼飯食い損ねちまったじゃねーかよ」

「残念だったね」

「誕生日だからってカゲに奢らせたのに。食えねえんじゃ意味ねーな」

「へぇ、勇、今日誕生日な、……の?」

 しまったと冷や汗をかく私とは相対して、彼はいいこと思いついたみたいな顔をする。知り合って間もないこともないが、知らない中ではない。こういうときは大体碌な願いでないことは容易に想像がつく。

「なまえサァン」

 甘ったるい声で呼ばれて身の危険を感じないわけない。ベッドへ背を付けていた私を軽々と抱えてあっという間に組み敷いてきた。この男、本当にちょっと前までDTだった?

「え、ちょ、ちょっと待とーか、勇クン」

「抱きしめないように気を付けないとな」

「心配するとこ違うくない? それ以前に心配するとこあるよね? ほ、ほらァ、作りたてのパスタが冷めちゃう〜とかさ。勇クンが食べたいなら、お姉さん、お誕生日サービスでまるごとプレゼントしちゃうなァ!とってもおいしいよォ!」

 小首を傾げながら見下ろしてくる彼の色っぽいことといったらない。それに比べて並べた理性の欠片の言葉のなんとチンケなことか。

「お誕生日サービスにまるごととか景気いーじゃないの。悦んじゃう、俺」

 顔を背けたことが間違いだったのか、彼の薄い唇に挟まれる耳朶。鼓膜をじんと震わせる声と吐息。待って、待って、今この男を止める言葉を探すから。

「け、けいさつに! 捕まっちゃうから!」

「同意のうえのことだから大丈夫だろ」

 湿った舌が水音で犯してくる。この男の声を好きだと自覚はしているものだから合間で「ねえ、なまえ」と呼ばれ、体は疼くし並べたなんちゃらの欠片を手放しかけるものがあった。

「……っだめ!」

 どんっ、と両手で強く勇の胸板を押せば思いのほか強い力が出たではないか。息が詰まったのか勇は上体を起こし、とりあえずは解放された。

「ってぇ! あーもォー雰囲気考えろよ!」

「ご、ごめん、だって勇が」

 逃げ出すように慌てて自分も体を起こすと、勇に顎を掴まれ視線を無理矢理合わせられる。眉根を寄せて呆れた顔。

「アンタなぁ……そんな顔でダメっつーのは否定になってねえの」

 ほんとダメ社会人。と付け足されて解放される。
 止められて良かったけれど、自分でもどんな顔をしているのか言い訳できないほどに想像はできた。勇のほうがよっぽど理性ある。
 ベッドから降りた勇はさっきまで私が座っていた場所に座り、フォークを握る。いただきますの代わりに「ちぇ」と言う声をいただいた。
 左手で頬杖を突いて、パスタをくるくると巻く姿はとてもお行儀が悪いが、そんなことを注意しようもんなら「アァ?」と低い声で威圧されることだろう。

「えーと。お誕生日、おめでとう?」

「どーも」

 不機嫌さは治らないらしいが、パスタはお口にあったのか頬杖を止めて食べ始めてくれた。
 そんなに不貞腐れられても、私たちは予定していつでも会える関係ではないし、お互いの誕生日を知っていた関係でもない。突然やってきて「俺今日誕生日〜」と宣言されたところで、特に用意などしてないのだ。だからって「私をどうぞ」なんてことができるわけもない。それができる関係ってきっと恋人以上でしょう?

「なに」

「なんでもないよ」

「顔赤ぇけど、なーに考えてんの?」

「っなんでもないってば!」

 恋人、なんてワードを勝手に思い浮かべて、勝手に当てはめて考えてしまったなんて言えるわけない。ニヤニヤする男の口の端に付いたトマトソースを強引にティッシュで拭いてやる。ほら、こういうとこ子供っぽいでしょう?
 ……私さっきから誰に言い訳してるんだろ。

「勇、好きな食べのもは?」

「もう食えねえよ」

「今後のために。教えてよ」

「ラーメン」

「不健康だなぁ。だからそんなほっそいんだよ」

「人が気にしてることをズケズケ言うね〜」

 気にしていたのか。とはいっても、その細身は足の長さを際立たせ、無駄な肉のついてない体は男女問わずあこがれの対象だと思うけどな。

「あと、アレ」

 アレ、と指されたのは明日の朝食用に買ってあった黄色い果物。

「バナナすきなの?」

「おー。手軽に食えるじゃん」

 お皿の上のパスタを綺麗にして「ごちそーさま」と手を合わせ、お皿をキッチンへ持って行ってくれる。

「もらっていーい?」

「ダメ」

「おいおい、そりゃねえんじゃねーの? 今日お誕生日様なんですけど」

「だからだよ。ケーキ作ってあげよっか」

 ケーキといっても、バナナマフィンだ。簡単な材料で作れるマフィン程度なら用意してあげられるだろう。というか、それ以外に今すぐ何も思いつかないし。
 勇は肉のないお腹をさすり満腹を表すように顔を顰めた。「私がしてあげたいだけだから」と言うと、へにゃっと表情を緩めて「しゃーねえなー」というところにドキッとしたとは言わない。



 もともと暇になったらチョコマフィンでも作ろうかと思って用意していた諸々の材料。マフィンカップへ生地を流し込み、オーブンレンジへ入れた。インスタントしかないけれどコーヒーの用意をしておいてみる。マフィンを作るのに牛乳を使いきってしまったが、もし外見に似合わずコーヒーにミルクがいるとかだったらどうしよう。聞いてみようかと、すぐ後ろのワンルームの部屋で勇の姿を探す。ベッドの上に大きな体が小さく丸めて眠っていた。どおりで静かなわけだ。寝る子は育つってやつなのかな。
 足音を忍ばせて近寄ったのに「できた?」と薄らと目を開く。気配に敏感だと前に言っていたが、つまり熟睡はしてないのだろう。ベッドのふちへ腰掛けて「まだだよ」と言いながら少し崩れたサイドの髪を直すように撫でつけてやる。猫のように目を閉じる大きな男からはゴロゴロと鳴らす喉の音が聞こえそう。

「美味そうな匂い」

 緩い力で手を引き寄せられただけなのに、彼の上へ覆いかぶさってしまう。後頭部を引き寄せられて、鼻と鼻が擦り合った。

「キスだけ。な?」

「…………だけ、だよ?」

 また表情が緩んだんだろうなということは目元だけが見えていたからわかったこと。でもそれも見えなくなって、唇に唇が触れるだけで心の中まで熱をもつ。柔らかな触れあいはとてもピュアなものに感じるのに、舌同士が混ざり合った途端に淫らなものになっていく。
 キス、初めてした時はちょっと下手だと思ってたのに。

「ん、いさみ、いさ……っあ、ん、勇っ!」

 気が付けばあっという間に手はブラの下へ潜り込んでいた。キスも胸の触り方も上手くなっている。悔しい。どこで学んできたのか。……それは私の知ったことではないし関係のないこと、そう決めつけるととても胸が苦しくなる。
ああ、本当に私はダメ社会人だ。糸引き距離を取った先、垂れた目の奥に鋭さを宿した獣に刺されたいなんて。

「名前呼びすぎ。止めらんねーかと思ったじゃん」

 オーブンレンジが終わりの音を告げる。すぐに蓋を開けなければ、熱で乾燥してパサパサになってしまうだろう。
 理性はそう言うけど本能は離れがたくて、男の横へ寝転がった。擦り寄るように抱きしめて。困ったように「なまえ」と呼ばれても、離れたくないという意思が勝ってしまうのだもの。そう「止められない」の、私も。勇の両腕も私を包む。

 目を開けるとその姿は居なくなっていたのに、ベッドと自分の体にはまだ温もりが残っていた。

「せっかく勇のために作ったのに、バナナマフィン」


 カレンダーを確認すると、私たちってとても今日に相応しい関係だと苦く笑った。
 味見がてら少しパサつくマフィンを食べながら、七夕生まれの男のことを想う。来年よりは早く会いたいな。